河畔に咲く鮮花  

第四章 四十二輪の花 1:生花会


 ***

「君も出席することになったから、この着物を着てくれるかい」
 唐突に長虎からそう言われた。
「えっと……長虎様……」
「いいから、それを着てくれないかい。僕からの贈り物だよ」
 長虎が用意してくれた着物は豪華で美しいものであった。
 鮮やかな緋色にスパンコールが織り交ぜられ、動くたびにきらきらと輝く。
「面倒だけど生花会をするんだってさ」
 長虎はどうでもよさそうに、着物だけを押し付け、さっさと廊下を歩いていく。
 その後ろ姿を見ながら蘭は、着物をしげしげと眺め回す。
「綺麗だわ……凄く素敵な着物」
 名前と同じ蘭の花をあしらった着物はきっと、特注で作らせていたのだろう。
 いつの間にこのようなものを注文させていたのかも分からずに、蘭はメイド達に着せられ、化粧もされた。
 咲子が生花会を主催するのは分かったが、蘭にもお呼びがかかってしまう。
上流階級者達の遊戯に参加するだけで、蘭はすでに憂鬱な気分になっていた。
『君は端っこで座っているだけでいいよ』
 そう長虎の言葉を思い出して、今日は空気のように過ごそうと蘭は決める。
 回廊を静々と歩いて部屋へ向かう途中に、角から咲子が姿を現した。
 侍女と弟の静音を連れているが、蘭は脳を殴られたような衝撃に見舞われる。
――咲姫の着物が……
 咲子は蘭と同じ色と柄の着物を着てその場に現れたのだ。
 困惑だけが広がっていき、すっかり言葉を失ってしまう蘭に弟の静音がすっと目の前に立った。
 咲子と同じ造りの匂い立つ美貌が少しだけ歪むと、艶然とした笑みを浮かべる。
ぞっとするほど艶やかで、暗い雰囲気を含ませた微笑みに蘭は背筋が寒くなった。
「同じ着物とは……私の姉を愚弄するおつもりか?」
 静かで大人しいと思っていた静音の瞳は激情的で、低く冷えた声は心臓まで凍らせる響き。
 この男は今までと違った陰湿的な怖さを持っている気がして、蘭はぶるぶると唇を震わせた。
「あのっ……これは……」
 弁明しようとも威圧感に気圧されて、蘭はしどろもどろにしか喋ることができない。
 その間も咲子は静かにそれも見守っているだけ。
「すぐに着替え直していただきたい。主賓は私の姉だ。あなたは本来なら一緒の席にいることすら間違いなのだから」
「着替え……」
 蘭の私服はあの作業着のつなぎしかなかった。
そのような格好で出席することの方が失礼に値するのではと考える。
「初めて会った時のあのみすぼらしい服があるはずだ。それに着替えて出席することだ。さぁ、行きましょう姉上」
 ふっと冷笑を浮かべた静音は暗い色を宿した瞳を逸らせて、咲子と一緒にその場を立ち去って行く。
 蘭はどうしようかと迷ったが、急に不参加することも出来ず、諦めてつなぎに着替えるのであった。

