河畔に咲く鮮花  



 
 
残酷な命令@

  ともは会合を終え、軽くご飯を食べてから本宅へと戻ってきた。門の前に義鷹が来ているのを見て、軽く溜息を吐き出す。
 毎日、毎日、ご苦労なことだ。
「どうしますか?」
 運転手がミラー越しに声をかけてきて、一応聞いてくる。いつもなら無視をして車を出すところだけど、不意に思うことがあって今日は話をしてもいい、と考え直した。
「ここでいい。そのまま車庫に入っていいよ」
 それだけを伝えて後部座席から下りると、義鷹の前に立った。するとすぐに義鷹が縋りつくようにともに詰め寄ってくる。
「とも様、蘭に、蘭に会わせてください!」
 義鷹の必死な様子に、笑いがこみあげてくる。
「そんなことがよく言えるよね。僕を欺いて、蘭を隠していたくせに」
「そ、それは」
「ふぅん、言い訳もしないの。いつもなら嘘をさらりと吐くのにね」
 幽鬼の如く、紙のように真っ白な顔をして突っ立っている義鷹は覇気もなく綺麗に整えていた髪さえも乱れている。よっぽど蘭を隠れ家から連れ出したのが堪えているようだ。
「でも、いいよ。会わせてあげても」
「え……、本当ですか? いつ、いつ蘭に――」 
「だけど、条件がある」
 もちろん、簡単に会わせるわけにはいかない。義鷹も簡単に会わせてくれるとは思っていなかったはずだ。こちらからの条件を提示されるのを待っている。
「本多稲穂を抱いて既成事実を作って欲しいんだ」
 その残酷な命令に、義鷹は一瞬瞠目しなにか物言いたそうに口を喘がせる。
「どうしたの? 別にいいでしょ。義鷹って、目的のためなら好きでもない女抱けるじゃない」
 義鷹は拳を握り締め、ぶるぶると身体を震わせた。義鷹が蘭に執着し、愛しているのを知っている。だけど温情をかける気なんて一切なかった。
「……分かりました。一度、だけでいいでしょうか」
「別にいいけど、ちゃんと甘い言葉を吐くんだよ。君を愛しているって」 
 義鷹にとってこれほど屈辱的なことはないだろう。だけどこれは自分から蘭を隠し、欺いた罰なのだ。
「こっちの用意を整え決まったら、連絡する」
 顔を俯かせ、今にも倒れそうな義鷹をちらりと見やってから、ともは本宅へと戻る。エントランスにつくと、徳山がお辞儀をしながら扉を開いてくれた。
「今日の会合はどうでしたか」
「いい感じに進みそう。伊達の当主にあってきたよ。どうやら、跡取りは側室の息子にするらしい。その男は気が弱い男みたいだから、徳川に下るだろうね」
 ともが伊達家を取り潰すのをやめたのは、政春が跡取りではないからだ。政春が事件を起こした後、すぐに伊達家の当主から取り次ぐように連絡があった。
 政春とは勘当し、伊達家とは関係ないとこちらに救いを求めてきた。ともは先を見通し、伊達家、そして懇意にしている真田家の取り潰しをやめた。
「それは、それはようございましたね。坊っちゃん」
「僕、覇王なんだけど。坊っちゃんはやめてくれる」
 そう言っても、徳山はにこにこと笑うだけだった。
「まぁ、いいか。徳山、蘭の様子は?」
「ええ、なにも変わらずお過ごしのようです。早く行ってさしあげればどうですか」
「言わなくても分かってる」
 カバンを徳山に手渡し、堅苦しいネクタイを緩めた。そして軽い足取りで螺旋階段を上り、蘭の部屋へと向かう。
 部屋の前まできてノックをすると、しばらくして蘭がドアを開けた。
「おかえりなさい」
 可愛らしく出迎えてくれる蘭を見て、愛おしさがこみあげてくる。
「少し、いい?」
「うん、大丈夫」
 蘭がドアを大きく開き、部屋に招いてくれた。ここに連れてきた頃より、随分と自分に慣れたように見える。
「どう、調子は?」
 部屋に入ると、後ろ手にドアを閉めて室内をぐるりと見回した。
「頭痛のこと? 以前よりはよくなったよ」
「そう、よかった。他になにかあった?」
「……え、なにもないよ」
 ともは蘭の瞳が揺らぐのを見逃さなかった。
 ああ、悪い子だ。
「そう、それならいいけど」
 無理やり聞き出そうとは思わず、ともはちらりと部屋の隅に置いてあるぬいぐるみに目をやる。その中には、カメラが仕込まれており、彼女の動向をいつでも見ることができた。
 後で、録画したのをきちんとチェックしなくては。 
 どぎまぎしている蘭の髪をそっと手に取り、彼女の匂いを肺の奥まで吸い込む。
「と、とも君」 
