河畔に咲く鮮花  

第四章 四十一輪の花 4:親衛隊と蘭


 *** 


 早朝に目が覚めて、昨日の片付けをしようと蘭は同じ場所へと向かった。
 秋の風は肌寒いほどで、蘭は自分の身を両手で抱きしめる。
 道場らしき室内からは、なにやらきゅっきゅっと床を踏みしめて鳴る音が聞こえてきていた。
 このような早朝から誰かいるのかと蘭はこっそり室内を覗く。
――え?
 そこには長虎が竹刀を持ち、鍛錬をしている姿が目に飛び込んできた。
一生懸命な眼差しで技を磨く姿は、いつもと違った様子で格好良くも映る。
 さすがは覇者たる者、剣術にも精が出ると蘭は少しだけ長虎を見直して、片付けをし始めた。
「あれで、喋らなければいい男かも知れないのに」
 破片を片しながら呟いた頭上から、冷たい声音が降って来る。
「誰が、喋らなければいい男なんだい? 君は人の稽古を覗き見しておいて、文句しか言えないのかな」
 長虎の嫌味も冴えていて蘭はぐっと言葉に詰まり、ゆるゆると顔を上げる。
 竹刀をこんこんと肩で弾き、眉をしかめて見下ろしてくる長虎が恐ろしくて、蘭は思わず身を引いてしまう。
――いつの間に来たのよ
 不愉快な顔をした長虎が恐ろしくてつい視線を逸らしてしまう。
「これ、指の怪我に貼っておくといいよ」
 ――はい?
 思わぬことを言われて、蘭は視線を長虎に戻した。
 長虎が機嫌が悪そうにしながらも差し出してきたのは、絆創膏であった。
――この人、傷のことを覚えていたんだ
 もしかしてわざわざ渡す為に、身につけていたのかと思うと蘭は呆気に取られる。
「君を女性として扱っているわけでないから、勘違いしないでくれよ。ペットの野猿が怪我したとなれば、このくらいのことはする。動物には優しく接しなければね」
――ペットって……
 ペットの野猿扱いされて唖然とするが、長虎はいつまでも絆創膏を受け取らない蘭に業を煮やしたようだ。
「本当に野猿は知能も低いらしい。手間がかかって仕方ないよ」
 苛々しながらも長虎は蘭の指を取り、絆創膏を自らの手で巻き始める。
丁寧に貼っていく様子を見て、蘭は目を何度も瞬かせた。
「ありがとうございます……」
――何だか……意外だわ……
 綺麗に絆創膏を貼られた後に、蘭は恐る恐る長虎に礼を述べる。
「ペットの世話をするのも主人の努めだよ。さぁ、父の朝ごはんを作るんだろう? さっさと行くんだ」
 長虎は冷たい表情は崩さずに、蘭にそう命令した。
 思いがけない言葉だが、蘭は少しでも長虎が認めてくれたことに感謝して、頭を下げて調理場へと向かった。

