河畔に咲く鮮花  

第四章 二十四輪の花 1:長虎の熱


***
 
 静音は蘭に暴力を奮い、強姦しそうになったというのに、自分が殴られて気絶したことを根深く思っているようだ。
 頭を一、二針ほど縫いはしたけど大きな怪我に至るまでもないのに、本性を剥き出しで長虎に抗議を申し立てた。
 下虜だから殺してもいいか、など物騒なことを言ったり、奴隷として自分が買うなどといってみたり。
 蘭は自分が悪いわけでもないのに、下虜という階級だけでゴミのような扱いを受ける。
「彼女は僕の所有物ではなく、健吾が連れて来た。もしそのようにしたければ健吾に言ってくれるかな」
 長虎の態度に業を煮やしたのはその場に居合わせたアキである。
「長虎っ! 静音を殴ったのはボクだし、蘭に一切の非はないよ。罰ならこのボクが受ける。そんなどうでもいいような言い方ないじゃない!」
 珍しくアキが怒りを刻み、全身で蘭を守ろうとしていた。
 蘭はそれだけでも有り難く思い、下虜を庇うアキを潤んだ瞳で見つめる。
 だが、長虎は徹底した態度を崩すことなく、冷たい匂いを纏わせる当初の頃に戻っていた。
「蘭は軟禁状態として部屋から出ることを禁ずる。そのような処置でいかがかな、咲姫」
 じっと見守っていた咲子がようやく顔を上げて、ついと蘭に視線を投げてくる。
 その瞳には暗い翳りを落としていたが、少しだけ微笑んで長虎に顔を戻した。
「……そうですね。健吾様が来られたら私からお話してみます。それまで野蛮な方を閉じ込めてくださいまし」
「姉さんっ! そんな程度じゃ気が納まらない! このような女は犯して犯して犯しまくって、殺せばいいっ」
 静音の激昂した様子はなかなかと収まりを見せないようだ。
 どちらが野蛮なことを言っているのだろうと蘭は心の中で思うが、それを口に出していうことは出来ない。
 本当に健吾が首を縦に振り、蘭を渡したなら静音はその言葉の通りにするであろう。
 下虜という身分階級に初めて恨みを持ち、蘭は何も出来ない自分を歯がゆく思った。
 脱走しても人魚の里を焼き払うと言われ、ここにいても自分の身が危ない。
 人を人と思わない非人道的な扱いに悔しさを感じ、蘭はぎりっと静かに奥歯を噛み締めた。
「鬼の健吾様の所有物なら勝手なことはできないわ、静音。あの方の恐ろしさは知っているはず」
 咲子がそうなだめると静音は腹ただしそうに荒い息を吐き出した。
 健吾の所有物でもないのに、モノと思っている言いざまにも蘭は苦痛を感じる。
 どうしてこのような目に遭わなければ――そのような苦しさだけが胸中を満たしていった。
「そのようなことより、咲姫。今日の夜は一緒に過ごすのはいかがかな? 冷酒でも飲んで長い夜を語らうのは」
 ――そのようなことより、と長虎が吐き捨てたことにも蘭は胸が痛む。
 最近は優しくなってきたと思ったが、やはり芯の冷たさは変わっていないようだ。
 蘭をペット程度に思っているから当たり前の扱いかも知れないが、心を傷つけるには十分な言葉であった。
 そして下虜を蔑む行為をした咲子と夜を過ごすという提案にも失望を覚える。
 冷たさは匂わすものの、長虎の心根はそのような性格ではないと思っていたからだ。
 やはり表面の美しさしか長虎には興味がないのかもしれない。
「ええ、喜んで長虎様。まぁ、どのような服で出席しましょうか」
 咲子は現金にも顔をぱぁと輝かせ、夜のことを思ってかそわそわとし始める。
 すでに蘭のことも眼中にないようで、浮き足だっては長虎に抱かれることを思想しているようであった。
