河畔に咲く鮮花  

いちると蘭

 
 蘭がともの邸宅に来て十日ほど経った。
 身の回りの世話はメイドや、執事の徳山さんがしてくれるし、毎日のように部屋の花も替えてくれる。ともも、一日一度は部屋に訪れ、今日あった出来事を紅茶を飲みながら教えてくれていた。
 天気の良い日は、バルコニーでテーブルを囲みスイーツをいただくことがある。
 平和、という言葉が一番似合うのだろうけど、一点だけ不服なことと言えば部屋の外から鍵をかけられていることだった。
 不思議に思いともに訪ねてみたら「君の安全のため」とだけ言われてそれ以上深い理由を聞いていない。
 外に出られない分、本や流行りのファッション誌を大量にメイドが持ってきてくれて、それで暇を潰している。
 それでも外の空気を吸いたい時は、バルコニーに出て花が咲き乱れる庭を眺めていた。
 静寂で、時が止まったような中で、景色を見ることだけが外界と唯一繋がれる手段になっているような気がして。
 今日は太陽が隠れ重たい雲が空に垂れ込んでいる。
 ああ、雨になるのだ。
 日々の天気を見るだけで外のことが分かる。庭の手入れしていた庭師が仕事を切り上げた瞬間、ぽつりと細い雨が降っていきた。
 バルコニーの窓を閉めて室内に入ろうとしたが、垣根の向こうに赤い傘が動いているのが見えた。
 庭師が残っていたのだろうかと思ったけど、傘が近づくにつれそうではないと分かる。
 赤い傘がこちらにやって来ると同時に、女性の話し声が微かに届いてきたからだ。庭師に女性はおらず、男性ばかりのはずだ。
 初めて停滞した世界に動きがあったと思い、雨が激しくなるのも気にせず食い入るように赤い傘を見つめる。
 赤い傘が垣根から出てきて、整然とした花壇の前に姿を現した。
 赤い傘の中には女性が二人、肩を寄せ合い立っている。傘の先端が上向き、中に入っている女性たちと目が合った。
 一人は髪の毛が短く、目力が強い勝ち気そうな女性。
 もう一人はロングストレートが美しく、どことなく自分に似ているなと思う女性。
 見上げてくる女性とばちりと目が合うが、どうしてか二人は蘭よりも驚きを露わにしてこちらを凝視している。
 一体誰なのだろう?
 様子がおかしいとは思ったけど、それよりも好奇心の方が勝ってしまう。
「あの――っ」
「あんた、誰?」
 思い切って声をかけたけど、勝ち気そうな女性によって阻まれる。
「ねぇ、そこで何してんのさ? あんた一人? 誰かのお客様? いつからいるの?」
「え、えっと」
 たたみかけるように質問をされ、どう答えていいか分からなくなる。なにから説明しようかと頭の中で整理しようとしたら、ばりっと空が明るく光った。
「きゃあ」
「稲穂、大丈夫?」
 勝ち気そうな女性が髪の長い女性に振り向き、蘭から視線が逸れる。雨だけかと思ったけど、どうやら雷もやってきそうだ。
 彼女たちが帰る前にもっと話しをしたいと、バルコニーから身を乗り出そうとしたが、後ろからぐいっと腕を引っ張られる。
「蘭、雨に濡れているじゃないか。ほら、中に入ろう」
 彼女たちに気を取られてともが部屋に入ってきたのに気づかなかった。
「とも君、あのね、あそこに女性がいるんだよ」
 ともが蘭の腕を掴みながら、赤い傘を差す二人組みの女性を見下ろす。
「ああ、あの人たちは客人でね。とにかく入ろう」
 ともは一瞥しただけで、彼女たちに声をかけることなく蘭を強引に室内に引っ張り入れた。そして彼女たちから蘭の存在を隠すように窓を締め切り、カーテンまで引かれる。
「とも君、客人を放っておいていいの? 会いに来たんじゃない?」
「今日は会わせたい人がいるんだ。着替えておいで」
