河畔に咲く鮮花  

第三章 三十輪の花 1:ともの花嫁候補《2》


 パーティルームには三十人以上はいるだろうか。
 部屋の中央にはジャグジープールがある。
 これはベランダのデッキウッドにも設置されてあった。
 部屋の明かりは落とされて、バーの派手な電飾とレーザー光だけで十分見渡せる。
 ジャグジーの明かりも点けられて、秀樹が虹色バージョンと叫び、七色に光る。
 いかがわしいムードの中で、淑女、御子息と呼ばれた者達は水着になったり、下着姿のままでジャグジープールに飛び込む。
 秀樹も下着だけになって、カクテルグラスを持ったままジャグジープールに入ると、淑女を囲んでは楽しそうにはしゃいでいた。
 ともは詰めた襟首を外して、暑苦しいボタンを開け放つ。
 ざわざわと騒ぐ猥雑な雰囲気を見ながら、ともはつまらなそうに溜息を吐いた。
「坊ちゃん、カクテルをどうぞ」
 バーカウンターに背もたれしていたともの後ろ姿に声がかかる。
 ともは振り返り、普段は徳川家のワインソムリエをしている男からカクテルグラスを受け取った。
「どうも、ありがとう」
 いつもより活き活きしながら、シェイカーを振る男を見てともは呆れる。
 ワインソムリエの時は、にこりとも笑わない能面男なのに。
 こういう低俗で庶民的な遊びの方がこの男は好きなようだ。
――品がないといえば、こっちもそうか
 ともはグラスの中で、桜色に揺れるカクテルを飲みながら、パーティに興じている覇者や貴族達を見やる。
 ドレスやタキシードを脱ぎ捨て、あられもない姿で踊ったり、プールで泳いだり。
 上流階級の者が呆れる醜態だ。
 小さい頃から親に連れられて、こういう派手なパーティを見て来たともにとっては、今更心が躍る体験でもない。
 ブラも取り払って踊るセクシーな娘を見ても、別に興奮することもなかった。
 きっと幼い頃から女体を見過ぎて、普通のことだという感覚になってしまったのだろう。
 ヌーディストビーチに行っても、それが生まれたままの姿で自然であり、いやらしくも思わないし、エロイ性欲にも駆られない。
 そんな、普通ではない感覚。
 秀樹と言えば、もう数え切れないほど女を抱いているはずなのに、その性的欲求はおさまらないようである。
 二人の女に挟まれ、胸を顔に押し付けられては、嬉しそうにはしゃいでいる。
 ある意味、羨ましいと思いながら、その様子を眺める。
 そこに数人の娘が、下着同然の姿で、恐る恐るともに近づいて来た。
 一昔はまだ気軽に娘が話かけて来ていたのに。
 徳川の当主となり、覇王となった今では、遠慮がちに娘達は遠巻きに見てくる。
 ともにとってはそちらの方が好都合だった。
 煩わしい女共にいちいち断りを入れるのが面倒くさいから。
 十五歳の元服の時は、童貞の相手を募集なんて言っていた頃が懐かしくも感じる。
 ――あの時はまだ幼かった
 雪と秀樹に追い目を感じながらも、全ては手に入ると思っていた子供の頃。
 大量の娘達から募集がかかって、生意気にも写真選考や経歴を見たり、どんな子と初体験をしようかわくわくもしていた。
 それなのに――そんな矢先に出会ってしまった。
 どんな子よりも輝く、荒野の花を。
 下慮だろうが、心を惹きつけられ、魅了されたあの瞬間。
 ともは、色気を醸し出して、お伺いを立てて来る目の前の娘達ちらりと眺める。
 ――やはり蘭おねーさんには誰も敵わない。
 どれだけ綺麗だろうが、どれだけスタイルがよかろうが、どれだけ家柄が良くて教養があるだろうが。
 明らかに落胆した色を浮かべるともを見ても、目の前の娘達はそれに気がつかない。
 そわそわしながら、一人の娘が声をかけてきた。
 輪の中で一番年上で、ともよりも年齢は上だろうか。
「家朝様、この度は新生・覇王に就任おめでとうございます」
 黒く長い髪を腰までさらりとなびかせ、艶っぽい唇をなまめかしく動かせた。
 色気には絶対の自信を持ち、これまでも覇者の男達を虜にしてきたという感じだ。
 ブラジャー姿の女はわざと谷間を見せつけ、ともの気を引いている。
 目の端に入ったジャグジープールにいる秀樹が慌てて顔を逸らせた。どうやら、童貞の相手をみつくろってやると言ったのがこの女達らしい。
 覇王となったともは、前より雰囲気が変わり、声がかけづらくなったのだろう。
 子供らしい無邪気さが消えたともに娘達も気後れをしている。
 そこで秀樹が焚きつけて、この娘達を仕掛けたのだ。
 女は艶やかに笑い、しっとりとした喋りをしては、ともに話しかけてくる。
 こういう手合いは一番、嫌いなんだよなぁ――
 ともは虚ろに考えて、色気しかない女を感情のない瞳で見つめた。
 ――どうせ頭の中は、エロイことばかりと覇王の妻の座だろ?