 やはり誰でも抱くのだと、蘭は軽蔑するがもうそのようなことはどうでも良かった。
 ただ心を悲しく沈ませ、軟禁をいいつけられた部屋へと戻って行った。
 そこから蘭の軟禁生活は始まってしまう。
 とはいっても、元々寝て過ごしていた部屋は和室になっており、障子には鍵などつけられていない。
 自由になるかと思いきや、部屋の外には一人、見張りがつけられていた。
 用を足す時と浴場に行く時はその者がついてくる。
 御飯を食べるのも障子が開かれ、何も言わずにお膳を出された。
 静音の事件があってから、数日が経って、蘭は外界から隔絶された日々を過ごしていた。
 ずっと部屋の中でいると体もなまり、気分もどことなく落ち込んだ。
 時に長虎と咲子の楽しげな笑い声が耳に届いてきたりする。
 アキも姿を見せず、いやきっとここには入るなと言われているのかあれから会っていない。
一週間近く経つのに、咲子達は一向に帰ろうとしなかった。
 きっと健吾が現れるのを待って、蘭をこちらに渡せと要求したいのであろう。
 それを思うと気弱になってしまったのか、恐怖で体が震えて仕方ない。
 はぁと長い溜息をこぼし、蘭はすることもなく早寝をすることにした。
 その深夜のこと――蘭は寝苦しさでふっと目が覚める。
 月は隠れ、部屋は真っ暗であったが誰かの気配を感じた。
 黒い影がじっと蘭を見下ろし、荒い息を吐き出している。焦点が合わずに虚ろな目で見上げたが、徐々にその輪郭を露にしてくる。
 誰だろうと考える間もなく、黒い影は蘭に馬乗りをしてきて、ふいに首を絞めてきた。
「がっ……ぐっ……!」
 間近に迫るその顔は醜悪に歪んだ静音のものだった。
一気に脳が覚醒するが、静音は獲物をいたぶるように蘭の首をゆるゆると締め上げた。
「ひひっ……私があのままお前を許すとでも思ったか? 下虜め! 今からお前の穴という穴を犯してやるからなっ。殺されないだけ有り難く思えっ」
 必死で暴れるが、男の力には敵わない。
 見張りを倒したのか買収したのか、分からないが静音はこの部屋へやって来て、蘭を犯そうとしていた。
「お前の大好きな縄だ、また縛りあげてやるからな」
 別に縄が好きでもないのに、静音は用意をしていた縄で器用にも蘭の両手を上に張り付けて、解けないほど縛る。
 この手馴れた様子からすると、かなりの常習犯なのだろう。
 きっと身分の低い女を買っては、道具のように扱い、ぼろぼろになるまで犯す。
 静音の反吐が出る性癖を垣間見て蘭は叫びを上げた。
「助けてっ、誰かっ!」
 大声を出しても静音は余裕ぶった表情で蘭の服を脱がしていく。
「馬鹿か、お前は。下虜の分際で誰が助けるとでも? あの変わり者の女男のアキヤは今日はいないから、邪魔はされない。こんなことをされても、みんな見て見ぬ振りだ。下虜などたとえ道端で犯しても誰も助けは来ないんだよっ!」
 残酷な言葉を突きつけられ、蘭のまなじりからは熱いものが流れていく。
 今、ここで叫んだとしても黙認され、長虎も助けには来ないというのだ。
「泣いているのか? もっと泣き叫べっ!」
 静音は瞳に狂気を宿らせ、暴れる蘭の身体を押さえつけると、下着姿にする。
「これからだ、これからだからなっ」
 静音は一旦そこで蘭から身を離すと、がたごとと何かを部屋の奥から持ち運んできた。
 蘭はその物体を見て目をこれとないほど開く。
 静音はカメラを持ち込み、三脚を立てて、蘭との行為を録画しようとしていたのだ。
「いやっ、止めてよ!」 
 身を起こし逃げようとするが、すぐに静音の平手打ちが飛んできた。