 ともが目配せをすると控えていたメイドが寄ってきて、濡れた髪を丁寧に拭かれる。ともが部屋を出ると、蘭に用意されたワンピースを着さされた。
 準備が整ったところで、部屋の扉を開かれそこで待っていたともの側に行く。
「うん、綺麗だよ」
 ともが満足気に笑うと、蘭の手を優しく握りしめる。
「私に会わせたい人って、義鷹様?」
「いや、違うよ。僕の幼馴染」
 歩きだすともに遅れないよう、彼の背中を追った。螺旋階段を降りて、長い廊下を歩き突き当りの部屋の前で止まる。
「入るよ」
 ともが一声かけてドアを開くと、中で待っていた人物が蘭を見て息を呑んだ。
「ほんまに? ほんまに蘭ちゃん?」
 西のなまりがある男性は、蘭を見てどこか感慨深そうに目尻を下げている。長い髪を後ろで一つに束ね、髪から覗く耳にはじゃらじゃらとピアスが嵌められていた。
 なんというか、軽そうな感じというのがその男性の第一印象だ。
「うわぁ、はよ入り」
 しきりに目を輝かせ、蘭を手招きする。この人はどうしてこんなにも馴れ馴れしく名前を呼んでくるのだろう。
 戸惑いながらも足を一歩進め、部屋の中に入った。ソファに促され、蘭が座ると挟むようにともと男性が両脇を固める。
「秀樹は、もう少し離れてよ」
 ともが珍しく軽口を叩くのを見て、本当にこの二人は幼馴染なのだと思った。
「ええやん、わざわざ西から来たんやで」
 秀樹と呼ばれた男性が、蘭の手を取ろうとした時、ともがぴしゃりとその手を払い落とした。
「秀樹、僕の蘭に気安く触らないで」
「えー、そのくらいええやん」
「駄目なものは、駄目。蘭は僕の婚約者なんだから」
「あー、そういえばそういうことやったなぁ。それはええけど、あっちはええの?」
 秀樹とともが蘭を挟んで、意味深な視線を交わす。
「まぁ、どうにかするよ。とにかくその話はいいから」
 ともが合図すると、外に控えていたメイドたちがワゴンを押して部屋に入ってきてテーブルの上に軽食やお菓子を次々と並べていく。
 秀樹の前には上等なワインとグラスが置かれた。
「それじゃ、再会を祝って乾杯!」
 秀樹が意気揚々とグラスを掲げ、乾杯の音頭をとる。
「蘭ちゃんも、飲んでみる?」
「秀樹、蘭は体調悪いんだから」
「まぁまぁ、少しぐらいなら。なっ?」
「ええ、じゃあいただきます」
 グラスを傾けると、秀樹が赤ワインを注いでくれた。飲むのを待っている秀樹の目を気にしながらワインを口に含み喉を潤わす。
「すっきりとして飲みやすいです」
「そやろ、ほなもっと飲み」
 ともがなにか言いたそうにしていたが、秀樹に言っても無駄だと思ったのか自分もワインを口にした。
「それにしても、ほんまに俺のこと覚えてないの?」
「あ、はい。すみません」
「そうかぁ、残念やな。じゃあ、雪のことも?」
「秀樹!」
 ともがワイングラスを手に持ったまま、秀樹をたしなめる。びりっとした空気が室内に流れ、なんとなく奇妙な感じになった。
「え、えっと、ゆ……き……ですか?」
 初めて聞く名前なのに、ざわっと胸が騒いだ。もっと深く思考を沈ませ、その名の人を考えようとした時、ふらっと目眩がする。
「蘭、大丈夫? このワイン飲みやすくても強いからね」
 ともが蘭の手に持っていたグラスを取り、テーブルの上に置いた。そして蘭の肩を抱き寄せ、自分の肩に頭を乗せさせる。
「とも君?」
「いいんだよ。僕の肩に頭を乗せて休んで。頭が痛むなら薬を持ってこさせるよ」 
「ううん。最近はよくなってきたから大丈夫」
 ともが特別に作らせた鎮痛剤はよく効くのだが、すぐに眠くなってしまうので出来るだけ使用したくなかった。
