河畔に咲く鮮花  

第三章 二十八輪の花 2:禁域の訪問者


 

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 志紀は人魚の里の入り口にいるいかにも貴族といった御一行を見据えた。
 この里は奥深い森の隠れ里となっており、探そうと思っても入り組んでいて探し出せるものはほとんどいない。
 だが、この目の前の女性のような柳腰の、しとやかな男はわざわざここを突きとめたということだ。
 一体、なんのために?
 こんな里に貴族などが来るのだ?
 志紀は公人と同じ臭いを漂わして、柔和な笑みを浮かべる男を怪訝に見つめる。
 この笑みは貴族独特のもの。
 その笑顔の裏に色んなものを潜ませている。
 志紀はそれを感じ取って、男に対する警戒心を強めた。
 人魚の入り口は鬱蒼とした森の中にある。
 そんなほとんど目印もない、暗い場所の中で、男の存在は恐ろしいほど浮いていた。
 異彩を放っているというか、他の貴族の者とは雰囲気が違う。
 そのたおやかな物腰に騙されてはいけない。
 こいつは、かなりの曲者だ。
 そう、志紀の視線を見て取ったのか、ようやく男は警護を掻き分けて一歩歩み寄ってきた。
「あなた様がこの里の主なのですか?」
 しっとりとした優しい声音が志紀の耳をくすぐる。
 さすがは貴族だ――その優しい声音で人の警戒心を解く。
 だが、ここで安心してはいけない。 
 志紀は訝る表情を気取られないように、つとめて冷静を保ったまま答えた。
「そうですが、そういう気位の高そうなあなた様は、こんな人の世を離れた里まで何用でございますか? そのような高貴なお召ものではこのような森の奥では汚れてしまいましょう」
 皮肉を込めた安い挑発にも男は何一つ動じず、これは失礼しましたと行儀よく頭を垂れる。
「わたくしは、今川義鷹と申します。少しだけお聞きしたいことがありまして、ここまで足を運んだ次第です」
 志紀は初めてそこで表情を崩した。
 いくら世捨て人といって、人魚の里で過ごしているとはいえ、外界の流れぐらいは知っている。
 今川義鷹といえば、貴族の中でもトップの位だ。
 義鷹といえば、その当主だ。
 志紀より少し年は上だろうが、対して年齢の変わらぬ義鷹を見て、若干驚きもした。
 このような若い男が今川の若様とは。     
「なに、お手は煩わせません。少しこの里を見て回りたいのです」
 その言葉に志紀の眉はしかめられる。
 こいつ、先ほどとは言っていることが違うではないか。
「お聞きしたい、そうおっしゃられたはずです。では、どうぞ。聞きたいことがあればなんなりと」
 志紀は牽制をして、今川義鷹を鋭く見据えた。
 義鷹は軽く溜息を吐き出して、後ろの警護に少しだけ顔をねじる。
 ジャケットから取り出した一枚の写真をすっと志紀に差し出した。
「この女性に見覚えはありませんか?」
 志紀は動揺を浮かべて、写真に写っている美しい着物に身を包んだ蘭を見つめる。
 髪を結いあげて、楚々と微笑んでいるのは今とは雰囲気が違っていても、蘭本人である。
 どうしたらいい、知っているというべきか。
 この男は、今川の若様で落ちぶれた貴族の蘭になんの用があるのだ。
 志紀の心の迷いを読み取ったのか、義鷹はスイっと写真を取り上げた。
 そして、護衛に返すともう一度志紀に向き直る。
「……知っておいでなのですか?」
 その余裕のない声に志紀はハッと顔を上げた。
 先ほどの柔和な笑みは消えて、知的に富んだ薄い唇は色を失い、目に見えるほど震えている。
 急にどうしたと言うのだ。
 なにをそんなに焦っている。
 そんな怪訝そうな顔の志紀のことももう目に入っていないようだ。
 義鷹はこの世の終わりのような顔で、志紀の手を固く握り締める。
「お願いします、会わせていただきたい。蘭は、蘭はここにいるのでしょう」
 その痛いほどの力は、この女のような柳腰の男からは想像が出来ない。
 なにをそんなに切羽詰まっているのか、志紀には謎だらけである。
 志紀は今一度考える。
 ここで本当に会わせていいのか。
 今川家がなぜ、蘭に関わることがあるのか。
「もし、会わせていただけないのであれば、実力行使をさせていただきます」
 志紀の背にぞわりと冷たいものが走った。
