河畔に咲く鮮花  

第三章 三十六輪の花 2:上杉家の鬼姫《1》


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 上杉綾乃は弟の健吾が少年覇王に会いに行っている間、見物を兼ねてショッピングをしていた。
 だが、雑誌を手にした綾乃は、商売人と一般市民街においしいご飯やがあるという情報を見て、覇者の娘だというのに、お忍びで訪れることにする。
 普通は、覇者の娘は出向いてもせいぜい貴族街ぐらいなものだ。
 しかもうっとおしいほどの護衛を引き連れて、歩き回らなければならない。
 それは名家の娘なら当たり前のことであった。
 だけど、綾乃は名家の上杉家の娘だというのに、そんなことはお構いなしである。
 合気道や護身術を身に付け、腕にはそこらの男より覚えがあった。それに御三家や、 覇者の反勢力とも関わりを持たない上杉家の健吾や綾乃の顔はあまり知られていない。
 下手に絡んでくる者もいないだろうと、綾乃はその豪快な性格で商売人街を闊歩していた。
 商売人達の街は色んな店が溢れて、外国の客も多く行き来している。
 おいしそうな麺屋や、甘味処、うなぎ屋に、お菓子屋、それぞれを見ては感動する。
 覇者や貴族街は肩の凝る店ばかりが軒を連ねていた。
 そのどれもが老舗で、高級な構えである。
 そんな格式ばった店に飽き飽きしていた頃だったので、ここに来れたのは本当に嬉しい経験だ。 
 街の中は、覇者街や貴族街と違って、雑然としているが、活気のあるのを見ることができて、その新鮮さに心をくすぐられる。
「やはり、いいわね。こういう街は」
 綾乃は切れ長の美しい瞳をきらきらとさせながら、あちこちと見回りながらあくせく働く人々を見つめた。
 ここもいいけど、行ったこともない一般市民街まで足を伸ばしてみよう。
 綾乃の好奇心はとどまることを知らない。
 行くなら普段行けない場所まで行って、暮らしをこの目に焼き付けたいと思った。
 綾乃は決めると、商売人の街を通り抜けて、一般市民街へと足を運ぶ。
 こちらはこちらで、楽しい場所であった。
 職人が多いのか、店の前で鍋を叩いて直したり、靴を磨いて綺麗にしたり、安そうな服をミシンで縫っていたり。
 目に映るものは全て新鮮で、綾乃の気持ちを楽しませてくれる。
 そうこうしていると、店の前で人だかりができていた。
 綾乃は好奇心に負けて、近づいて聞いてみるとどうやら喧嘩をしているらしい。
 一人の男が殴り始めて、殴られた男の仲間が参戦すると、場は乱れ出した。
 綾乃は見ているだけと思っていたが、つい体が疼くとその喧嘩の真っ只中へ入ってしまう。
「待ちなさい、あなたたち。こんな昼間っぱから喧嘩なんて。およしなさいよ」
 姉御肌が身についていた綾乃はいつもの調子で喧嘩の仲裁に入る。自分の領地でも喧嘩をしている者達を見ては、すぐに止めに入る癖がここでも出てしまったようだ。
 本来なら上杉家の綾乃姫とみんなは知っている為にすぐに喧嘩は終わるのだが、ここではそんな常識は通用しない。
 血の気の荒い男たちはくるりと振り向くと、女相手にも容赦することなく拳を振り上げた。
「女に手をあげるなんて! あなたたち、ふざけるのもいい加減になさいっ!」
 綾乃は振り下ろされた拳をひょいっと横に避けて、男をなんなく交わす。
 それを見ていた他の男は女に舐められたのが苛々としたのか、一気に襲いかかって来た。
「ちょっと、多勢に無勢って卑怯でしょ!」
 綾乃は流石に狼狽すると、両手で顔を庇う。最小限に怪我を防ぐためだ。
「みなさん、落ち着いて下さい! 女性一人に大人気ありません」
 凛と澄んだ声が響いて来たと同時に、綾乃を取り囲んでいた男達が一斉に吹き飛ばされる。
 綾乃が何事かと恐る恐る目を開けると、男達は地面に腰をつけて、打撲したところを手でさすっていた。
 綾乃の目の前に立つ、まだ若い少女は手に竹刀を持って、男達を威嚇している。
「げっ! 小野家の師範代だぜ」
