河畔に咲く鮮花
第三章 三十四輪の花 1:ともの花嫁候補・本多稲穂編《1》
雑賀いちると本多稲穂は、ともの別宅で過ごすようになって数週間が過ぎた。 だが、稲穂を気に入っているはずのともは、公務、公務の毎日でなかなか別宅に訪れることはない。
身の回りのことは全て、徳川の家の者がしてくれる。
メイドも執事もシェフも、稲穂といちるに気を使い、良く世話を焼いてくれた。
買い物に行きたいと言うと、車が回されて警護も付けられて、どこにでも好きなところへ行ける。
スポーツがしたいと言うと、徳川が持っているスポーツジムや、テニスコート、乗馬クラブ、ゴルフなども無料で使用できた。
おいしい食事も提供してくれるし、贅の限りを尽くしてくれる。
そういう今も、稲穂が花を活けたいと言えば、すぐに新しい花器と何種類もの花が用意された。
いちるはソファに寝そべり、読書にいそしんでいる。
だけど集中力が切れて、のそりと起き上っては、花を活けている稲穂のテーブルに近寄った。
「なんかさ、家朝様ったら全然来てくんないね」
いちるはつまらなそうに口を尖らす。正直に言っているのは分かるが、それが稲穂の気持ちを少しだけ傷つけた。
なるべくそこは考えないようにしていたのに。
それでも稲穂は平気な振りをして、この部屋に似合う花を活けようと神経を集中させた。
何平米もある広い部屋は白を基調とし、調度品はロココ調で揃えられている。床も磨かれて美しい大理石だし、いちるが分かりもしない絵画や、彫刻がオブジェとして置かれていた。
外国の宮殿にいる豪奢さだが、ここには色がない。
絵画も派手な色彩のものではなく、淡いパステル調のものだ。
彫刻品も白であるし、この部屋全体が真っ白である。
そこで、少しでも彩りを添えようと、稲穂が鮮やかな色の花を活けていたのだ。
パチンと茎を裁ち切って、稲穂は目の覚めるような赤い花を剣山に挿していく。
「……家朝様は忙しいのよ、仕方ないことだわ。ここまでお世話をしてくれているのよ。いちるったら我がままよ」
とものことを悪く言われてか、稲穂は少しだけ険を含む声音でいちるをたしなめた。それを見て、いちるはにやりと意地悪くにやつく。
「へぇ、稲穂ってば家朝様に一目ぼれしたんだ?」
稲穂の手は止まり、裁ちばさみを持ったまま、いちるに振り返る。その頬は赤く染まり、驚いたように目を見開いていた。
いちるは図星だとすぐに勘づき、分かりやすい稲穂をもっとからかおうと口の端をあげる。
「やっぱ、顔? それとも権力? 金?」
いちるの低俗な質問に稲穂は困ったように顔をしかめた。名家の淑女だというのに、はしたない聞き方である。だが、海外留学の経験のある稲穂はそれも許容範囲であり、そういういちるに好感を持っていた。
「いちるったら、そういう口の聞き方だから誤解されるのよ」
稲穂が肩を竦めて注意するが、いちるは何も気にしない。
「アタシはアタシなの。あんな、気どって、取り澄ましている他の娘と同じくくりにして欲しくないね」
いちるが胸を張って言うから、稲穂はくすくすと肩を揺らして笑う。
「なにがおかしいのさ?」
いちるが顔を傾げて、笑っている稲穂の様子を窺った。
「思い出したの……いちると初めて会った頃のこと。ふふっ」
稲穂は微笑みながら、いちるとの思い出話に花を咲かせる。
そう――いちると出会ったのは、留学中の時だった。
実はいちるも少しの間だけ留学をしていたことがある。
だが、空気が合わなかったらしく、たったの半年で帰ってしまったのだが。
いちるとの出会いは――外国に留学している覇者同士の交流会だった。
みんながパーティドレスを着こなしている中、いちるはラフな格好で訪れ、他の者の度肝を抜いた。
そのような軽装で、本来ならば敷地にも入れないが、雑賀家は近畿・中国地方ではかなりの名家である。
