河畔に咲く鮮花  

第一章 一輪の花 1:河畔にて


「……お姉さんっ! そんなの舐めちゃ駄目。病気になっちゃう」
 貴族様のそれも見惚れるほど美しいお姉さんが自分の涙を舐める。そんなことをしたら、お腹をくだしちゃうのではと思ってしまう。
「……大丈夫、蘭の涙はしょっぱいだけ」
 そう言って、お姉さんは頬の涙を優しく労わるようにぺろぺろと舐めとってくれた。蘭はそれが嬉しくてお姉さんにお返しをしたくなった。
 さっき、お姉さんは泣いていた。まだ頬には涙の筋が悲しげに残っている。
「蘭も、お姉さんの悲しみを取ってあげるね」
 蘭は小さな舌を伸ばして、お姉さんの柔らかくてきめの細かい頬を舐めた。お姉さんが喜んでくれるよう、一生懸命に舐める。
「ら……蘭っ……」
 お姉さんの唇がもの言いたげに喘ぐ。本当は触れてはいけないけれども、蘭は形のいいふっくらしたお姉さんの唇もぺろぺろと舐めた。
 お姉さんは驚いて一瞬、目を瞠っていたけど、すぐさま目をとろんとさせてされるがままになっている。
 すると今度はお姉さんが蘭の両頬を優しく両手で包みこんで、反対に唇を舐めてくれた。それは徐々に激しくなり、お姉さんは唇を吸ったり、甘く噛んでくれる。
「あっ……お姉さん……」
 甘ったるい声を出すと、お姉さんはますます激しく口づけしてきた。
「蘭っ……蘭っ……!」
 お姉さんが夢中になって蘭の唇に吸いつく。喘ぐ蘭の口の中にお姉さんの舌がおずおずと入ってきた。
 驚いたけどお姉さんが嬉しそうにしているのを見ていいかと蘭は思った。
 こういうのって百合って言うんだっけと頭の隅でおぼろげに考えて、お姉さんだったらいいやと蘭は目を閉じた。
 お姉さんの舌は歯列を割って入って来て、蘭の口内を舐め回す。
「んっ……お……姉さん……」
 蘭も夢中になり、お姉さんの舌に自分の舌を絡ませた。長い長いキスの後でようやくお姉さんは唇を解放してくれた。
「素敵だよ、蘭のキス。ごめんね、初めてのキスだったでしょ」
 蘭はそう言われて目を白黒とさせた。実はキスだけなら、したことある。お兄さんと。血の繋がりはないお兄さんと呼んでいる人だが。
「う、うん。お姉さんこそごめんね。下慮が相手なんて」
 初めてじゃないことを隠して、蘭はお姉さんの顔を覗いた。まだ熱っぽく頬を桜色に染めて、艶を帯びた瞳をしている。
 それがなんだか可愛くて、蘭はもう一度軽くちゅっとお姉さんの唇にキスをした。
「ねぇ、蘭の初めても私にくれる? いいよね。約束してよ」
 お姉さんは小指を突きたて、蘭に差し出して来た。
「いいよ、お姉さんだったら、蘭の初めてをあげる」
 蘭は太った男や禿げた男に抱かれるくらいなら、お姉さんにあげた方がましだと思った。女同士ではどうやるのは分からないが。小指を絡めて、蘭はお姉さんと約束をした。
 その誓いの証なのか、お姉さんは蘭では買えないような高価な指輪をくれる。蘭はそれには驚いたが、あまりに綺麗なので、いただくことにした。
 蘭の指にはぶかぶかなので、お姉さんが鎖をつけてネックレスにしてくれる。
 蘭とお姉さんはこの川原で何度も密会し、そのたびにキスを交わしあった。

