河畔に咲く鮮花  

第四章 四十三輪の花 4:鬼ごっこ終焉


 ***

「――というわけで、こいつは俺の所有物。その権利で引き続き世話は長虎に一任する」
 そう健吾が言ったのは鬼ごっこが終了してからのことである。
 蘭は長い一夜が明けて、健吾に散々殴られ、蹴られして臥せっている長虎の看病をしていた。
 結局、健吾に振り回されるだけ振り回されて、蘭は当初と同じ長虎の別荘で過ごすことを命令された。
「あの人……一体、なんだって言うのかしら」
 蘭はどれだけ昨日のことが恐ろしい一夜であったことか。
静音に見つかった時など、本当にこの世の終わりだと感じてしまったくらいだ。
 寝ている長虎の綺麗な顔はところどころ青くなり、唇の端は切れていて血の跡が残っている。
無残な姿を見ながら、蘭はそっと冷たいタオルで顔を拭いてあげた。
「長虎様……あなたも大馬鹿です……下虜を助ける為に……あの体躯のいい健吾様に立ち向かうなど……」
 そっと呟き、顔を丹念に拭いていく蘭の腕が布団の間からにょきりと伸びた長虎によって掴まれた。
「ひぃっ!」
 いきなり掴まれ、驚きに喉の奥を引きつらせると、長虎の瞳が緩慢な動きで蘭を捉える。
「君……失礼だね……まるで死人が動いたような態度をして」
 長虎が薄く微笑んではいるが、やはり顔色は蒼白でまだ全快とは言い難い。
喋っていても口の端が切れているのか、ときおり苦しそうに顔をしかめる姿が妙に痛々しかった。
「怪我するのもいいかもね……こうして君がつきっきりで看病してくれる」
 それに賛成できないのは蘭の方であるのは、長虎には理解ができないであろう。
どれだけ心配したのか、土に沈んだ時は長虎は死んだと思ったくらいだ。
「二度としないでください。今度されたら、看病などしませんからね」
 叱りつけるようにいうと長虎はふっと力を抜く笑顔を浮かべ、蘭の腕を先ほどより強く握りしめてくる。
「僕をこうして叱るなんて……母さんみたいだね。病気で他界したけど、母は優しく厳しかった。君、僕の母親になるかい?」
 冗談をいう元気はあるのだろうと蘭は少しばかり安心はするが、ここで甘やかせてはいけない。
厳しい口調で、長虎をたしなめようと蘭は口を開いた。
「長虎様より年下なのに、母役は出来ませんよ」
 それを言っても長虎はますます愉快気に口元に笑みを刻み、すいっと美しい瞳を向けてきた。
「じゃあ、恋人になってよ。心に誰かがいるのは知っているけど、いいんだ。僕を好きになって?」
 そう切り返されるとは思ってもみなくて、蘭は手に持っていたタオルをぽろりと落としてしまう。
「そ、そんなことを急に言われてもっ」
 蘭は覇者からそのような申し出を受けるとは思いもしなかった為にあたふたする。
それを見ても長虎は冷静そのもので、掴んでいる蘭の腕を指の腹で愛しげに擦った。
「だって、僕を置いて逃げなかったのは、そう思ってもいいんだろう? 君は逃げられたのに、残った」
「そ、それはっ……あのままだと長虎様が殺されると思って。それに体を張って助けてくれた恩人を放ってはおけません」 
 慌てて誤解を解こうとそう言っても、長虎の指が蘭の腕をさわさわと撫でてくるので集中が出来ない。
くすぐったくて身じろぎしていると、障子がすーっと開かれた。
 長虎の指が止まり、今までの柔らかい表情が一変して、冷たい瞳に戻る。
蘭も恐る恐る後ろを振り返り、静かに入ってきた人物を振り返った。
「……お見舞いに参りましたわ……長虎様」
 咲子が悠然とした歩きで近寄って来て、蘭の隣に腰を下ろす。
「わ、私は出ていますね」
 蘭が気を遣い、その場を出ていこうとする。
「すぐに終わるから、蘭は庭にいてくれないかい」
 背中に長虎の声がかかり、不承不承だが蘭は頷くしかなかった。
 ぴしゃりと障子を閉め、蘭は長虎の言いつけ通りに二人で和菓子を食べた庭で待つのであった。
 二人が何を話しているか分からないが、蘭はただ終わるのを待つだけ。
 散りゆく紅い葉を見つめながら、刻々と近づく冬の訪れを肌の寒さによって感じていた。
 縁側に座り黄昏色に染まる空を振り仰いでいると、健吾の豪快な笑みが降ってくる。
「よぉ、下虜。今日も元気か」
「け、健吾っ……様」
 健吾はいつものように不敵な笑みを浮かべ、どかりと蘭の隣に座り込んだ。
