河畔に咲く鮮花  

第三章 二十九輪の花 5:明智光明


――どうして、このようなことをなさるのですか?
――蘭を愛しておられるのに、なぜ殺すのですか?
 何度も何度も責める義鷹の声が脳にこびりつく。光明はそれを取り払うように手を動かせた。
――お兄さん、どうして?
 蘭の声があの業火の中から鮮明に聞こえてくる。絶望と悲観したあの最期の顔。
 それがずっと追って来ては、光明を蝕んでいく。
 お前が、ずっとこの俺のことを兄としか思っていないからだ。
 お前が生まれた時から、成長するまでずっとこの目で見ていたのに。
 俺だけのたった一人の心を癒せる存在。
 穢れもなく純真な娘。
 それが、義鷹なぞ貴族の少年と逢瀬を交わすとは。
 河畔で蘭と義鷹が抱きあい、キスを交わしていたのを見て、失望したことをお前は知っているのか。
 どれほど胸は焦がされ、自分以外の男に唇を奪われるお前を憎しんだことも。
 下慮程度の光明では何も出来ない。
 この歯がゆさ、もどかしさを蘭はなにも知らない。
 そんな男と逢瀬を重ねても、下慮である蘭はきっとおもちゃのように慰みものにされて、捨てられるだけだ。
 上流階級の者にとっては下慮など、ただのゴミだ。
 それをまだ幼い蘭に言ったところで理解が出来ないだろう。
 きっと、あの優しそうな少年、義鷹のことを悪く言うなと庇うはずだ。
 どちらにしろ、下慮である蘭は年頃になれば身売りに行くはめになる。
 ならば、あの義鷹を利用し、蘭に少しでも上流階級の暮らしを過ごさせてやるのもよい。
 所詮、下慮はよくても一般市民か商売人までにしか買われない。
 その上の貴族や覇者など天と地がひっくり返っても、買われることなどあり得はしない。
 下慮と虐げられ、泥沼を這うような生活。
 いつ野たれ死んでもおかしくない人生。
 そんな生活は真っ平だ。
 貴族や覇者の娘達に娼夫として間男として、遊ばれるのも反吐が出る。
 それならば逆にお前らを利用して、下慮がこの天下を覆そう。
 この光明が全てを一掃し、天下を執ろう。
 その為に、蘭――この兄の役に立ってくれるよな?
 お前が見たこともない上流階級の生活をして、綺麗な服に身を包み、贅沢な食事をする。
 蘭、お前なら出来るはずだ。
 覇王の気持ちを掴み、妻の座につくことが。   
 それまで夢を見ていると思って、この兄に利用されてくれ。
 そして、天下を執った暁には下慮の世界を壊そう。
 いや、下慮を付き人として傍に置くのも一興かも知れない。
 それを想像しただけで楽しい。
 未来は希望に満ちている。
 悪魔と言われようと、狂っていようと思われてもいい。
 だから、義鷹も俺の役に立つがいい。
 そう――全ては長い時を経て、計画されてここまで来たのに。
 なのに、あの徳川のガキがその野望を摘みとった。
 あいつがまさか謀反を企てていたとは。
 それが、笑わせる。
 義鷹が蘭を守る為に、徳川の当主を事故に遭わせたからだ。
 そこからねじは狂ってしまった。
 家朝は重度の怪我を負った両親を見て、自分が当主に就こうと思い立った。
 ずっと織田と豊臣の背中で守られているガキで良かったのに。
 義鷹が引き金を引いてしまったのだ。
 家朝はただの可愛い世間知らずな子供ではいられなくなった。
 眠れる獅子を起こしたのは、誰でもない――義鷹なのだ。
 義鷹もそこまで未来を想像出来なかったのだろう。
 徳川の当主になるだけで良かったものの、家朝は織田家に牙を剥いた。
 全てを奪い取る為に――
 あいつを侮っていた。ガキになにが出来るとみくびっていた。
 本玉寺で悠長に見ていた俺達をすぐに囲んだのは徳川の家の者だ。
 義鷹は掴まり、俺は命からがらそこから逃れた。
 全国手配された俺は身を隠し、今ではS級犯罪者だ。
 それでも、まだ俺を救う者はある。
「光明殿、起きて下さい。大丈夫ですか?」
 光明は体を揺さぶられて、そこで意識が舞い戻った。目をうっすらと開けると、馴染みの芸子が心配そうに顔を覗き込んできている。
――そうか、ここは菫街(すみれがい)だった
 一般市民の落ちぶれた娘が、借金の肩に売られる遊女街。
 商売人の区域で経営されている菫街は大規模な遊女の街だ。
 ここに馴染みの芸子を頼って、身を潜めていた光明。
「随分とうなされておいででした」
 芸子は絹の布で膝で寝ていた光明の額をそっと拭う。
「ああ、嫌な夢を見ていた」
 光明は芸子に汗を拭かれるまま、まだぼんやりとした頭を整理する。
 事情はもはや変わってしまった。
 織田は失脚したものの、あの徳川のガキに取って変わられた。
 しかも義鷹は徳川の下で庇護をされている。
 コンタクトを取ろうにも取れる状況ではない。
 義鷹め、あっちこっちとふらふらと尻尾を振りやがって。
 あいつには必ず報復してやろう。
 天下をこの手にするのはもはや難しい。
――そう、失敗に終わったのだ。
 だから裏切って、徳川に寝返った義鷹をこの手で始末をしてやる。
 いや、それとももっと大事な者を奪ってやってもよい。
 もし、蘭が生き延びていたなら、義鷹の目の前で無残に殺してやる。
――そうだろう、秋生
 懐かしき名前を思い浮かべ、自分の為に死んだ男に語りかける。
――ここまでして、今更引き下がるわけにはいかない。秋生、もう少しだけあの世で待ってろ
 そこまで考えて光明はくっくっと肩を揺らして笑う。   
 それまでもう少しこの世を見ていてやろう。
 光明は愉快な未来を思い描いて、蘭が生きてこの世にいることを願った。
 その麗しい顔には、誰が見てもぞっとするような歪んだ笑みが浮かべられていた。







 





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