 蘭の瞳に少しだけ怯えのようなものを見て取って、ともはすぐさま指の間からするりと髪の毛を滑り落とした。記憶がないといっても、ともに対する警戒心がどこかに残っているのだろう。
 それもそうか。雪を騙し、裏切り、蘭をこの手に抱いて、覇王の記である指輪を奪い取ったのだから。
 だけど、蘭。僕よりも残酷な奴がいるよ。
 脳裏に虫も殺さなそうな笑みを浮かべる義鷹の姿が思い浮かび、心にどす黒いものが湧き上がる。義鷹が明智光明と手を組み、爆破事件さえ起こさなければ蘭は記憶をなくすこともなかっただろう。
 そして、未だ生死も分からない雪も――。
「とも君、どうしたの?」
 思わず考えこんでしまい、蘭が心配そうに顔を覗き込んでいるのに気づかなかった。
「あ、うん。ちょっと会合で疲れてね」
「ミルクティーを淹れようか? 甘いものを飲めば少しは気分が解れるかも」
 ともが誤魔化したことを蘭には分かっていないようだった。こういう素直なところも変わっていなくて可愛く思ってしまう。
「……それより、一緒に寝たいな」
「え……」
「ただ、隣で眠るだけでいいんだ」
 蘭が固まっているのを見て、まだ少し早かっただろうかと後悔する。なるべく蘭を刺激させたくないのに、油断をすればすぐに側にいたくなる。
彼女の頭痛の原因が自分だということも理解しているつもりだ。だからゆっくりと信頼を得ようと、時間をかけなければと思っている。
「そ、それより、人魚の里のことでなにか分かった?」
 彼女があからさまに話を逸らすので、ともはそっと溜息を吐き出した。この話題もともが杞憂する一つでもある。
「ああ、今調べているけれど本当にそんな里なんてあるのかな?」
「う、うん……」
 以前、蘭にどこにいたのかを聞いた時、ぽろっと口に出してしまったのもの、いつもそれ以上彼女は深く話そうとしないのだ。
「どういう里だっけ?」
「えーと、私も場所をよく覚えていないの。ただ、凄くお世話になったからお礼がいいたくて……」
 天下の徳川家だから、そんなことたやすく調べることが出来るだろうと思われているのだろうか。いや、本当にそれは間違いないのだが、人魚の里など蘭の作る幻ではないかと思うほどその姿を現してくれない。大体地図にも載っていない里の存在をどうやって探せばいいのか行き詰まっている状況だ。本来ならそんな小さな里の存在なんて放っておけばいいのに、なぜか直感が働き、部下や徳山にさえ探させている。
 なぜ、その里の存在が気になるかと言うと……。
「ご、ごめんね。とも君も忙しいのに探すのなんて無理だよね」
 彼女が一瞬見せる寂しそうな表情に、なんとも言えぬ仄暗い感情が湧き起こるから。
 お礼がしたいと言っている割に、まるで愛しい人に会えぬような恋する少女の表情を見せるから、嫌な想像に胸を掻きたてられる。
「せめて、そこを治めていた人の名前を教えてくれないかな?」
「う、うーんと」
 何度聞いても誤摩化すようにその名を出そうとしない。一体なにをそこまで言いづらいことがあるのだろうか。
 もしかして言ってはいけないことがあるとか……?
 それしか考えられないが、そんな名前も知らない里にどれほどの秘密があるとも思えない。ではやはり、蘭の妄想の世界での話とか。
 このままでは平行線だと思い、話を切ろうとした。大体、この話をするのは一緒にいたい、一緒に寝たい、だのともが欲望を口にした時に彼女の防衛として出される話題だからだ。
 そう思い、今日は出直そうとしたら。
「……天音志紀……」
 ぽつりと、蘭の口から吐き出された名前。
「天音、志紀?」
 いつもなら、ふーん、程度で終わるはずなのになぜかその名前を確認するように復唱していた。
「そう。天音志紀って人がその里を治めていた人……」
「分かった。引き続き調べてみるよ」
 本当は頑なな蘭の気持ちが少しでも開いてくれたことに喜ぶところだろう。だけど、彼女からその名前を引き出した瞬間、どうしてか開けてはいけない箱を開けてしまったような気になってしまった。
 かちり、と止まっていた歯車が動き出し、二度と戻れない時間の波が一気に押し寄せてくるような。
 これから訪れる嫌な予感に不安感が増し、その心の穴を蘭に埋めて欲しかった。
 それでも、ここは引き際だろうと、
「僕は自分の私室に戻るよ」
 一緒にいたいという気持ちを押し殺し、身を翻して部屋を出ようとしたところ裾を後ろから引っ張られた。
「そ、添い寝するだけなら」