そのおかげでいちるはあっさりと出席出来ることになったが、妙に浮いていた。
覇者の娘に息子がお互いに物色をし初めて、夜を共にする。
たった一夜の遊興の為にわざわざ開かれたパーティに稲穂は呆れたりもした。
親睦会ではなく、ただの夜伽の相手を探すだけの、くだらないパーティ。
一見、しとやかな娘達は裏ではかなり遊んでいた。
それがステータスとなっているようで、稲穂には理解しがたいものである。
派手なパーティは嫌いで、すぐにでも帰りたかったが、父から命令をされていた為にそれが出来ない。
パーティで出会った覇者の皆さんの家を教えなさい、などとくだらないいいつけを下されていた。
どうせ、花婿候補を探して来いという裏の企みはあったようだが、がつがつとしている息子達を見て、気が萎える。
気乗り出来なく一人でぽつんと立っていると、どこかの覇者の息子が声を掛けて来た。
男は喋りながら、稲穂を品定めしているようであり、居心地の悪さを感じる。
だが、徳川と懇意にしている本多家と聞くと、男は顔色を変えてそそくさと立ち去って行った。
とはいっても、稲穂は物ごころついた時から、外国へ留学中なので徳川の当主と顔を合わしたこともない。
父は交流があって、稲穂と三、四歳年下の跡取りがいるとも聞いたことがあったが、関係ないと思った。
どうせ斎藤家などと肩を並べる名家の娘を娶るに違いない。
だけどこの場では、纏わりつく男を振り払うには好都合だと感じた。
御三家の徳川家と懇意にしている家というだけで、自分は格が違うと思ったのか、みんな尻尾を巻いて逃げて行く。
煩わしい交流をしなくて済み、稲穂はわざとに本多の名前を出しては男達を振っていた。
その話を聞きつけたのか、毛利家や島家という名だたる名家の娘がやって来て、ケチをつけてくる。
自分達が懇意に出来ない恨みなのか、地味なナリで品位を落としているや、徳川様も趣味が悪くなられた、などと嫌味を飛ばしてきた。
――つまらない嫉妬だわ
嫉妬と羨望を見て取るが、稲穂にはどうすることも出来ない。
徳川と懇意にしているのは、自分ではなく父だと言っても納得はしてくれないだろう。
娘達はヒートアップしてきて、稲穂の髪などをいじり始める。
ださい髪型だわ、などとお上品に喋ってはわざとにくしゃくしゃにした。
時代遅れのドレスですわね、脱がしてあげましょう、などと今度はドレスを脱がしにかかる。
覇者の娘といってもこうした陰湿ないじめを堂々とやってのける。
嫉妬された稲穂を他の娘達は助けることなく、男達も関わりたくないのか、遠目に見ているだけだ。
締めつけられたコルセットの紐を解かれて、ずるりとドレスが下がる。
――ドレスが……
さすがに稲穂は焦り、必死で胸元を隠した。だけど、娘達がそれ程度で終わるはずがない。
胸元の手を取られて、外されそうになった。
その時、ばしゃんという音と共に、娘達の動きが止まる。
飛沫が宙を舞い、娘達の頭から濡らしていき、残った雫が稲穂の口に飛んで来た。
ほろ苦い味が口腔内に広がり、稲穂はこれはビールだと確信する。
――え……どういうこと……
目の前の娘達は頭からぽたぽたとビールの雫を垂らしては、茫然とその場で固まっていた。
稲穂も目を瞬いて、なにが起きたか理解するのに時間がかかる。
「あんたら、男にモテないからって嫉妬するんじゃないよ。格好悪いね」
威勢のいい快活な声が飛んで来て、稲穂は娘達の後ろに立つ女を見た。
それが、雑賀いちるである。
稲穂は衝撃を覚えて、ただただいちるを見つめていた。
こんなことをする人がいるなんて、凄い人だわ。
稲穂にはないものをもちあわせている、行動力は驚くばかりで一瞬で目を奪われてしまった。
それがいちるに出会った稲穂の第一印象であった――。
183
ぽちっと押して応援して下されば、励みになりますm(__)m
↓ ↓ ↓
next/ back