健吾とこうして二人で話すことなどなかった蘭はどうしていいか分からず、きまずさを感じる。
「――長虎、婚約解消する気みたいだぜ?」
 ふいに健吾が発した言葉に蘭は思わず顔を向けてしまった。
「な、長虎様が?」
 信じられないと目を丸くするが、健吾にはどこかそれが分かっていたようだ。
別に何でもない風に鼻で笑うと、続けざまに話をし始める。
「あいつもヤキが回ったな。お前みたいな面倒な女に惚れるとは。咲子は静音同様にしつこいからな。家同士の争いが始まるぜ」
「待ってください、私は長虎様とどうこうなろうってわけではないんです。誤解しないで――」
「そんなのどうでもいい。長虎がモノにすると決めたら、そうするだろ。お前も覇者ってのがどんなのか、いい加減分かってきたはずだ」
 健吾に強い口調で遮られて、蘭は何も言えずに言葉を詰まらせる。
蘭も同じ位の覇者で、名家の出であれば対抗する力はあったはずだ。
だけど、塵にも等しい下虜の身分では、意思も自由も全ては主人しだい。
「下虜なんて、愛人にすればいいのになぁ。でも、あいつは本気だぜ? 勝目ないのが分かってても俺に拳で挑んできた。長虎に預けたのは失敗だったなぁ。やっぱ、綾ねぇに叱られてでも俺んちに連れて行けば――あ〜うじうじ考えても始まらねぇか」
 健吾はわしゃわしゃと髪を豪快に掻き回しては、はぁと長い溜息を吐き出す。
自分がここに連れて来たはずなのに、何を今更と蘭は非難を込めた目で睨みつけた。
「藪をつつけば蛇が出るか、鬼が出るか……えらい、女を攫ってきちまったぜ。あんまり遊びが過ぎると俺んちもやばいかもなぁ」
 やばいと言いながらも健吾はまだどこかで楽しげに瞳をきらきらさせている。
根っからゲームを興じるのが好きなのだと、蘭は呆れた視線を送り続けた。
「まっ、でも咲子みたいな綺麗なだけのつまらない女よりは、俺もお前の方が好みだぜ? 長虎は止めて俺にしとくか?」
「だから――そういうのじゃないって――」
 遊び半分で体を擦り寄らせてくる健吾と蘭はふっと黒い影に覆われる。
静かな殺気がその場に滲み、蘭と健吾はゆるりと後ろを振り返った。
「健吾、蘭のことを心配してくれてありがとう。静音も君がいて諦めたみたいだね。ここからは僕がいるから、任せてくれないか」
 長虎が悠然と後ろに立ち、腕を組んでいる様はどこか仁王のような威圧感を彷彿とさせる。
蘭はぞくりと背筋を凍らせ、冷たい匂いを纏わせた長虎を見上げた。
「はいはい、ナイト様のお出ましで。じゃあな、後は二人でごゆっくり」
 あっさり立ち去っていく健吾の後ろ姿を見ながら、実は静音から守ってくれていたのではと思い描く。
静音はどうやら長虎や健吾には頭があがらないらしい。
 それを知っていて健吾は長虎がいない間に蘭の警護役を買ってでていた。
長虎という友達を思ってしたことなのだろうが、意外な一面を見て呆気に取られる。
そうすると、昨日は鬼ごっこに勝ったというのに、その戦利品を長虎に手渡したのも納得がいくような気がした。
 長虎の本気を健吾は拳を混じえて知り、蘭を自分のものにしようとはせず、幼馴染である友達に託した。
「……意外に友達思いなんだ、健吾様って」
 心の中で呟いたはずなのに、いつのまにか肉声をもって口元からこぼれ落ちていた。
長虎は柔らかい表情に戻ると、蘭の頭をよしよしと傷ついた手で撫でてくる。
「長虎様……?」
 振り仰ぐと長虎が少しだけ嬉しそうに微笑んでいた。
「誤解されやすいけどね、健吾はああ見えて真っ直ぐなんだよ。だから友達思いの彼に心配かけないように、早く僕を好きになってね、蘭」
 反論しようとしたがどこか寂しげに瞳を揺らす長虎を見て、言葉は喉の奥へ引っ込んでいった。
咲子と何を話したのかは分からないが、その不安そうな表情の原因はそこにあるに違いない。
 それでも長虎が何も言わないのであれば、蘭も聞くような野暮なことはしないでおこう。
「一人で寂しいから、一緒に寝てくれるかい? 御飯も父様を混じえて食べよう」
 すっかり陽が沈む空を見上げて、長虎はそれだけをぽつりと言い放った。
きっと咲子や静音から守る為に傍に置いてくれるに違いない。
 その長虎の優しさにジンと胸を暖められて、蘭はゆっくりと頷いた。

 





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