 手を握り締めたまま顔を上げた義鷹のその顔。
 女のような美しい顔には凄惨な笑みが湛えられ、鬼気迫る迫力を滲ませていた。
 こいつは恐ろしい悪鬼を心に潜ませている。
 これが今川の若様の本性か。
 やはり、この者に蘭を会わすわけにはいかない。
 なにか、恐ろしいことが起こりそうだ。
 そう、全てを狂わせるほどの――。
 志紀はそう里の当主として決断を下し、義鷹の手をやんわりとふりほどいた。
「……知っている者かと思いましたが、このような高貴な娘は存じ上げませんでした。お役に立てずに申し訳ない」 
 志紀がつれなくそう言うと、義鷹は目を見開き焦燥を浮かべる。
 だが、義鷹もここでは引こうとはしない。
 明らかに志紀が隠しごとをしていると踏んで、その麗しい顔に怒りを刻みつける。
「それならば仕方ない。早々にこの里を我が今川家が取り潰そうではないか。それが嫌なら里を案内していただきたい」
 威厳を取り戻し、厳しく言いつける義鷹に志紀はふぅと溜息を吐く。
 ――そう、来たか。
 志紀は焦ることなく、それだけを思った。
 やはり志紀の読みは当たった。
 この実力行使にすぐに訴える男に蘭を会わすべきではない。
「今川殿、出来るものならやっていただこうではないか」
 志紀はその挑戦を真っ向から受けて、義鷹を高圧的に見下ろした。
「なんですって?」
 それには義鷹も驚いたのか、怪訝に志紀を窺った。
「ええ、ここはなんぴとたりとも手が出せない場所。世捨て人の禁域の里とはご存じか? この志紀の目が黒いうちは誰にも手を出させはしまい」
 志紀はいつもの傲慢さを滲ませて、ぴしゃりと義鷹を跳ねのける。
「……志紀?」
 義鷹は志紀の名前を初めて聞いて、なにかを思案しているようだ。
 その名前に思い当たることがあるのか、義鷹の視線はあちこちと宙を彷徨う。
――そうだ、そのまま帰るがいい。ここで話を打ち切り、さっさと俺は引こう
 志紀は話の終わりを見て取り、まだ思考に耽る義鷹を見つめた。
「……では、私はこれで――」
 志紀が幕引きをしようと言葉を発した瞬間に、それは第三者によって阻まれる。
「お待ちください、今川様。この里のお取り潰しは待っていただきたい」
 そこに現れたのは公人であった。
――馬鹿め。余計な気を回して
 志紀は公人の登場に内心舌を打った。
 このままであれば、上手く今川義鷹を退けられたものを。
 公人はどこからか見ていたのだろう。
 そして、里が取り潰されると聞いて、出て来てしまった。
 志紀がちらりと視線を巡らせると、ささっとアユリと真樹子が木立の影に隠れる。
 ――あいつらめ、後で説教だ
 だが、蘭の姿がなくて志紀はほっと胸を撫で下ろした。
 こちらはどうなったのか、そう思い視線を戻すと、義鷹は目を剥いて公人の姿を凝視している。
 まるで時が止まったように義鷹は茫然と公人を見つめていた。
 なにを驚くことがあるのだろうと志紀は思ったが、蘭の弟であれば義鷹と知り合いであってもおかしくはない。
 やはり今川義鷹と蘭は志紀が思っているより深い仲ということになる。
 そうでなければわざわざ今川の若様が先陣切ってここまで訪ねて来るわけがない。
 そう思うと、ちりっと胸に熱い痛みが走った。
「お久しぶりでございます、若様」
 公人はまだ言葉を失っている義鷹に丁寧に頭を下げる。
「公人……公人……なのか……無事で、無事でいたんだね。じゃあ蘭も無事なのかい? 教えておくれ、公人」
 公人は考えあぐねてこくりと小さく頷いた。
 それを見た義鷹はわなわなと震えて、歓喜に満ちた表情を浮かべる。
 義鷹の尋常ではない喜びに、志紀の胸はちくちくと痛みを増してきた。
「……それについて若様とお二人きりでお話があります。ご無礼は承知ですが、是非とも」
 公人はちらりと志紀を見やり、同意を待っているようだった。
 志紀はここまでが潮時だと感じて、公人に行って来いと目で合図をする。
「ありがとうございます、志紀殿。若様、少し離れたところに参りましょう」
 志紀の承諾を得られた公人は義鷹を促し、森の奥へ姿を消した。
 その二人の背を見つめながら、言い知れようのない不安を志紀は感じ取っていた。








 





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