 今は、蘭のことを知っている秀樹に色々と話しを聞きたい。そう思っていたのに、ワインが回りぼんやりとしてしまう。酔いを覚まそうと少しだけ目を閉じて休んでいると、寝たのかと勘違いした秀樹が話し始めた。 
「いあぁ聞いた時は驚いたけど、ほんまやったな」
「あれからもうすぐ二年くらい経ったからね。僕もさすがに駄目かと」
「でも、蘭ちゃんが生きてるってことは、雪も生きてる可能性あるなぁ」
 ぴくりとともの肩が跳ね、沈黙する。先程から雪という名の人が出てくるたびに、空気がひりついていた。それなのに、秀樹はそんなこと気にしていないように話しをする。
「もし、もしもやで。雪が生きてたら、雪についてもええ?」
「僕でなく、雪を取るってこと?」
「まぁまぁ、勘違いせんで欲しいんやけど、孤独の王はもう後ろ盾がないやん。せやけど、徳川は今度上杉も味方につけるし、本多、雑賀もおるやん。そこらへん、平等やないと思うて」
「別にいいよ、僕は。秀樹の好きにすれば」
「ほな俺が先に雪を見つけた方がええな。ともに見つかれば、始末される可能性あるし」
 始末される、その物騒な言葉に蘭の瞼がぴくりと動く。
「僕は始末なんてしないよ。それをしたのは義鷹だろう。一緒にしないで欲しいな」
「ああ、そうやったな」
 悪い、悪い、と秀樹は陽気に笑う。蘭は沈みゆく意識の中で、この人たちはなにを話しているのだろうと疑問が湧く。義鷹様が、誰かを始末? 雪という人を……。
 心の中で反芻すると、じりっと胸に焼けるような痛みが走る。
 目を開いて、秀樹に確認したかったがそれとは反して意識が朦朧としてくる。
 駄目、まだ寝ちゃ。話しを聞きたい。
「そんなことより、違うことを話さない? せっかく僕のもとに蘭が返ってきてくれたんだから」
「あー、結婚する話ってやつ? それ、本気なん」
「うん、もちろん」
「でも、蘭ちゃん記憶ないんやろ? もし記憶が戻ったときどうするん」
「記憶が戻ろうと僕には関係ないよ」
「それでも正当なやりかたと違うし、気持ち踏みにじってもええの?」
「正当? 僕たち御三家が今まで正当なやり方した時があったっけ?」
「そういう意味とちゃう。記憶取り戻したら、ほんまに誰のことが好きやったか思い出すやろ。その時、傷つくのはともになるやん」 
「僕のことを心配してくれているの? そういう秀樹も本家に最上駒乃を婚約者として置いているでしょ。政略だって分かっていて」
「そりゃあ、俺らは両思い同士で結ばれることは滅多にない。それは分かっていても、ともの場合は、レベルが違うやん。今度こそ、ほんまに誰かが死ぬ」
 どんどんと不穏な話になっていく。ここに知らないともがいるようで、どことなくこの先を聞くのが怖くなってしまう。
「そうかもしれないね。だけど僕は欲しいものは遠慮せずに奪うと決めている時から、覚悟は決まっているよ」
「その誰かっていうのは、ともが愛している蘭ちゃんも入っているんやで」
「まさか。蘭だけは絶対に守るよ」
 ともがはっきりと言い切って、蘭の髪を一房掬い取りすうっと息を吸い込んだ。
「違う、巻き込まれる可能性もあるってこと――」
「秀樹、見えない未来より僕たちの結婚を祝ってよ」
 ともがうんざりしたように溜息を吐き出し、秀樹の言葉を遮る。
「ああ、そうやな。蘭ちゃんが生きていたってことだけでも喜ばんとな」
 秀樹が諦めたように溜息を吐き出した。ワイングラスがちん、と合わさる音がして、その後蘭の意識がすとんと落ちていった。
 もう少し蘭のしらない話を聞きたかったのに。それでも眠気だけは待ってくれなかった。
 






 


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