河畔に咲く鮮花  

第四章 四十輪の花 2:覇者・浅井長虎編《2》


 ***


「深緋(こきひ)の宴にようこそ」
 メイドが深々とお辞儀して通してくれた宴の場は和室の広間で、黒い御影石の長テーブルに椅子が設置されてあった。
 紅葉を活けた花器や壷がところどころに置かれて、情緒深い秋の趣を演出している。
すでに席に着いている健吾は先に酒を一杯やって、ほろ酔い気分で蘭に片手を挙げた。
「よぉ、長虎の屋敷はどうだ? 気に入ったか?」
 ひっくとしゃっくりを繰り返し、健吾は陽気に笑いかけてきてはまたぐびりと酒を喉に流し込む。
 その隣にはメイド服を着た美少女が座っていて、蘭をじっと睨みつけてくる。
 背中の真ん中まで揃えられた栗色の髪を持つ、可憐な美少女は大きな瞳を蘭にぶつけてふんっと鼻を鳴らした。
メイドなのにどうして同じ席に座っているのか分からず不思議に思うが、健吾のお気に入りなのかとそう納得させる。
「こんな女、どこで拾ってきたの、健吾?」
 あからさまに敵意のある視線を向けてきている少女は、不快気に艶を含んだ唇を歪めた。
「アキ、そう邪険にするなって。色々とあるんだよ、大人の世界にはよ」
 健吾が大きな手でアキと呼ばれたメイド服の美少女の頭をわしゃわしゃと掻き乱して、
不敵に笑う。
「ボクはもう十六歳だよ。元服も済ませてあるし、成人なんだからね」
 つんとそっぽを向き、アキは滑らかで瑞々しい頬をぷうっと膨らませて、乱れた髪を手で解し直した。
「まぁ、とにかく座れよ。別に取って食おうってわけじゃねぇ」
「取って食べるほどのものじゃないと思うけど。ボクの方が若いし、肌も弾力あって綺麗だし」
 アキは髪を梳いてさらさらと毛先を宙に放ち、健吾の言葉に被せるようにそう言ってくる。
 蘭は自分の存在が快く思われていないことを感じ、静かに溜息をこぼしながら、端っこの椅子にちょこんと腰を下ろした。
「今日の宴は趣向を凝らしてみたよ」
 遅れて部屋へ入ってきた長虎は涼やかな瞳を流して、襖の向こうを見やる。
 左右に開かれた襖から出てきたものを見て、蘭は絶句してしまった。
「あ〜あ、最悪。だから長虎の変態趣向は嫌いなんだよね」
 アキも蘭と同じ胸中だったのか、可愛らしい顔を曇らせて、大げさなほどに溜息をついた。
 大きな鉢には女性が横たわっており、その体の上に刺身やサラダが盛りつけられている。
「長虎様、恥ずかしいでございます」
 女体盛りにされている女性は声を震わせ、鉢の上でなまめかしく体をくねらせた。
「はぁ、信じられないほど下品だよ。そんな女の体に乗っている刺身なんて食べられるわけないでしょ」
 アキがぶつぶつと文句を言うと、小分けにされた皿が目の前に出され、長虎がそれを食べなさいと促す。
「もちろん、胸に乗っているサラダから食べて……次に腹回りに下半身のルートでいくか」
 健吾が女性の裸を見たいのか、邪魔をしている刺身やサラダを取っては豪快に食べていった。
「おい、長虎は下半身に盛り付けてあるのを取って食べろよ」
 酔いが回って健吾は上手く箸が使えないのか、何度も胸の上に乗っている葉っぱを掴んでは落としている。
「きゃあっ! 健吾様っ――そこはっ」
 女性がびくりと肩を震わせて、喘ぎに似た声をこぼす。
 何事かと視線を向けると、酔った健吾は箸の切っ先で、女性の胸の頂きをつまみあげていた。
「おお、済まんな。でも、ここもうまそうだな」
 健吾はふらつきながらも箸の切っ先を持ち上げて、女性の胸の蕾をくいくいっと上に引っ張る。
「ふふふっ……さすがは健吾だね。酔っ払っても、女性の喜ばせ方を知っている」
 涼しい顔で見ている長虎に呆気に取られると、蘭はこのような趣向にむかむかと胸が気持ち悪くなってきた。
――なによ、この変な宴は
 覇者達の悪趣味な遊戯についていけず、自分がとことん下虜出身ということを思い知らされる。