***

 その日は長虎が一日中、家を空けるようのでお目付け役にアキがべったりと蘭に張り付いている。暇だから湖畔でボートに乗るというアキに連れられて、蘭はオールを漕ぐ役目を貰った。
「ボクはか弱いから、あんたが漕いで。野猿って長虎に言われているぐらいだから、力はあるんでしょ」
 アキが日傘を差して、笑いながら蘭をくすくすと笑う。いつの間に長虎が野猿とアキに言ったのかは知らないが、蘭としては不服なものだった。もう少し言い方はないのかと少しだけふくれっ面をする。
「今度はあっちに行って」
 アキが優雅に指差す方向にボートを漕いで、蘭は肩の息をあげる。人使いが荒いアキはあっちこっちと指図しては、蘭の体力を消耗させていった。
「しっかし、汚い服ね。色気の欠片もないじゃない。長虎は着替えを貸してあげてないの?」
 蘭は動きやすいようにつなぎの作業着を着て、オールを漕いでいる。
「こちらの方が動きやすいんです」
「ボクの洋服をあげてもいいけど」
 蘭をじっと見るアキのひらひらしたゴスロリチックな服装を見て、ゆっくりと首を横に振った。そのような格好では何一つ、作業ができない。
「ま、そうね。あんたみたいなおばさんで、野猿はボクの高貴な服は似合わないし」
 断られてむっとしたのか、アキはつんとそっぽを向いて、栗色の髪を撫で上げた。
「あ〜あ、早く長虎帰って来ないかしら。こんな野猿となんでボクが貴重な一日を過ごさなきゃいけないのか」
 アキは長い溜息を吐くと、湖面に揺らぐ落ち葉に目を落とす。
 嫌われていることは知っているので、蘭は敢えて何も言わずに、オールを黙々と漕ぐ。
「疲れたから、岸に戻して」 
 何もしていないのにと突っ込みたくなったが、蘭は静かにいう事を聞くとオールを岸に向かって漕ぎ始める。
 岸に到着して、ボートを杭に繋いでいると、木立からひょいっと知らない男が顔を出してきた。
 ボートの管理人かと思い、蘭は気にもしなかったが、その男はアキの前に立つと、気持ち悪い笑みを浮かべる。
「アキちゃん、今日こそ一緒に写真撮らせてよぉ」
 間延びした喋りの男はそわそわと体を揺すり、アキに擦り寄ってくる。
「嫌。なんでボクがあなたみたいな男と写真を撮らなきゃいけないわけ」
 アキはあからさまに不快な顔を見せて、身をよじらせて男から距離を取った。それでも男はしつこくアキに言い寄り、ついにはがつりと腕を掴む。
「離しなよっ! 勝手にボクに触れるなっ!」
 アキが嫌悪感丸出しで男に向かっては、暴れ始めた。
「ちょっと、嫌がっているでしょ。止めなさいよ!」
 蘭がオールを持って男に構えると、ようやく腕を離しては一歩引く。
「ここから立ち去りなさい! それと今後、こんなことはしないで。早く帰らないと、こうするわよっ!」
 オールを力任せにぶんぶんと振り回すと、男は驚きを目に刻んで一目散に立ち去っていった。
 男が姿を消した後で、蘭は地面に転がる日傘を手に取り、アキにさしてあげる。
「余計なことはしないでくれる。あんなのボクが本気になればいつだって撃退できるんだから」
 蘭からばっと日傘を奪い取り、アキはふんと鼻を鳴らす。
――せっかく、助けてあげたのに……
 可愛げのない少女だと蘭は思うが、十六歳程度の子供であればこんなものかと納得する。
 アユリに会った時も、最初はこんな態度で接しられていたことを思い出し、ふと笑みがこぼれた。
「ば、馬鹿にするなんて、えらそう。野猿のくせにさ」
 自分が笑われたと思ったのか、アキが思いついたように意地悪な笑みを浮かべる。
「そうだっ、ねぇ、さっき湖にネックレスを落としたみたいなんだけど、探してきてくれない?」
 唐突にそんなことを言われて、蘭はえっと目を丸くするが、アキは落としたと言い切る。
「それって本当なの?」
 蘭に問われて、アキはカッと顔を紅潮させた。
「嘘をついているとでも? 本当だよ。母さまから貰った大切なネックレスなんだから」
――大切なネックレス……
 それを聞いてアキの言うことが本当であると信じることにする。
――私も義鷹様からいただいたネックレスを落としたら、絶対に探し出すわ
「分かったわ……探してみるね」
「そうよ、下虜なんだからそのぐらいはしなさいよ」
 冷たく言われるが、蘭は今だけはネックレス探しに集中しようと意識を変える。
「じゃあ、どんなのか教えてもらえる?」
 アキからネックレスの特徴を教えてもらい、蘭は探し出そうと決心を固めた。
「ボクは長虎の家に戻って涼んでいるから」
