河畔に咲く鮮花  

第三章 二十七輪の花 1:罪深き月夜に濡れる《前半》 


 
 
志紀は花火の後で、里の者に呼ばれて蘭の元を去る。
 蘭は気にしないでいいと志紀と別れて、熱く火照った体を夜風に当てる。
 酒の強くない蘭は珍しく飲んでしまい、酔いが今頃回ってきたのであった。
 ふらりとベンチに腰掛けるが、人の行き交う間に狐のお面をしている子を見つける。
 蘭は頭に手を持って確認すると、いつの間にか外れていることに気がついた。
 きっとビールシャワーをかけあい、逃げていた時にお面を落としたのだろう。
 蘭はそのお面を着けた男の子の後を追った。
 志紀から買って貰ったお揃いのお面。
 返してもらいたくて、蘭は自然に男の子をつけて行く。
 いつの間にか、賑わいのある広場を外れて、蘭は真樹子と来たことのある野原までやって来た。
 空に浮かぶ満月は手から零れ落ちそうなほど大きく、その輝きを地上に降り注いでいる。
 野原一面に咲き乱れる彼岸花の赤が一層冴え渡り、ぞっとするほどの美しさを湛えていた。
 その赤く乱れる鮮やかな花の中心でその男の子は立っていた。
 背中を向けているがその後ろ姿には見覚えがある。
 無造作に伸びた繊細で艶やかな黒髪は、月の光を浴びて少しだけ青みがかって見えた。
 くるりと男の子はこちらに向き直り、狐のお面をゆっくりと剥いでいく。
 月を背にした白い顔は冴え冴えとして、深い冷たさを湛えた様は寒気がするほど美しかった。
 それは清廉な空気を歪めるほどの禍々しさで、蘭はハッと息を呑む。
「アユリ……」
 風に吹かれ、一斉に彼岸花の赤い花がざっと揺れる。
 アユリの光沢を帯びた細い髪を巻きあげて、散った赤い花びらが、ひらり、ひらりと宙を鮮やかに舞った。
 一面を青い月光りで沈ませ、深い海の底にいるような情景は、幻想の世界ではないかと錯覚してしまう。
 それほど、この光景は奥深く静寂で――儚く、何よりも美しい。
 青く深い海の底で鮮やかな赤い花が舞い散る。
 その中心にいるアユリは今まで見たこともないような、凄絶な美しさを湛え、静かに佇んでいた。
「蘭姉ちゃん」
 呼び掛けて来るアユリは月の妖精の如く、儚げな風情を醸し出していた。
 人間の目に触れれば、一瞬で散って消えそうな。
「こっち来てよ」
 アユリがスッと手を伸ばして、蘭を甘い囁きで呼び、密やかに笑んだ。
 蘭はその声に酔いしれるように誘われて、同じ目線の高さのアユリを見つめた。
「蘭姉ちゃん、豊穣祭だからって飲みすぎ。はい、酔い覚まし」
 ずっと話をしていなかったアユリは、いつものように陽気に話しかけてくる。
 その屈託ない笑顔は、邪気がなく一瞬で張り詰めていた空気を緩めた。
 先ほどまでこの場に漂っていた、ただならぬ異様な空気が消えて、驚くほど和らいだものになる。
――アユリが話しかけてくれている……夢じゃないよね
 蘭はほっと胸を撫で下ろし、今までのことが溢れ返ると、思いの丈をぶつけようとした。
「アユリ――」
「蘭姉ちゃん、とにかく飲んで。酔っ払いとはまともに話できないでしょ」
 慌てた様子の蘭を制して、アユリはにこりと綺麗に微笑むと、蘭にペットボトルを差し出して来た。
 蘭は自分が酒臭いことに気がついて、アユリから手渡されたジュースを一気に喉に流し込む。
その間もアユリはじっと蘭から視線を逸らさないまま、その様子を見ていた。
 喉を潤わせて落ち着くと、蘭はもう一度アユリに視線を戻した。
「本当にアユリだよね? 夢じゃないよね?」
 蘭はアユリの手を取り、感触を確かめると夢ではないことを確認する。
 心が離れて行ってしまったアユリ。
 一人で孤独を抱えて、心を閉ざしてしまっていた。
 どんなに話しかけても、挨拶してもアユリは無視を決め込んで、振り向いてもくれなかった。
 それが以前と同じように、明るく喋って微笑んでくれる。
 それだけでも蘭の心はじんと暖かくなり、嬉しくなって目がしらが熱くなった。
「アユリ……私を頼ってくれるの?」
 蘭の言葉には何もかもを話して、心を開いてくれるのかという意味を含ませている。  
「蘭姉ちゃん、泣いているの?」
 蘭のまなじりに光る涙を見たのだろう。
 アユリは少し顔を曇らせて、苦しげに繊細なまつ毛を揺らめかせた。
 どこかその表情は浮かないものだったが、今の蘭はアユリを繋ぎ止めることで必死である。
 気にしない振りをして、アユリをじっと見つめて口を開いた。
「だって、ずっとまともに話も出来なくて、後悔していたの。アユリが遠くにいってしまった気がして」 
 蘭の気持ちを分かってもらおうと必死で語る。
 アユリはふと顔を上げて、小さく漏らした。
「蘭姉ちゃん、ごめんね」
 それは、今まで無視していてごめんね、向きあわなくてごめんね――そういう意味であると捉えた。
「ううん、いいの――」
 そう言った瞬間に、蘭は体のバランスを崩して、その場にぺたんと座りこんでしまう。
「あ、あれっ? ごめん、酔いが回ってきたのかも」
 蘭は体が思うように動かないことに気が付き、慌ててアユリを振り仰いだ。
ようやくアユリが心を開いてくれようとしているのに、こんな状態ではまた離れていってしまう。
「ごめん、アユリ……お酒が回ったかも……アユリ……?」
 呆れているかと思ったアユリの瞳は、さきほどの和らいだ時と違って熱く濡れるほどの潤いを帯びていた。 
 その顔からは、屈託のない無邪気な笑みは消えている――
「蘭姉ちゃん、ごめんね」
 アユリはもう一度、そう囁くように漏らした。
 同じ目線で座りこむアユリを見て、蘭はぞくっと背筋を震わせる。
 謝っていたのは、今までの態度のことをごめんね――と言ったのではない。
 蘭は勘違いしていたことにすぐさま気がつき、アユリの熱くなった息遣いを耳の傍で聞いていた。
「ねぇ、蘭姉ちゃん、俺のことが怖い?」
 声音は冷静沈着そのもので落ち着き払っているが、その瞳は獲物をなぶって食べようとする、獣じみた情欲が浮かべられている。
 その見惚れるほどの綺麗な顔には、ぞっとするほどの残酷な笑みが刻まれていた。
 その笑みは本当にとても、綺麗すぎるほど、綺麗で――。
――アユリ? 
 だが、その綺麗な微笑の裏に見える、狂熱の嵐を見過ごしてはいない。
 その瞳は狙った獲物を、これからじっくりと好き勝手に狩るという残忍さを滲ませていた。
 その熱をはっきりと確信して、恐ろしさからか、知らずに体がわなわなと震える。
――まさか……アユリ……嘘よね
「蘭姉ちゃん、ごめんね。こんなことをして――」
 やはりアユリは蘭を狩ろうろしている。 
 そう、アユリが謝っているのはこれから蘭にすることに対して。
 蘭を嬲り、凌辱しようとしているのだ。






 





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