 公人に貴族の養女となったと聞いたが、その時の思い出は一切なく、どちらかというと下虜の時の記憶の方が鮮明だ。
 覇者という雲の上の者達の呆れた遊びに、蘭は食欲も失せてただその場から早く立ち去りたかった。
「君も食べなよ。お腹が空いているだろう」
 食べないのを知ってわざと長虎はそう蘭にけしかけてきているのだろう。
――嫌な人
 繊細で整った美しい顔とは裏腹に、随分と意地の悪い奴だと蘭はしかめっ面をする。
「私はいりません。部屋に戻っていいでしょうか」
 抑揚もなく述べると、長虎は冷ややかな視線を送ってきた。
「君は客ではないのに、いい度胸だね。何様のつもりか知らないけど、はいそうですかって僕が言うとでも?」
 氷のような視線に蘭はじわっと嫌な汗が吹き出してきて、知らずに椅子を弾いては立ち上がっていた。
 健吾の顔からも一瞬で笑みが消え、こちらに鋭い眼差しを向けてくる。
 覇者達の威圧ある目線に息は上がり、蘭はごくりと固唾を飲んだ。
 それでも蘭は負けまいと勇気を振り絞り、拳を強く握りしめて、じっと見据えてくる長虎と健吾に向き直る。
「何が目的なんですか? 用事がないなら、さっさと私を解放して下さい」
 強気で言ったものの健吾の昨日の行いを思い出し、うすら寒さが全身を駆け巡っていく。
 平気で火を放ち、あの里を煉獄の地獄へ堕とそうとした恐ろしい男。
 蘭程度の小さき存在が抗える人間ではないのは十二分に分かっていた。
「いいな、その強い視線。睨まれただけで、イッちまいそうだ」
 健吾がにやりと笑うと場は一気に緩むが、アキは不愉快げに綺麗な顔を曇らせる。
「健吾、下品! 目的がないなら、こんな女、さっさとその変な里へ返せば?」
「そうだよ、僕も別荘といえど自分のテリトリーに良くも知らない女がいるのは疲れるのだけどね」
 アキに続いて長虎も蘭を排除しようとする動きを見せるが、健吾がふっと笑って箸を乱暴に放り投げた。
「こいつは今川義鷹の女かもしれないんだ。おもしろいと思わないか?」
 健吾が義鷹の名前を出すと、長虎とアキの顔色がさっと変わる。
「まじで言ってんの? あの今川義鷹の女って何かの冗談?」 
 アキが大きな瞳をまん丸にさせて、訝しげに蘭を眺めた。 
「それが本当なら余計、面倒なんだけどね。健吾、まだ御三家でもないのに、今川義鷹に逆らうようなことをしてやばいんじゃないかな」
 長虎が怜悧な顔に珍しく焦りを刻んで、声を微かに上擦らせては、健吾に非難を込めた眼差しを送る。
――義鷹様がどうしたの?
 覇者だというのに、階級の下の貴族である義鷹にこんなにも神経を尖らせる意味が分からなかった。
 それでも長虎とアキは神妙な面持ちをして、楽しげに笑う健吾に困惑しているようだ。
「私は義鷹様と特別な関係は持っていません。ただ、お世話になっていただけです」
 誤解を解かないと義鷹にも迷惑がかかると思い、それだけを淡々と述べる。
「そうだよ、ボクの方が美少女だし、可愛いし、若いし。モテモテだし。本当に今川義鷹の女だとしたら、趣味を疑っちゃう」
 アキが自分の方が蘭より美しいとメイド服のスカートの裾をつまんでは、くるりと回り栗色の髪をなびかせた。
「それは待っていたら分かることだ。それまで、長虎の別荘に置いてやってくれ」
 健吾は手で人払いすると、メイドもシェフも下がり、女体盛りの女性も慌ただしく去っていく。
「自分の屋敷は綾乃さんがいるから、怖いんだね」
 長虎に図星を言い当てられたのか、健吾は口に含んでいた刺身を喉に詰まらせた。
「綾乃姉さんは怖いからねぇ。鬼の健吾も頭があがらないもんね」
 アキは健吾の慌てた様子を見てくすくすと可憐な笑みを浮かべて楽しげに笑う。
「ともかく、逃げようとしたり、誰かに助けを求めようとしたら、あの里を焼き払うから、肝に命じておくんだな」
