河畔に咲く鮮花
第四章 四十三輪の花 3:鬼ごっこ1
ぐるりと囲むのは、長虎、アキ、咲子、静音である。
そして蘭の真正面には久々に姿を現した健吾が、相変わらず口の端を吊り上げて不敵ともいえる態度で立っていた。
ぽつぽつと降り始めた雨は次第に強さを増し、今いる部屋の中の音を掻き消すほどになっている。
それでも蘭は微動だに出来ずに、健吾の威圧感に体を竦ませていた。
「健吾様、この方を私に引き取らせていただきませんか」
咲子が健吾に交渉するが、そこにアキも参戦してくる。
「だったら、ボクが蘭を引き取るっ!」
「なにも取って食いはしませんよ。この私が気に入り、傍に置きたいと思っているので、
是非、黒田家に迎えたいのです」
静音がしれっと平静を装った顔で、そう健吾に申し立てるが、蘭は心の中ではやきもきとした。
静音が咲子と組んで蘭を自分のところに引き取ろうと策を巡らせているのは分かっている。
そのやり取りを聞きながら、健吾が楽しそうににやにやと笑っているだけだ。
商品になった気分になり、蘭は顔を瞬く間に曇らせていく。
こんなところで売買されるとも思って見なかったが、黒田家だけには行きたくない。
それならばまだアキの家の方がましなのではないかと思う。
だが、アキとのあの夜を思い出した。家に連れていかれると覚えたての腰使いで何度も体を貪られるかと思えば、いい気はしない。
そう、アキの瞳は今も情欲が滲み、蘭を犯したがっていることが肌を通して伝わってくる。
アキが童貞をなくした夜――明け方まで蘭はこの体を味わわられた。
いや、ほとんどアキ自身の一方的な快楽で終わった。
蘭はただ人形のように何度も何度も体を揺さぶられただけ。
覚えた魅惑的な味はアキの脳を麻痺させ、快楽の毒に侵されているようだ。
初めて味わった強烈な快感の呪縛は、まだアキの中で忘れられない記憶となっているのだろう。
今ももじもじと腰を細かに動かし、落ち着きない様子でちらちらと蘭を見つめてくる。
アキの瞳は潤みを帯び、熱く息を漏らす唇からは粘りを含む赤い舌が何度も見え隠れしていた。
性の対象としてアキから見られていることを知り、蘭は視線を合わさないように顔をそむける。
「さ〜て、どうしようかな。俺が連れて来たし、所有権はあるわけだし。ん〜」
わざと困った風に言うが、健吾の顔はにやけているだけで緊張感の欠片もない。
「お金ならいくらでも払いますわ」
咲子が提案をして、健吾の気持ちに揺さぶりをかけると静音もそれに乗ってくる。
「私も姉に上乗せしてお金を出します」
「だったら、ボクが出すよ!」
競りにかけられているような気分になり、蘭はそっと溜息をつく。
健吾の手を離れたらどうなるのか分からないが、逃げるチャンスはあるかもしれない。
それだけの希望を胸に抱いて、この結論がどうなるかを見守る。
「僕が蘭を引き取る。家同士で争いが起きたとしても、邪魔はさせない」
今まで黙っていた長虎がくいっと顔を上げて、そうはっきりと言い切った。
その物言いが気に食わないのか、健吾の笑みが崩れて、すっと真顔になる。
「長虎、家同士の争いってどういうことだよ? 交渉もなしで、俺から所有権を奪う気か?」
健吾の態度があからさまに変わり、不穏な空気がぴりぴりと痛いほど流れ始めた。
雨のせいではないほど、ぞっとした寒気が背筋を這い、蘭は温度の下がった部屋の中で震える。
「覇者、浅井家の嫡男として、そのくらいは可能だと思うが」
珍しく険を含む声音で発せられ、蘭は真横に立った長虎の顔をちらりと盗み見した。
その表情は冷たさも暖かさもなく、焼けるほどの真剣な熱さを滲ませている。
健吾が肩の力を抜いて、ようやく笑みを浮かべると、周りの棘ついた空気が少しだけ和らいだ。
「長虎、そんなにこの女の穴の具合が良かったのか?」
下卑た質問をにやつく顔に張り付かせ、健吾が長虎にそう言い放った。
「まだ抱いていない」
きっぱりと毅然に言い切る長虎を見て驚きを刻んだのは健吾の方であった。
「おいおい、まじかよ。お前、本気か? 下虜一人にほだされたか。くっ……くくくっ……」
健吾の肩が小さく震えていたかと思えば、徐々にそれは大きな哄笑に変わっていく。
「ははははっ、これはいいな。長虎の本気を久々に見たぜ。父を守る温情が今度は下虜にむいたか」
健吾はおもしろそうに笑うが、長虎はつまらなそうに唇を引き結んでいた。
健吾は気が済むまで笑うとようやく落ち着いたのか、ぐるりと一同を見回した。
「ようし、鬼ごっこしようか。下虜が逃げる役だ。そいつが欲しい奴はみんな鬼になって捕まえろ。それとお前も逃げ切れたら、里に帰してやるよ」
「はぁ?」
その場にいた一同はみんな一斉に間抜けな声を上げる。
それもそうだろう。
この年になっていきなり鬼ごっこと言われても現実味がない。
健吾の提案にはみんな呆れた顔をするばかりだ。
「参加しない奴は所有権放棄とみなす。誰もゲームしないなら、そのまま俺が下虜の主人だ」
――ゲーム
健吾は蘭の所有権を鬼ごっこで片付けようとしていた。
――信じられない
そんなに簡単なもので決められてしまうと思うと胸が痛む。
けれども、鬼ごっこで逃げ切れたら人魚の里へ戻してくれる。
そう、健吾は言った。
この男のことだから、それに二言はないだろう。
蘭はその一縷の望みにかけることを決意し、残酷な鬼ごっこに参加することにした。
「ボクはいいよ、参加する」
アキがにこりと微笑み、参加の意思を伝える。
そうすると、静音も長虎も参加の意を示した。
「よおし、決まったな。時間は三時間。範囲はこの森全体だ」
健吾が腕を組みそれだけを告げると、誰もが瞳になにかしらの決意を宿した。これは 蘭にとっても悪い案ではないのが分かる。
――なんとしてでも、逃げ切ってみせよう
蘭は希望を胸に抱き、健吾の提案に乗ることを決めた。
「いいか、今は夜の九時。終わりは十二時だ。それまで捕まらなければ下虜の勝ち。捕まればそいつのモノ。さぁ、三分だけ待ってやる。その間に逃げろ、行けっ!」
健吾にそう言われて蘭はその場から弾けるように駆け出した。
逃げる時に、ゆっくりと長虎と視線が絡みあう。
それを見た刹那――蘭は苦しげで切なそうな瞳の奥に、炎のような熱情を刻んだ長虎のことが脳にこびりついて離れなかった。
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