河畔に咲く鮮花  

第三章 二十八輪の花 3:公人と義鷹


 公人は森の奥まで義鷹を連れて、周りに目を配る。
 誰もいないことを確認して、静かに口を開いた。
「若様、どうしてこのような場所に?」
 公人の表情は厳しく、義鷹を邪険にする含みが込められてある。
 それも当り前だ。
 ようやく蘭が幸せを掴めそうな時に、こうしてまた邪魔者が現れたのだから。
 やはり花園市場などに行かせるべきではなかった。
 あの黒スーツの男は、義鷹の家の者に違いない。
 下手な誤魔化しはきかなかったということだ。
 そんな公人の心中を分かっていないのか、義鷹は蘭が生きていることばかりに心を奪われて嬉々としていた。
 公人はそののんきそうな義鷹の態度に腹ただしさを覚え、ぎりっと奥歯を噛み締めた。
「ああ、ずっと探していた甲斐があったよ。本玉寺から生き延びたんだね。ああ、本当に良かった」
 公人は眉をしかめて、辛辣な言葉をわざと放つ。
「そうです。僕が命を懸けてお守り致しました。だが、もう今後一切は関わらないでいただきたい」
 びしりと跳ねのける言い方に義鷹は驚きの表情を刻みつける。
「な、なにを言っているんだい? 私は蘭をずっと見つけようとほとんど寝ずに探していたのだよ。それを――」
「蘭様は絶望し、記憶を失くしておられる。なぜだか分かりますか? あの本玉寺であなたは我々が炎に巻かれるのを見ておられた。なぜ?」
 公人は苛立った声音で、義鷹の勝手な言い分を遮った。
 そう、公人は覚えている。
 あの本玉寺でのことを終始、全てを――。
 爆発が起きて、蘭を助けに駆け寄った時にそれを見た。
 蘭の視線の先には、裏切った義鷹が煉獄の炎を眺めていたことを。
 もう、こんな奴らには渡したくはない。
 公人は怒りがふつふつと湧くのをなんとか堪えて言葉を失った義鷹を睨みつけた。
 義鷹は事実を突きつけられて絶句しているようだ。  
「だから、もう忘れて欲しいのです。蘭様は記憶を失い、ここで新たな人生を掴もうとしています。もう、権力者達の駒に使用するのは止めて欲しいのだ!」
 声を荒げた公人に義鷹は驚いたように目を見開く。
「私は……蘭を利用したなどと……」
「利用していないとおっしゃるのですか?」
 公人の強い口調に義鷹はぐっと言葉を詰まらせた。義鷹の視線は伏せられて、その長いまつ毛が苦しそうに揺らぐ。
「あなたは今は誰に庇護されていらっしゃるのだ? あの徳川でしょう。僕がなにも知らないとでも? こんな里でも情報は入って来ます。あの方は僕にこうおっしゃった」
 公人は忘れもしないあの日を思い起こす。
 ともの両親が事故に遭い、蘭がしばらくは見舞いに行っていた。
 警護役としていつも付きっきりで、ともと顔を合わしていた。
 あの、雨の激しい日――。
 窓をも強い雨が叩きつけて、雷鳴が轟いていた、忘れもしないあの夜。
 ともとチェスをして、負けた時。
『クィーンを守るのは誰?』
 そう、小さく漏らした言葉。
「徳川様はチェスゲームの時におっしゃりました。丸裸のクィーンを守るのは、キングしかいない。だが、そのキングも僕が倒すと。それは、この未来を暗示していた言葉だっ!」
 公人は語気を荒くして、まだ俯いている義鷹に言ってのけた。
「クィーンとはすなわち蘭様。キングはあなた方の策略で失脚した覇王。そして、徳川様はこうも言った。これから始まる残酷なチェスゲームに――最後に勝ち残るのはこの僕だと=v 
 そこまで言って、公人は怒りの丈をぶつける。
 そう、雨に遮られて徳川家朝がなんと言ったのか良くは聞こえなかった。
 だが、口元を思い出し、なんと言ったか気がついた時には遅かった。
 蘭に悪いことをしたと――涙を流したのは全てが演技。
 そうやって、蜘蛛の巣を張り巡らせては獲物を絡め取る。
 それに気がついたのは、本玉寺とは我ながら情けない。
「もうキングも傍にいない。だったら僕がナイトとなって、クィーンを守るっ! それはあなたからでもだ!」
 公人の強い意志と信念に義鷹はようやく顔を上げた。
「蘭様は散々、権力者に利用され心も体もぼろぼろにされた。信じていたあなたにもだ。絶望した蘭様は記憶を失ってしまった。それは辛いことかも知れないが、本人の為には思い出さない方がいいでしょう。だから、もうすっぱりと忘れてあなたは修羅の道へ戻るがいい」  
 きっぱりと言い切る公人に義鷹は戸惑い、悲しそうに眉を寄せる。その瞳には懺悔と後悔が滲んでいた。
「……蘭が私に裏切られたと知り、絶望して記憶を失った……」
 それを口の中でぶつぶつと何度も義鷹は繰り返す。よほどそれがショックな出来事だったのだろう。
 だがそれを見ても公人は当然であると言った態度だ。
 公人が蘭の記憶を失った時に、即座に打った姉弟であるという嘘の芝居。
 それは、蘭にはもう修羅の道を歩んで欲しくはなかったから。
 傍でずっと公人は見ていた。権力者の駒のように使用され、心を許していた義鷹までにも裏切られる始末。
 どれほどの苦しみと絶望が心を襲ったのかは公人では分からない。だが、忠誠を誓った蘭に自ら不幸せな道を歩んで欲しくはなかった。
 記憶を失ったことをいいことに、公人は外界から隔絶させることを決心した。
 田舎に行って、本当に二人で暮らそうとも考えていたが、蘭は志紀に惹かれているようであった。
 それはそれでいい。
 志紀は闇の臭いがしない、蘭を幸せに出来る男だ。
 蘭が幸せであればそれだけで良かった。
 もう、あんなに悲しそうで辛そうな顔は見たくない。
 傍にいることが出来ればそれでいいのだ。
 その幸せをまた修羅界の人間が打ち壊そうとしている。    
 はらわたが煮え切る想いで、公人は打ちひしがれている義鷹を見やった。
 もっと苦しむがいい。その手で地獄に落とした蘭様の苦しみを身をもって知るがいい。
 業に縛られた修羅の者よ、その輪の中で永劫に苦しむがいい。
「では、もう二度とお会いすることはないでしょう。お元気で、若様」
 公人は自失茫然としている義鷹の横を通り過ぎ、一度も振り返ることもなくその場を後にした。






 





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