河畔に咲く鮮花  

第四章 最終章編 四十輪の花 1:覇者・浅井長虎編

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蘭は陽の光をまぶたに感じ、その眩しさで目を開き、焦点の合わない視線を辺りに彷徨わせる。
 昨日の夜に健吾に連れられ、車の中で蘭は薬を嗅がされると深い眠りについてしまい、気がついたらここにいるというわけだ。
 部屋は和室のようだが、ダンボール箱や洋服や見ても分からない置物が畳の上に散財している。
 その隅っこの申し訳程度にしか空けられていない空間で、蘭は掛布団だけをかけられた状態で寝かせられていた。
 畳の上で直接に寝ていた為に、体がぎしぎしと痛み、まだ冴えていない頭を軽く振っては、状態を起こす。
――ここはどこ?
 健吾の家だろうかとぼんやりした脳で考えるが、何も答えは出てきはしない。
 とにかく無理やりに連れて来られた蘭は何の目的があるのか問いただすべく、健吾を探すことにした。
 荷物を避けて部屋を出ると、目の前に白い塀に囲まれた庭が目に入ってくる。高い塀にぐるりと四方を囲まれているが、ここだけは部屋の中とは違って、整然とした美しさがあった。
 砂紋が敷かれて、ところどころにある置石には苔が生えており、綺麗にカットされた植木に、紅葉を映し出した鏡のように澄み切った堀池がある。
 鯉がいるようで、ときおりぱちゃんと水を弾いて跳ねては、赤い背紋が池の表面から姿を現す。
 波紋を作り出し、浮いていたもみじの赤い葉がゆらゆらと揺れる様は、どこかしら見惚れるほどに美しい情景であった。 
「やぁ、ようやくお目覚めかい?」
 鈴を転がすような美しく綺麗な声がかかり、ようやく蘭はその庭に人がいたということに気がつく。
 紅葉の木を見上げていた人物はこちらにくるりと振り返り、蘭を真っ直ぐに見つめてきた。
 涼しい切れ長の瞳は、朝露を含んだようにしっとりとした深さを湛え、潤んだ唇は微かに上がっている。
 ざぁっと吹く風によって、青年の頬にかかっていた繊細な髪がさらさらと音を立てるように後方に流れていった。
 着物を着崩して身に纏い、美しい景色に溶け込んでいる姿は、まるで一枚の絵のような完成度。
 一つの飾られた芸術品を見ているような気分になり、蘭は何も言えずに呆然とその場に立ち尽くしてしまった。
「僕はこの屋敷の主人で、浅井長虎(あざいながとら)というんだ」
 絵の中の人物は形のよい唇を動かせて、蘭に喋りかけてきた。
 長虎という猛将のような名前とは正反対に、青年は清冽な香りを漂わせる美丈夫であった。
 だが美しく澄んでいる美貌の中にどこか冷たい匂いを纏わせている。
「もう、夕刻近いというのに随分と長い間、寝ていたね。君は居候、いや、人質というべきか。とにかく、厚かましいと思わないかい? 急に来られても迷惑だけだというのに」
 嫌味気に物を言う長虎は眉を少しだけしかしめて、ようやくこちらに向かって歩いて来た。
 絵の中の青年が動いた感覚になり、思わず蘭は一歩だけ身を引いてしまう。
「君……今、僕を避けたね」
 長虎は不愉快そうに唇を引き結ぶと、蘭のすぐ目の前に立っては、じろじろと物品を見るように眺め回してくる。
「警戒しなくてもいいよ。僕が君みたいな娘に手を出すとでも?」
 長虎は冷たい視線を投げかけてくるが、蘭は胸辺りがもぞもぞとくすぐったい感覚になり、思わず目を落とす。
 そこには長虎の長い指先が蘭の胸に食い込み、やんわりと揉みしだいていた。
「ちょっ……! 言っていることとやっていることが違うじゃないですか!」
 蘭はすぐに長虎の手を振り払い、自分の胸を両手で隠しては睨みつける。
「ああ、僕としたことがつい……やってしまったようだ。女性を見ると触れなければ失礼に値する癖が出てね。だからといって君が特別ということではないから勘違いしないように」
――なんなの、この人……
「……別に勘違いしませんけど」
 呆気に取られて長虎を見つめるが、その表情は涼しいもので何一つ悪びれた様子はない。
 静かに佇む長虎という青年は、志紀と同じ年頃に見える。
 つい人魚の里を思い出し、憂鬱が襲ってきて長く深い溜息を吐き出した。
「辛気臭い顔だね。ただでさえ、君が来て気鬱だというのに、それ以上に暗い雰囲気を醸し出さないでもらえるかな」
 淡々と喋る長虎の言葉の端々には刺々しい険が含まれ、蘭は一層気持ちが沈み込む。
――この人、顔に似合わずねちねちと嫌味だわ
 長虎に言われずとも、すぐにでも帰りたい。
 そのような嫌悪感丸出しの言われ方は蘭にとっては心外だった。
 ここに連れてきたのは、健吾だからだ。
 蘭自身が望んでここの来たわけではない。 
「じゃあ私を里に返して欲しいのですが」
 迷惑そうな顔をしている長虎に訴えかけるが、大袈裟に溜息を吐き出しては、さらりと髪の毛を掻きあげた。
「そうしたいんだけどね。健吾がしばらくこの別荘で預かってくれと言ってきてね。どうやらおもしろいことがありそうだからってね。幼馴染の僕は仕方なく了承してしまったわけさ」
 蘭を見つめる長虎の口元が、意味ありげに微笑むと急に周りの温度が下がった気がした。
 端然とした顔に浮かぶ冷笑は氷のようで、その冷たい美貌に肌が切り裂かれそうな感覚になる。
「別荘……?」
 蘭は長虎の後ろに見える塀の向こうに、鬱蒼と茂る木の群生を見つめた。
 人魚の里を囲む木とは種類が違い、ひのきや白樺がある。
 この場所は人魚の里より離れた場所にあることに気がつき、知らない場所に連れて来られた恐怖で、ひんやりと冷たいものが背筋を走っていく。
 別荘地ということは周りにはきっと誰もいないだろうし、助けを呼ぼうとしても暗く冷たい森が広がっているだけだ。
 なかば絶望的な境地で、これから何が待ち受けているのかと柳眉を曇らせる。
――怖い……こんなところで……たった一人なんて……
 志紀やアユリ、真紀子に公人……人魚の里のような暖かさはここには欠片ほどもなかった。
 あるのは冷たくて、乾ききった無情なものだけで――。
「さぁ、宴が始まる時間だ。健吾とアキちゃんも来るから、君も是非とも出席してくれるかな」
 涼やかな美声には有無を言わせない強い口調が交じり、蘭は見えない威圧感に言い返す余地もなかった。
――この人……覇者なのかしら……妙な威圧感があるわ……
 質問したいことは山ほどあるのに、長虎に聞いても素直に返ってくるとは思えずに、蘭は諦めの溜息を吐き出す。
 ここに連れて来た本人の健吾が来ると聞いて、そちらに問いただせばいいかと宴とやらに出席するのであった。







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