 少女を見た男達は血相を変えて、蜘蛛の子を散らすようにその場から逃げ去って行った。綾乃は背丈も大きくない華奢な少女の後ろ姿を呆然と見つめる。
 少女は竹刀を帯に収めて、くるりと綾乃に振り返った。
 綾乃は少女を見て、驚きを目に刻む。あれだけの男を一瞬で薙ぎ倒した熊のごとく荒々しい容貌を想像していたのに、少女は凛とした清廉な美しさを湛えていた。
「大丈夫ですか、服が汚れています」
 スっと少女はハンカチを出して、綾乃の服についた誇りを丁寧に払ってくれる。
「ありがとう、あなた若いのに強いのね。あ、私は綾乃」
 綾乃は上杉の名前を伏せたい為に、下の名前だけを少女に名乗った。少女はそれを深く追求してくることなく、にこりと可愛らしい微笑みを浮かべる。
「私は、小野典子と申します。お見かけしたところ、綾乃さんはここら辺ではお見かけしませんが?」
 典子から聞かれて、綾乃は困ったとばかりに細い眉をしかめた。
「じ、実はえ〜と、ある方に囲まれていたんだけど、逃げて来て、ここに至るっていうか」
 咄嗟に嘘を吐いてしまうが、もっとましな言い訳はないのかと綾乃は口をつぐんでしまう。
「貴族の方にでも囲まれていた愛人さんってことでしょうか? なるほどだから服は上等なのですね」
 典子は綾乃の服が高級だということにようやく納得したようだ。
 確かに覇者の娘が、護衛一人もつけずにここまで来るとは、誰も考えはしないだろう。
 健吾がいなくて良かった。弟がいればあっさり身分を晒して、覇者と恐れおののく一般市民街から遠巻きに見られてしまう。
 そうなればおいしいお店にもは入れない。
 ほっと胸を撫で下ろし、綾乃はこの典子に街を案内してもらおうかと考えた。
「ねぇ、助けてくれたお礼にご飯をおごるわ。あ、貴族から逃げて来た時にお金をくすねておいたから、たんまりあるの」
 我ながら嘘が板についてきたと思い、遠慮する典子を強引に誘う。典子は躊躇っていたようだが、綾乃が肩を組んで離さない為に観念したようだ。
「だから、典子がおいしいって思う店に連れてってちょうだい」
 はぁ、と気乗りしない返事の典子を引っ張り、綾乃は古民家を改装した飯屋へ連れて行ってもらった。
 室内は畳張りで、テーブルも杉の木を加工して作ったものだ。
 縁側の向こうには庭があり、針葉樹が鮮やかに色づいている。
 落ち着いた雰囲気は、綾乃の故郷に思いを馳せた。
 上杉家は名家であっても、領地の者となんら変わらない生活をしていた。
 都会のような高層マンションに住まずに、この古民家と同じような平屋で暮らしている。
 夏は縁側で花火をしたり、スイカを食べたりするのが日課だ。
 田んぼもあるし、川も近くにあって、よく健吾と泳いだりもしていた。
 ここにある覇者街はどこも高い建物ばかりで、夜はぎらぎらとネオンが眩しい。
 星も霞んで見えるし、空気も悪かった。
 そう思うと、上杉家が御三家に入るのは、綾乃にとってあまりよろしくない。
 健吾まで毒されて、実家を高層マンションにしたり、街全体を変えてしまうということもあるからだ。
 父も弱ってきた為に、今回の話に乗ったのだろうが、綾乃は今のままで十分だと思っている。
「綾乃さん、なにを飲まれますか?」
 感慨深く耽っていたところに典子がメニューを差し出してきた。
 綾乃は何となくしんみりしてしまい、昼からだというのにお酒を注文する。
 酒豪でもある綾乃は、結局のところご飯というより、酒の肴ばかりを選んでしまい、ずっと豪快に飲みっぱなしであった。
「綾乃さん、大丈夫ですか?」
 典子は酒を扇ぐように飲んでいる綾乃に心配そうに声をかける。
 すでに呂律も回っていない綾乃は、平気と笑っているが、その足元もおぼつかない。
 面倒見のよい典子は綾乃をそのまま放って置くことが出来ずに、つい連れて帰ってしまうのであった。






 





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