***

 障子の向こうからは何やら話し声が聞こえてくるが、蘭はどうしても室内に入れないでいた。泥まみれの作業着を着た蘭は躊躇いが生じ、一歩が踏み出せない。
――こんな格好じゃ恥ずかしい
 じっと突っ立ったままの蘭の影が障子に映りこんだのか、ぱしんと左右に開かれた。目の前に立つ長虎が少しだけ眉をひそめるが、蘭の格好を見てはぁと深い溜息を吐き出す。
「済まないな……嫌な思いをさせてしまったようだね」
 長虎はすでに咲子の着物を見て理解をしたのだろう。申し訳なさそうに蘭を労わるような目を向けてきた。
「いえ、別に私はいいんです。主賓は咲姫様ですし。野猿はこういう格好がお似合いですもん」
 蘭がにっこり笑うと、長虎の暖かい手がぽんと頭に乗り、軽く撫でてきた。それがいつもより優しく感じて、心地よくなる。
「早く入ってもらったらいかがです」
 咲子の凛と澄んだ涼しい声が室内からかかり、ようやく長虎は蘭の頭から手を離して、招き入れてくれた。
「ちょっと、なんなのその格好。も〜う、野猿は礼節も知らないんだからぁ」
 アキは可愛らしい水色の着物を着ている。
 作業着という蘭の姿に野次を飛ばして、アキは顔をしかめた。
「まっ、野猿なんてっ……くすくす」
 長虎から付けられた愛称を聞き、咲子が笑うと、侍女、それに静音までもが失笑をし始める。 
「あはっ。すみません、教養も品性もなくて……あの、私は隅っこで静かにしておきますから……みなさんはお構いなく」
 蘭は苦笑いを浮かべ、小さくお辞儀すると静かに座った。
 すでに生花会は始まっているようで、咲子が花器に花を活けていた。
 アキや静音は和菓子とお茶をいただきながら、その様子を優雅に見つめている。ぱちんと裁ちはさみが堅い茎を切る音が、この静かな空間に鳴り響く。生けていく所作の一つ一つが優美で、あまりにもそれが美しくて蘭の心を打った。
 花器に美しくまとまった花が生けられると、それぞれが賞賛の言葉を咲子に投げかける。長虎もにこやかに微笑んで咲子を褒めちぎるが、親衛隊に投げかける笑みとそれは似ていて、蘭は違和感を感じた。
「せっかくですから、あなたも生けてみてはいかがです」
 静音が促した相手が蘭だったと気がついたのは数秒経った後である。みんなの視線を受け、蘭は初めて自分に矛先が向けられていることをしった。
「この者は……今日はただの見学で、生けることはしないよ、静音君」   
 長虎が助け船を出してきて、さらりと静音の提案を断る。
「そうだよ、野猿が生けられるわけないじゃん〜」
 アキも長虎の意見に同意してきて、和菓子のお代わりを侍女に頼む。
「では、私が教えて差し上げますわ」
 咲子がにこりと上品に微笑み、蘭はますます断ることが出来なくなる。
「そうですよ、姉は師範も持っているのだ。遠慮せずに教えてもらえばいい」
 静音も咲子と同じように綺麗に笑むと、蘭を手招きしてきた。
「で、では、教えていただけますか」
――そんなこと言われたら断れないじゃない
 優柔不断な自分を呪い、蘭はのろのろと緩慢な動きで咲子の近くに座る。
「まずはご自分の好きなように生けて見てくださる」
 いきなり言っていることが違うと蘭は戸惑うが、そろそろと花を手に取り、裁ちばさみを咲子から渡された。
 お花など習ったことがないのに、どこを切ればいいのか分からない蘭は、手が止まってしまう。
「姉上、裁ちばさみの持ち方から教えて差し上げた方がよろしいのでは」
 静音が綺麗な顔を崩して、その口元に侮蔑を込めた笑みを刻む。 
 あからさまな嫌がらせを受けていると知り、蘭は肩身が狭くなって、顔を俯かせた。
「それより……生花という言葉もご存知ないのでは? 姉上」
 ねちねちと追い込むような陰湿な静音の虐めに、蘭は何も言うことが出来ずに唇を噛み締める。
「蘭、知らないことは恥ではないよ。分からなければ僕が教えてあげようか」
 長虎が空気を読み取り、蘭に助けを出すが、それが咲子や静音の勘に障っていることは間違いない。
――長虎様……余計に咲姫が怒りますよ
 いきなり知らない女が長虎の別荘に居て、一緒に住んでいる。
 事情を詳しく知らない咲子達には邪魔でしかないのだろう。
「長虎様、もう少しやってみますので、大丈夫です」
 偽りの笑みを浮かべ、蘭はもう一度花を見つめると、勝手に手が動き始めた。
 ぱちんと茎を裁ち、空いた花器に生けていく。
――あれ? 何だか分からないけど手が動く
 蘭自身でも分からないが、昔にも生けていたような気がして、それが体に染み込んでいるらしい。
 公人から貴族の養女として迎えられたと言っていたことを思い出し、その時に習っていたとも考えられた。
「へぇ〜、意外にやるじゃん」
 アキが感心した声を出し、興味深そうに身を乗り出してくる。
「こちらの花もご使用ください」
 静音がすっと花を差し出して蘭に手渡してくるが、なぜだか嫌な予感が掠めていった。
――この静音って人……綺麗だけど蛇みたいな目……
断るわけにもいかないので、蘭は恐る恐る茎に裁ちばさみをあてる。
 ぐっと力を込めても茎ははさみで裁ちきれなかった。
 眉をしかめて何度でも切ろうとするが、全く茎は裁てない。
「ンっ……んんっ……」
 力むと同時に奇妙な掛け声も出ていたのか、静音がくすりと上品に笑いを漏らす。
「野猿のお力でも断ち切れないのですか? いや、やはりはさみなど使用したことがない為に、見よう見まねの人間の真似はここで万策尽きたらしい」
 先ほどまで生けていた姿は、咲子の真似をしていた猿真似だと言われて、蘭はわなわなと手が震える。
「まっ、静音ったら。失礼よ」
 咲子も微かに微笑むと、侍女たちも口を隠しては同じようにあざ笑う。
小さな笑いが嘲笑の渦となり、蘭は激しいデジャヴに揺さぶり起こされた。
――なに……この感覚……
 昔にもこのような体験をしたことが、どこかであった。
 蘭の目の前に桜の花びらが美しく、はらりはらりと舞い落ちてくる。
 途切れることのない桜吹雪の中で、蘭が隣に座る男の人に酒を注いでいた。
 顔は霞んで見えないが、蘭の心は少女のようにどきどきとときめいていた。
 この男性は誰なのだろう――思い出そうとしても、頭がずきりと痛んで分からない。
 美しい庭園で豪奢な服を着た高級な階級の人々。その上座に座る蘭は色んな人と会話をした。
 そして貴族の娘らしい華やかな女性達に誘われて、蘭は花を生け始める。
途中までは上手くいっていたのに、急に茎が裁てなくなってしまった。
何度も力を込めて切ろうとしても無駄であった。
 侮蔑した笑い声が響き、舞う桜と同じように渦となっていく。
 その中心で、艶やかに光る赤い唇が醜悪に笑った。
「はあっ……ああっ……」
 それを思い出した瞬間に、蘭の呼吸は乱れて、胸が締め付けられるほど苦しくなっていく。
「蘭っ……どうした、蘭っ!」
 遠くで長虎がそう呼ぶ声がしたが、蘭にはもうそれを確認する時間はなかった。
――あの時と同じ、同じ屈辱をここでも味わってしまった
 悲しいのか苦しいのか分からずに、蘭は激しい頭痛の中で、意識を闇に沈めていった。






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