「黙ってろ! 私のコレクションに加えてやるのだから、有り難く思えっ」
 そう言ってまた静音は一生懸命にカメラをセットし始めた。蘭は振り仰ぎ、そろりと態勢を整えた。
 静音はまだカメラに夢中になっている。
――この変態っ! あんたに犯されたくなんかない 
蘭は今なら逃げ出す機会だと思い、両手を縄で縛られたままダッとその場を走った。
「ま、待てっ!」
 蘭は部屋を抜け出し、ともかく外へ非難しようと考える。こちらには四方が塀に囲まれている為、外には逃げることが出来ない。
 一つだけ思い浮かんだのは、長虎の親衛隊が押しかけていた庭だった。
あの場所は柵しかなく、出ようと思えば外に逃げられる。
 そこしか抜け道はなく蘭はその庭へと向かって走って行った。
「待つんだっ、下虜めっ!」 
 静音は諦めることなく蘭の後を追って来る。蘭はもつれる足を必死で動かして、裸足のまま庭へ降り立った。
――早く、早く逃げなきゃ
 かさかさと鳴る紅葉を蹴散らし、柵の前まで来ると縛られた手のままでかんぬきを器用に外した。
 そのまま外へ出るが、月のない森の中は漆黒の闇である。
怯んだが、静音に捕まる方が今は恐ろしかった。
 乾いた土を蹴り、蘭は方向も分からぬまま森の中を駆け走る。
 それでも女で縄で縛られている蘭の足より、静音の方が早かった。
ついに追いつかれて、後ろからタックルをされる。
「きゃあっ!」
 身体は勢いよく前に倒れ、蘭はごろりと体を反転させられた。
 すぐに馬乗りになった静音に頬を殴られ、口の中に錆びた血の匂いが混じる。
 けたけたと不気味に笑い、下着姿の蘭を殴りつける静音は、この闇より深い暗さを瞳に宿していた。
 殴るのに飽きたのか静音はまた蘭の細い首を締め上げ、愉悦に浸る。
苦しむ顔に興奮を覚えるのか、静音が腹に擦り付けてくる下肢は隆々とそびえ勃ち、硬さを誇示していた。
 脳に酸素が行き渡らなくなり、蘭の視界は歪んでくる。
――苦しい……
静音の悪魔のような醜悪な笑い顔も霞んで、蘭はこのまま死んでいくのかと漠然と思った。
 ごめんね、志紀――人魚の里にはもう戻れないかもしれない。
 それだけがふっと思い浮かび、まなじりから涙が伝い落ちていく。苦しくて息も出来なくて、蘭は意識を手放そうとした。
「その手を放せ、静音――」
 低く暗い響きの旋律がこの闇夜の中で、たった一条の救いの光のように蘭の耳に飛び込んでくる。
――誰……?
その瞬間、静音の手がゆっくりと離れ、肺に空気が流れ込み始めた。
「ごほっごほっ、ごほっ!」
 むせ返り、蘭はげほげほと盛大に咳を繰り返して息を整える。ぜいぜいと肩で息を繰り返しながら、蘭はうろんな瞳で静音の首に、ぎらりと銀の切っ先が光る鋭利な刃があるのを捉えた。
 すーっとその刃は前後に動くと、静音の首からは赤い血が浮かび上がった。
「ひっ!」
 静音が切られたことを知り、身を竦ませて後ろに立つ人物をそろりと振り返る。蘭も一緒に視線を巡らせて、闇夜に静かな殺気を滲ます黒い影を見上げた。
――長虎様……
 どうしてここにと蘭は驚きを瞳に刻む。
「ゆっくりと蘭の体からどけ」
 長虎は刀を持ち、鋭い切っ先を静音に向けたまま低い声で命令を下す。
見たこともない長虎の内なる怒りを肌で感じ、蘭はごくりと唾を飲み込んだ。
「や、止めてくれよ、冗談だろ、長虎様」
 静音は息を乱しながらも蘭の体から離れると、立ち上がって長虎と対峙する。
――ひゅんっと銀の刃が暗闇に閃いたと思えば、静音の束ねた長い髪がばさりと切り取られた。
「ひっ! どうして、長虎様っ!」