 健吾が刺身を飲み込んで警告をしてくるが、蘭にとっては釈然といかないものだった。
「ただ俺は退屈を紛らわせてくれる出来事があればいい。それだけだ」
「呆れる、それだけで今川義鷹に挑戦するとはね。徳川と豊臣に庇護された、裏の御三家と言われている、覇者より権力を持つ貴族なのに」
 健吾の悪い癖が始まったとばかりに長虎は、わざとらしく肩をすかして、整った顔をしかめる。
 だが、どこかその口調は楽しそうな調子を滲ませ、瞳も嬉々と輝いていた。
「そうだよね。あいつってさ、貴族の癖に覇者より権力あるって生意気なんだよね。ボクだって覇者だっていうのに。ああいう取り澄ました顔を崩してやりたいかもね」
 何気なく呟いた覇者という言葉に蘭は、アキの顔をちらりと盗み見する。
メイド服を着ているのはただの趣味だと知り、この三人は紛れもない覇者という位だと気がついて、逃げられる保証がないと落胆した。
アキがただのメイドであれば、蘭を嫌いなようだし、隙を突いて逃がしてくれるかもと思ったが、それはもうないと悟る。
だが、それでも一縷の望みをかけて、蘭は義鷹が自分のことを何とも思っていないと言うことを伝える。
「私に期待しても無駄です。下虜なので、義鷹様には分不相応の身分ですから」
 義鷹が下虜の身分の蘭を相手にするはずがないと言い切るが、その真実を聞いて三人は体を固まらせる。
 嫌な空気が流れ、蘭は静かに顔を俯かせた。
「嘘っ、伝染病とか持っていないよね?」
アキが大袈裟に後ずさると服をばたばたと払い始め、長虎も整った顔を崩して蘭を病気を持っているような目つきで見つめる。
 ――そうよ、汚いから屋敷に置きたくないでしょ
 まともな反応すぎて蘭はそれ程度では落ち込むことはしない。
 これで諦めて追い出してくれれば願ったり叶ったりだった。
「へぇ、下虜ねぇ。なるほどねぇ。これはますますおもしろい」
 健吾だけは動じずににやりと口元を歪めると、節くれだった指を蘭の顎にかけて力強く上向かせる。
「お前、徳川家朝を知っているか?」
 蘭の目の前に健吾の精悍な顔が近づいてきて、片側だけ髪から覗かれた左目が鋭く射ってきた。
――徳川家朝……?
 その名前を聞いても蘭にはさっぱりなんのことか理解が出来ない。
 確か、少年覇王と話題になっている人物だが、覇王など雲の上すぎて知る由もない。 何をくだらないことを聞いてくるのだろうと蘭は眉をしかめるだけだった。
 それでもなぜか、失った記憶がざわりと騒いで――。
 蘭は首を横に振って、意識から取り払う。
「まあいい、これから退屈はしなさそうだしな。嫌でもお前が何者であるか分かってくるはずだ」
 全てをゲーム感覚で捉えている健吾にぞっと背筋が震え、檻の中に閉じ込められた感覚になる。
 蘭は餌でそれに群がる獲物を引っ掛けては、なぶるように倒して行こうとする。やはりこの男はふざけているようで、油断は出来ない。
――私を退屈しのぎのゲームの駒にしようと言うの
 そこには人としての意思が排除されているようで、蘭に下虜時代のことを思い出させる。
 下虜には人権も誇りすらももたせてくれない。
 ――覇者とはなんて身勝手なの
 不快を込めた目を覇者達に送るが、全くその意思は通じていないようだった。
「本当にいい加減にして欲しいよね」
 何を言っても健吾には無駄だと悟っているのか、長虎は大げさな溜息を吐き出し、アキはまだ納得してなさそうな表情を浮かべる。
 二人にしては急に現れた素性も知らない女が、自分たちの庭を荒らしに来たと迷惑を被っているのだろう。
 嫌そうな顔を見て蘭も同じだと肩を落とすが、健吾だけはいつまでも楽しそうに笑みを浮かべていた。






 





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