 童貞だと思っているともに色気で迫って、いちころにする。
 その上、寝れば床上手で骨抜きに出来るって腹だろ?
 だから、そういう打算的な女は一番嫌いなんだってば。
 ふっと雪のことが頭に思い浮かぶ。
 確かに雪もそんなことを言っていた。
 織田の名前や覇王に群がるステータス目当ての女にはうんざりだと。
 それがなければ、俺はただの男だ。
 名もないその時に、今まで擦り寄って来た女が一人でも傍にいると思うか、とも?
 答えは、誰もいないが正解だ。
 結局は権力と金に群がる、計算高い女達ばかりなんだよ。
 別にそれでもいいじゃん、なにが不満なの?――そう、ともは悩む雪に気軽に言ったことがある。
 権力と金がある家に生まれた者の特権だし、それだけいい女も手に入る。
 他の者が手出し出来ない極上の女がモノに出来る。
 それの何がいけないの?
 女だって、計算はするだろうし、明け透けの欲望もかわいいものじゃない。
 ともは無邪気に言っていた昔を思い出して、軽く溜息を吐き出した。
 雪と同じ立場になり、いい思いをしようとあからさまに顔に出ている女を見て、急につまらなくなる。
 やばい、雪の気持ちが今更ながらに分かる。
 別に自分のことを好きじゃなくても、その権力と金にすがり、ブランド品を買いあさり、海外に旅行に行き、時には若い燕を囲って遊んだり。
 そんな欲望の渦が、心ならまだしも、顔に思い切り出ているって笑える。
 ともは、ばさりと髪を掻きあげて、まだくだらない話をしてくる女を見据えた。
「家朝様、今度我が家でパーティがありますの。どうぞ来て下さいまし」
 何も言わないともに受け入られたのかと思ったのか、今度は違う女が話しかけてくる。
 黒髪の女はむっと顔をしかめて、同じグループの娘に目を向けた。今度はともと同じ年齢ぐらいの娘のようだ。
 若さでは負けないといった傲慢さが見えている。
 巻き髪にしているのを見て、ともはコロネパンみたいだとぼんやりそれだけを思った。それを見つめられていると感じたのか、コロネ娘は頬を染めて、ぐいぐいと輪の中に入って来る。
それを気にくわないのか、黒髪の女が体を差し込み、前へ行けないようにした。
「ちょっと、邪魔をなさらないでくださる?」
 コロネ娘がむっと顔をしかめて、黒髪女に鋭い口調で放つ。
「あら、貧弱でしたので、いるかいないか分からなかったわ。ごめんあそばせ」
 黒髪女は豊満な胸を突き出し、コロネ娘の胸を見てふんと鼻でせせら笑った。それにはコロネ娘もカッと頭にきたのか、黒髪女のブラジャーを力任せに剥ぎ取る。
「大きい割には、もうお年ですものね。すでに垂れさがっているじゃありませんこと」
 コロネ娘がブラジャーをぽいっと床に放り投げて、黒髪女の胸をなじる。黒髪女は胸を手で隠して、わなわなと体を震わせた。
「なんですって! 覇者の中でも名家のわたくしに恥をかかせてどうなるか分かっているのですの!」
 黒髪女は怒りを滾らせて、コロネ娘を見下ろすと、次には娘のブラジャーを剥ぎ取った。
「あっ、わたくしの!」
 コロネ娘は黒髪女が掲げているブラジャーを取り返そうと必死で手を伸ばす。
「あら、随分このブラにはパットが入っているのですね。取れば丸っきり、ないじゃないですか」
 黒髪女はほほっと笑い、コロネ娘の胸を眺めた。
「馬鹿を言わないでくださる。別になくとも殿方にはこれまでたくさん愛されてきました。ただのデカイ女より綺麗だと言われましたわ。中にはあなたをお相手した方もいらっしゃいましたわ」
 コロネ娘の反撃に、黒髪女はカッと顔を赤らめた。