***

 それから時は流れ、蘭が十八歳になった時。
 蘭の住んでいた区域は区画整理で、商人達に買われて色んなところに追いやられた。
 お姉さんとの逢瀬はたったの半年で終わってしまう。その後にすぐ住んでいた区域を追われたので、蘭は河畔には行けなくなってしまったのだ。
 生活するだけで苦しく、遊ぶ暇もなくなり、蘭は追われるように毎日を過ごしていた。
 今は商売人からの下請けで引っ越しの手伝い、壁塗り、板張り、ゴミ収集、何でもやをしながら蘭は働く。
 生活は苦しくても、蘭はあの日に貰ったお姉さんからの指輪は売らずにずっと身につけていた。
 蘭がゴミ収集をして、家に帰るのもとっぷりと日が暮れた頃だった。
 へろへろになり、作業着姿で帰る蘭の目にお兄さんの姿が見える。
 お兄さんは、明智光明――かの有名な裏切り者とされた明智光秀の子孫。 
 それが祟って、お兄さんは元は名だたる武将の子孫であったのに、現代は蘭と同じく下慮の身分であった。
 だけど醸し出す雰囲気や物腰、威圧感は覇者と変わらない。
 今の世は東が織田家、西が豊臣家が支配している。この二家は大の仲良しなので、喧嘩をすることはない。
 実質ともに、全国を支配しているのは、織田家の末裔。
 それは覇王と呼ばれ、名を轟かせている。
 もちろん蘭にとっては雲のまた雲の上の人で見たこともないが。
 世間の噂では、暴君で、血気盛んで野蛮な男。傍若無人だと噂されている。
 どうせろくな男ではないだろうと蘭は下慮の身分でそう思った。戦国の覇者がどれほど凄いのか分からないが、貴族のお金がなければ生活できないだらしない奴らだ。
「蘭か、仕事の帰りか?」
 光明が蘭に気が付き、隣にいた品の良さそうな女性が離れていく。光明の女癖の悪さは知っている。
 下慮の身分なのに、光明の麗しい姿は誰の目にも止まる。
 普通なら相手にもされないが、光明は貴族や覇者の姫達相手にも遊んでいると聞いたことがあった。
「お兄さんっ、今の誰? この間の人と違うけど」
 蘭は意地悪く言って、光明の肘をこづいた。光明は同じ人を連れていることがない。
 特定の人はいないらしく、いつも違う女性を連れている。
 付き合わないのと聞くと、相手も下慮相手に本気にならないだろうと言葉を濁す。
 だが蘭は知っていた。実はどこかの身分の高い、貴族の娘が下慮でもよいから光明を婿に迎えたい。そう言って、アプローチをしているとか。
「ゴミがついているぞ、蘭」
 光明の長い指が蘭の髪に触れ、軽く梳いていく。
「トリートメントをしているのか? 俺が洗ってやるから、来い」
 光明は引っかかった蘭の髪を見て眉をしかめると、強引に腕を引いた。
「そんなに高級なもの、買えるわけないでしょ」
 そんなことを光明に言っても無駄だと分かる。光明は一見、冷たそうに見えるが面倒見がよく、特に蘭には甘い部分があった。ずっと同じ下虜街の区域で住んでいて頭も良く、品もあり、子供から大人まで好かれていた。
 蘭も幼心に憧れて、光明を兄だと慕い、いつもべったりだった。光明も蘭を妹のようにかわいがり、どこに行くにも連れ回していた。
 今もそれは変わらず、光明は蘭のことになると必死になる。光明の家に訪れ、風呂場へ行くと思ったが、部屋へ連れられる。
「ベッドに寝るんだ。髪をてっぺんから垂らしてな」
 蘭は素直にベッドに寝て、頭を少してっぺんから出して髪を垂らした。
 光明が椅子に座りたらいにお湯を張り、膝の上に乗せる。
 そして、丁寧に髪を洗ってくれた。
「このシャンプーいいだろ、外国製のなんだ」
 光明が得意そうに言うが、どうせ貴族の女から貰ったものだろうと蘭は思う。
 光明の身の周りは色んなもので溢れていた。
 最新の電化製品も、服も全て貴族の娘、もしくは覇者の姫達からの貢物。携帯電話も何台も持って、女性用に使い分けているのも知っている。
 その中でも使えそうなものは蘭に分けてくれたりもする。優しく光明に髪を洗われて、蘭は気持ちよくなると目を閉じた。いつの間にか寝ていて目を覚ますと、髪はすっかり乾いていた。
「あれ……お兄さん……」
 まどろんだ目をこすると光明が椅子に座ったまま、こちらに体をねじった。読書していたのか、机に向かっていた光明は本を閉じて立ち上がった。
「疲れていたんだな、可哀そうに」
 光明の切れ長の瞳が細められる。すっと伸びた高い鼻筋に形のいい薄い唇。綺麗な顔にうっとりと見惚れていると、光明の顔が落ちて来た。
「あっ……んっ……」
 分かっていたが、軽く抵抗をして見せる。幼少期から変わらぬ、無機質な口づけ。
 光明は淡々としたキスを何度も蘭に浴びせる。
 この行為は愛ではない。ただの光明の挨拶。
 そう――蘭は思っている。
 貪った後に光明は唇を放し、濡れた口角を舌で舐めとった。それが当り前であるかのように光明は釈明も愛も何も囁かない。
 蘭は挨拶が終わったと知り、体を起こす。
「お兄さんありがとう、髪の毛」
「ああ、このシャンプーセットを蘭にやるからこれから使えよ」
 光明は髪を洗ってくれたシャンプーとトリートメントを渡してくれた。
「うん、分かった」
 蘭は断る理由もなくありがたくそれを貰う。
 光明の家を去り、二、三分で辿りつくあばら家。それが蘭の家だ。プレハブ小屋のようで、ぼろいが、幼少期と変わったのはテレビと風呂があること。テレビも光明からのおさがりではあるが。家に帰ると、両親とまだ小さな弟、妹がテレビにかじりついて観ている。
「ただいま〜」
 声をかけると、みんなが一斉に振り返り蘭の帰りを労った。その笑顔が蘭にとっては唯一の幸せ。
 このままずっと貧しくても暮らしていける、そう思っていた。








 





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