 か細い声がともの背中にかけられる。ともはすぐさま振り返り、俯きがちになっている蘭の様子を見た。裾を掴む細い手が微かに震えており、滑らかな頬は薔薇色に染まっている。
「いいの?」
「だ、だって、とも君、疲れているんでしょ? いつもより顔色良くないし」 
 そう指摘され、ともは自分の頬に手を持っていき触れてみる。彼女は意外に感情の機微に聡い。いや、それだけ自分のことを見てくれている証拠なのだろうか。
「本当に、いいの?」
 もう一度確認すると、蘭が弾けたように顔を上げてこちらを見つめる。
「と、とも君の疲れがそれで取れるなら」 
 恥ずかしそうに目を潤わす蘭を見ていると、すぐにでも掻き抱きたくなったが、それをぐっと我慢してゆっくりと頷く。
「ありがとう」
「ううん、お礼を言うのはこっちだよ。ここに来て、とも君は私によくしてくれているのに」
「当たり前だよ、蘭は僕の愛しい人なんだから」
 素直にさらりと吐き出した愛の言葉に、蘭の顔がさらに赤くなる。
「と、ともかく、もう遅いから寝ようか」
 照れ隠しに蘭が視線を逸し、ベッドへと歩いていく。彼女が自分のことを同じように愛していると言ってくれない寂しさをほんの僅かに感じながら、シャツのボタンを外していく。
「と、とも君、寝間着は?」
「ああ、いつも裸で寝ているから気にしないで」
 シャツを脱ぎ捨てたともの上半身を見て、蘭は視線を彷徨わせる。少しは異性として意識してくれているだろうか。
 それだったら嬉しいのだけれど。
 ともは裸体を見せびらかしながら、ひんやりと心地良いシーツに身体を滑り込ませる。
 少し大きめなベッドを運びこませたから、蘭との距離が空いてしまった。
「もう少しだけ、近くに行っていい?」
 緊張で身体を固まらせながらも、蘭がこくこくと小さく頷く。お許しがでたところで、彼女との距離を詰めた。
 熱を感じるほどの距離まで近づくと、芳しい香りが鼻孔をくすぐる。そうか。部屋の花瓶に飾ってある蘭の花の香りが、彼女の身体にも移っているのだ。
「と、とも君」
「ごめん、少しだけこうさせて」
 手を出さないと決めていても、この香りを嗅ぐと思考がまどろんでいく。彼女がいなかった時は、蘭の花を胸の前にとどめてその香りを吸っていた。だけど今はこうして、彼女が手の届く範囲にいて、自分の腕の中にすっぽりと収めることができるのだ。
「苦しくない?」
「だ、大丈夫だよ」
 彼女を抱き締めていると、安堵感に包まれる。あんなにも空虚で、色を失った世界に彩りが戻ってくる。
「とも君、寒いの? 震えているよ」
「え……」   
 僕が、震えている? 知らず知らず、蘭を抱き締めていた腕に力が入っていたようだ。
「寒くないよ。蘭の体温を感じているから。ただ、君といるという喜びに打ち震えているだけだよ」
「と、とも君って、恥ずかしい言葉をさらっと言うよね」
「そうかな?」
「そういうの、や、やっぱり女性慣れしているから?」
「そんなことないよ。僕は君だけだから」
「え?」
「僕は、君だけしかしらないよ。僕の初めては君なんだよ」
「は、初めてって、その……」
 蘭が顔を上げて、大きな目をぱちくりとしている。それが可愛くて、彼女の髪を優しく撫でながらくすりと笑う。
「そうだよ。初体験ってこと。君がいなくなった後もずっと誰ともしていない。僕は君に一筋」
「じゃあ、私もとも君が初めて……? 婚約者だもんね」
 つきん、とともの胸に痛みが走る。
 君の初めては、雪だよ。
 雪の背中を追う幼い頃の自分の姿が思い浮かぶが、それをすぐさま振り払った。昔と今は違う。憧れた男の思い出にいつまでも追い縋ってはいけない。
「とも君?」
「ううん、なんでもない。さ、寝よう」
 それでも蘭の初体験の相手が自分だと嘘をつけなかったのは、雪への懺悔の気持ちからだろうか。
 それぐらい彼は忘れようにも忘れられない、強烈な憧れ。
 雪、もし君が生きていたら僕はどうするのだろうか。
 彼と対峙した時、心が揺らぐか、それとも何も感じないほど自分が強くなっているのか。
 答えを見つけることはできず、いや、本当は分かっている答えを受け入れたくなくて、そんな弱い自分を消し去りたいと思い、もう一度蘭をしっかりと抱き締めた。





 


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