「なんですって、もう一度おっしゃいなさいな! その男は誰ですの! わたくしに恥をかかせるのはっ!」
黒髪女は怒りに我を失い、コロネ娘の髪を掴んで乱闘騒ぎとなる。二人は他の者が見ているにも関わらずに、大っぴらに喧嘩をし始めた。
 周りは止めるどころか、余興を楽しんでいるようで、酒を片手にもっとやれと騒ぎたてている。
 それを見て、ともは呆れるばかりの溜息を落とす。
 ああ、くだらない争い。
 笑っちゃうよ、君達のつまらない諍いには。
 やばいな、なんかどんどんと心が冷えていく。
「坊ちゃん、おかわりはいかがですか?」
 バーカウンターでは楽しそうな声色で、ソムリエの男が声を掛けてきた。こいつも好き物だな、こんな醜い争いで楽しむとは。  
 ともは体をねじって、男の顔をじっと窺う。
 だけど、男のすぐ後ろに大きな樽を見て、ともは思いつく。
「ねぇ、その酒だる取ってくれる?」
 男は目をぱちくりとしたが、承知しましたとすぐに酒だるを渡してくれた。
 ともは蓋を開けて、両手に抱えると、まだ争っている女達にばしゃりと勢いよくぶっかける。
 酒を盛大にかけられた女達はようやく我に返り、お互いに髪を引っ張る手を止めて、ゆるりとともに振り返った。
「い、家朝様、飛んだご醜態を」
 黒髪女は焦りの色を浮かべて、酒でぐしゃぐしゃになった髪を撫であげる。
「ご、ごめんさない。つい取り乱してしまいまして」
 次にコロネ娘が頭を下げて、ともに許しを乞うた。
「ごめんね、君達。もう帰ってくれる? それと二度と徳川の敷居をまたがないで」
 ぴしゃりと跳ねのけるともに、二人の女は目を剥いて驚きを刻みつける。
「そ、そんな、お許し下さい。家朝様っ」
 黒髪の女はすぐにともに擦り寄って来て、ブラジャーの剥ぎ取られたままの姿でかしずいた。
 そしてともの手を取り、その豊満な胸をわざと体に押し付けて
くる。
 色気で落とそうとする作戦に気がついて、コロネ娘も同じように擦り寄って来ては、反対側からともの体に胸を押しつけた。
 だが、ともはそんな手には乗らない。
 秀樹なら簡単に許しそうだが、そんなわけにはいかなかった。
「手を離して、すぐにそのまま帰れ。二度は言わない。一切、君達の家とは縁を切る」
「家朝様っ!」
 黒髪の女が悲痛な声を上げて、もう一度チャンスをと乞うて来たが、それすら煩わしい。
「すぐにこの汚い手をどけろ。この僕を誰だと思っている?」 
 ともの冷えた声を聞き、黒髪の女とコロネ娘はゆるりと体を離していった。
 ともの冷めきった瞳を見て、女達はぶるりと体を震わせる。
 すでに覇王としての威厳と風格を兼ね揃えた姿を見て、女達は怯んでしまい言葉を失くしていた。
「十秒以内に僕の目の届かないところへ行って。そうじゃなければ家を取り潰す。孫の代まで復興させないほどにね」
 ともの酷薄な笑みを見て、その場にいた者はシーンと静まり返った。 
 言い争っていた女達はがくがくと震えて、散らばった服を掻き抱いて慌てて立ち去って行く。
 場はまだ異様な空気に包まれていたが、秀樹がはしゃぎ初めてまた賑わいを見せ始めた。
 流石は秀樹だ。ムードーメーカーであり、いつも場を和ませてくれる。
 ともはそれを見て取って、くるりと振り返りバーテンダーの男に声を掛けた。
「ねぇ、もう一杯おかわり」
 男は少しだけ微笑み、今度はともと同じ瞳の真っ青なカクテルを渡してくれたのだった。








 





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