 アキはそう言い残し、蘭はぽつんとその場に佇んだ。
 まだ陽は昇っていて暑いぐらいの陽気だ。
 プライベートの土地には人は入って来ない。先ほど撃退した男も蘭ではなく、アキが目当てだったので、もうここに来ることはないだろう。
 岸辺を探してもネックレスが見つからないことが分かり、蘭は潜って探そうと決心する。
――きっと湖は冷たいんだろうな……
 そのようなことが知られたら、また長虎に山猿といって馬鹿にされるだろうが。
――だけど探さなきゃ……
 湖は澄み切っていて透明度が高く、蘭は作業着と誰もいないことをいいことに、下着すら外した。
「――冷たいっ……」
 足をつけただけで凍りそうな冷たさだったが、首元につけてある義鷹から貰ったネックレスを握り、意を決する。
 蘭も義鷹から貰ったこのネックレスを落としてしまったなら、どんなことがあっても探し出すだろう。アキも母さまから貰った大事なものだと言っていた。
 気持ちが痛いほど分かると蘭は冷たい湖に潜り、アキのネックレスを探し始めた。
――透明だから見えやすいけど……
 夏でも冷たいというのに、秋のこの季節では何分も浸かっていられなかった。何度も体を湖から出して、太陽の光を全身に浴びては、繰り返し潜る。
――寒くて……手がかじかんでる
 いつの間にか日は暮れて、空には月が冴えざえと浮かびはじめた。
 この季節になると夜が来るのは早い。
 湖面に揺れる月を見ながら、蘭は呆然とその場に立ち尽くした。
 体力も限界で、体温も恐ろしいほどさがっている。
 何時か分からないが、長虎の父に晩御飯を作らなけれなならないと、我に戻った。
――ごめん、アキちゃん……今日はもう見えないわ
 アキにはまた明日探すと言おうと、白い息を吐き出した時に声が微かに聞こえてくる。
――誰か来る?
 それは徐々に近くなり、木立の間から長虎とアキがこちらに向かってきた。
 湖の中で足をつけて立っている蘭を発見して、長虎とアキは驚きの眼差しを向ける。
「ちょ、ちょっと、あんたまだ潜ってたの?」
 アキが焦りを刻んで岸辺に立つが、蘭は申し訳がなくて細々とした声を出した。
「ごめんね、アキちゃん。見つからなかったから、また明日潜って探すね」
 蘭が申し訳なさそうに言うとアキは絶句して、可愛らしい顔を歪める。
「あんた、馬鹿じゃないの! 嘘に決まっているでしょ! そんなもの落としてないよ」
 アキがそういうので、蘭は顔を上げてようやく安堵の息を漏らした。
「良かった。見つからないと辛いものね」
 蘭から怒りの言葉が返ってくると思っていたのか、アキは予想外の反応に呆気に取られて口を大きく開く。
「あんた、信じられないほど大馬鹿……」
 アキの声が少し震えて悲しそうに瞳を揺らめかせる。
「普通……そういうの信じないでしょ……ただの嫌がらせって分かるじゃない……それなのに……」
「……アキちゃん、ちょっとやりすぎたね」
 長虎がアキの頭をぽんぽんと優しく叩き、嘘をついた行為をたしなめた。
「君も早くあがってきなよ。いくらなんでも風邪を引く」
 呆れ顔の長虎に言われて、蘭は寒気を我慢しながら、水の中を歩いて湖から出て行く。
 蘭が岸辺に近づくごとにアキと長虎が目を点にして蘭を食い入るように見つめてきた。
――二人ともじっと見てどうしたの?
 何をそんなに見ることがあるのだろうと、蘭は首を傾げるが、それはすぐに分かることになる。
 湖から出て岸辺に立つ蘭を二人は魂が抜かれたように、ぽかんと間抜けた顔で見てきた。
「信じられないほど……綺麗……月の精みたい……」
 アキが恍惚とした表情を浮かべて、蘭をそう褒め称える。
 蘭の髪の雫は月明かりを弾いて、きらきらと散らばった星のように輝く。
 伝い落ちる雫は、寒さでぴんと尖った桜色の蕾の上を滑り、白い腹やすらりと伸びた足にも滴っていく。
「あっ……」
――私、裸で湖に潜っていたんだった
 蘭は始めてそこで自分が生まれたままの姿だということを思い出して、脱いだ服のところに走っていった。
「ご、ごめんなさい。お粗末なものを見せてしまって」
――絶対に呆れている
 蘭は濡れたまま下着をつけて、作業着を着るとまだ惚けたままの長虎とアキに振り向く。
 大きな失態をしてしまったと蘭は反省をし、二人の視線から逃げるように走り去っていった。 






 





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