河畔に咲く鮮花  

第三章 二十九輪の花 4:志紀と公人


  背を向けたままの志紀が少しでも振り向けば、公人の動揺を見抜いていただろう。   だが志紀はそうせずに、月を見上げたまま。
 それは志紀なりの優しさなのだろうか。
――苦しい、この重い枷をずっと背負っていくのは。僕では荷が重すぎる。
 やはり自分には修羅の道は似合わないのかも知れない。
 蘭を守ると決めたのに、義鷹の出現で心のバランスが崩れ落ちた。
 いつ、徳川に知られるか分からない不安と恐れの中で、公人は不安定な毎日を送っている。
「――その沈黙は肯定を意味していると取ってもいいのだな」
 公人ははっと顔を上げて、微動だに動かない志紀の後ろ姿を見つめた。
「――そうか、分かった」
 志紀は僅かに顔を動かして、その美しい瞳を揺らめかせる。
 ああ、志紀には関係性が全て露呈してしまっただろう。
 秘密はもう秘密ではなくなった。
 もう、この里にいることは敵わない。
 公人は静かに決意の心を固めた。
 蘭が目覚めたらこの里を出て行こう。
 元々は出て行く予定だったのだ。
 志紀が恐れた禍を招く外界の者。
 その公人達に里の者はよくしてくれた。
 少し長居してしまい、情が湧いてしまっただけだ。
 自分は、ナイトになると決めたのだ。
 だから、蘭にまで嘘をついて真実を言うことを避けた。
 もう、修羅の世界には返したくないと決めたのはこの自分だ。
「今すぐ、全てを聞くとは言わない。だが、いずれかは話してもらおう。お前達はこの里と深く関わり、もうすでに一部となっているのだから。この志紀様に心配をかけさすな」
 公人はその言葉を理解するのにしばし時間がかかる。
 だが、その優しき心根を知って、ぐっと胸が詰まった。
「――この里に置いてくれるのですか? 志紀殿の推測していることはきっと正しい。それでもなお、私どもをこの里の住人として――一部として認めてくれるのですか?」
 公人はその志紀の寛大さに胸を打たれる。
 志紀の大体の予測は全て当たっているだろう。
 覇者の争いや、覇王権力争奪のテロ事件の中心にいたことを。
 それでも、全てを受け入れて、この里に置こうというのだ。
 なんと懐の大きい方なのだ。
 公人は感激して、その月明かりを帯びた美しい横顔を見つめる。
 志紀はくるりと振り向き、にこりと極上の笑みを浮かべた。
「お前達が何に苦しみ、悩んで、絶望にうちひしがれているのかは分からん。だがな――」
 志紀はそこまで言って言葉を途切っては、次には決意を宿した眼差しで公人を見据えた。
「その絶望がこの世界のどこまで広がっていても、この志紀が全てに及んで、あまねく光で照らしてみせよう」
 公人はハッと目が覚める想いに駆られ、志紀のその深い心に痺れてしまった。
 まるで、この無常の世界に光を照らし、極楽へ導く菩薩の降臨を見ているかのようで。
 本当にこの男は神様なのか――。
 里の者が言っていたように。
 公人は覇王・雪意外に初めて志紀という男に惚れた。
 いや、雪よりも素晴らしき気質の持ち主であるかも知れない。
 自分の損得も考えずに、弱き者や困っている者に手を差し伸べる。
 そしてこうやって里に住まわせては、その者達を救っているのだ。
 里の娘の中にも児童施設出身者や、貧乏で生活できなかったところを志紀に助けてもらったと言う者も多く見かけた。
 そして今度は公人達も助けると言う。
 あまりの感激に言葉は詰まり、声が振り絞れなかった。
「さぁ、今日も遅い。蘭も心配だから様子も見に行こう。お前も早く戻れ。明日からまた働いてもらうからな」
 まだ感涙して口を開けない公人の肩をぽんと一つ叩いて、志紀はそのまま横を通りすぎて行った。
――志紀殿、ありがとうございます
 公人は拳を胸に当てて、感謝しきれない思いで何度もお礼の言葉を口の中で呟いた。








 





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