 悲痛な叫びはあまりにも情けなく、静音はがくがくと体を震わすと慌ててその場から逃げ去る。
つまずきながら逃げて行く静音の背中を呆気に取られて見ていると、長虎が刀を鞘に戻した。
「蘭、大丈夫かい?」
 長虎はすぐに上着を脱ぐと、上体を起こした蘭の体にかけてくれた。
まだ長虎がここにいることが理解出来ずに、何度も目を瞬かせる。
 長虎は膝をつくと蘭の顔をじっと見つめ、次には痛いほど抱きしめてきた。
あまりの強さに息が止まりそうになるが、そこから長虎の熱が伝わってきてようやく安堵の息を吐く。
「長虎様……どうして助けてくれたのですか?」
 ぽつりと呟いた蘭の問いを聞き、長虎はゆっくりと体を放して、悲しげに瞳を揺らした。
そこには先ほどのような、冷たさを帯びた長虎はいない。
「君を助けるのは当たり前だよ」
 優しい声音が戻ってきて、長虎は優しく頬を撫でてくれる。
「でも……私は下虜です……静音様も言っていたように……生命に意味はない……」
 静音に言われたことを思い出し、蘭は焦燥に駆られそれだけを呟いた。
長虎も蘭のことはどうでも良かったのではないか。
 軟禁し、見張りもつけて蘭に罰を与えた。
「違うっ! 僕は君を守りたくて……わざと軟禁し、静音が来れないように見張りをつけたんだよ。蘭を庇えば余計に立場は悪くなる。だから、好きでもない咲子と夜を過ごして、目をこちらにむけさせたんだ」
 長虎の言葉は真実味を帯びていて、蘭は驚きを瞳に刻んだ。
「大人しくしていると思って安心していたけど、静音の陰湿さは度を知らない……見張りを倒して、君をこんな目にっ」
 蘭の肩を抱いていた長虎の両手が僅かだが震えていて、ようやく軟禁された本当の理由を知った。
長虎は長虎の考えで、蘭を守り、自分から咲子と静音の目を逸らしてくれていたのだ。
「本当ですか……長虎様……わざわざ下虜の為に……?」
 蘭は信じられないとばかりに長虎に問うが、声が震えて上手く喋れない。
ただこみ上げてくる熱い気持ちが涙となって、瞳からきらりとこぼれ落ちる。
 ゴミと虐げられ、殺してもいいと扱われた蘭にとっては、その長虎の気持ちに涙腺が緩んでしまう。
「下虜だろうが、関係ない。君が死んでしまえば、僕はこの胸をえぐり取られるような痛みを覚えるだろう。そして、きっと静音を殺している」
 長虎がぽたぽたと溢れて流れる涙を、そっと指の背で拭ってくれて、悲しげに眉を寄せた。
「ありがとうっ……ございます……人間扱いされただけでも、蘭は嬉しいです……長虎様……」
 そう言った蘭の唇に長虎の艶のある唇が優しく重なった。静音に殴られて血が滲む唇を舌先で舐め取ってくれる。
「本当に馬鹿だ……こんな目に遭わせる覇者などにお礼を述べるなんて……蘭っ……どうして君はっ……」
 長虎はもう一度、蘭を優しくその腕に掻き抱き、何度も頭を撫でてくれた。
「――どうして、君はこんなにも僕を狂わせるんだっ――覇者など最低なのにっ……」
 強く抱きしめられると長虎の清冽な香りが蘭を包み込む。いつもなら冷たい匂いが漂ってきていたのに、今日は暖かく優しい春の香り。
 震える長虎の背に手を回し、蘭は感触を確かめるようにゆっくりと目を閉じた。
熱を帯びた長虎の体温が急激に冷えていた蘭の体を温め、安心感を覚える。
 暖かくて気持ち良い気だるさに蘭は心地よくなると、静かに意識を夢の中へと手放していった。








 





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