河畔に咲く鮮花  




 それから真樹子とはいつも通りに話しては、豊穣祭の支度をして、毎日を過ごした。
 志紀も忙しいそうに里を巡回し、豊穣祭について指示をしている。
 公人も片手ではあるが、軽い物を運んだり、里の娘の手伝いをしていた。
 だけどやはりアユリとはあの夜から一言も話をしていない。
 真樹子の話を聞いて、蘭はアユリの心に触れようと頑張って話しかけるが、無視されてしまう日々。
 それを数日過ごし、とうとう豊穣祭の日がやってきた。
 真樹子と一緒にあつらえた浴衣は、思ったよりも艶やかで華やいだものである。
 真樹子は空色の青い浴衣だが、蘭が着ているのは赤い柄にあやめの花が刺繍されていた。
 思ったより派手で恥ずかしくなったが、里のみんなは大袈裟なほど褒めてくれる。
 里の中は賑わい、あちこちに露店を見かけた。
 焼きそばやたこ焼き、フランクフルト、焼きとうもろこし、蘭の目は輝いて、その楽しい雰囲気に心を奪われた。
 これが三日も続くとは信じられないほど楽しい。
 金魚すくいやヨーヨー釣りなどもあり、子供も大人も一緒になって遊んでいた。
 色んなものを見ていた蘭の肩は後ろからつんつんとつつかれた。
 反射的に振り返ると、蘭は目を大きく見開いた。
 狐のお面を被った青年がそこに立っている。
 藍色の冴えた浴衣を着てそこに突っ立っていた。
 着崩した襟元は大きくはだけて、逞しい胸が露わになっている。
 里の者なのだろうが、お面をつけていては分からない。
 だが、無造作に跳ねている亜麻色の髪には見覚えがあった。
「志紀でしょ?」
 そう言ってやると志紀は驚いたように、一歩だけ後ずさる。
 そして観念したように、お面を頭の上に乗せて顔をさらけ出した。
「なんで、分かったのだ。おかしいな」
 志紀は不思議そうに首を傾げているが、蘭はその姿に見入っていた。
 志紀の浴衣姿なんて見たこともないし、いつもは服を着て分からなかったが、はだけた胸元は綺麗に締まっていて逞しい。
 意外に志紀って逞しいんだ、そう蘭は意識すると胸がどきどきと高鳴った。
「なにをじっと見ている。ははん、この志紀様の浴衣姿に魅了されていたのか」
 志紀は相変わらずの調子で物を言うとばさりと髪を掻きあげる。
 だが、なにも反応を示さない蘭を見ると、恥ずかしそうに頬を染めた。
「に、似合わないか? なんか、変か?」
 急に自信のない様子で、自分の姿を眺め回す。
 素直に魅了されていましたとも言えずに、蘭はぶるぶると首を横に振った。
「コホン、まぁいい。一緒に回らないか」
 志紀は視線を逸らしながら照れ臭そうに呟く。
「一緒に回ってくれるの?」
 蘭は志紀の思いがけない申し出に胸を躍らせた。
「あ、案内をしてやろうと言うのだ。豊穣祭は初めてだろう? 公人はすでに里の娘達が取り囲んでいたからな」
 蘭はえっと目を丸くして、視線を巡らせると公人が里の娘に囲まれて、わいわいとしている。
「公人君……さすがだわ」
「良し、時間は限られているから行くぞ。ほらっ」
 志紀は人目もはばからずに、蘭に手を差し伸べた。
「今日は里の者でここらは密集している。はぐれない為にだ」 
「はい、はい、志紀様、蘭がはぐれないようにしっかりと手を繋いでいて下さい」
 蘭はおどけて、志紀の手をしっかりと握る。棚田を見た時の後にもこうやって手を繋いだ。
 あの時と同じような暖かさと優しさが手から流れ込んでくる。
 不思議と幸せになり、蘭は満ち足りた気持ちになった。
 焼きそばやとうもろこしを買い食いし、志紀と同じお面を付けて、射的場も回った。
志紀と笑い合い、心から楽しんで豊穣祭を満喫する。
 夜も深まり、ますます祭りは賑わいを増す。
 広場のステージではカラオケ大会が行われて、それを聞き流ししながら里の者が会話に花を咲かせていた。
 蘭と志紀の姿を見つけると、里の者達はむりやり輪に引きこんだ。
 そして、ビールやカクテルを手に持たせて、飲めと促してくる。
 志紀は煽るように飲み、蘭も甘いカクテルをいただいた。
「御屋形様、今年も実りが豊かでなによりです!」
「いつも働きすぎです。今日はとことん飲んで、楽しんで下さい」
 すでに酔っぱらった里の者は、次々に祝いの言葉を紡いで、いつの間にか手に持っているビールをお互いに掛け始めた。
「きゃあっ! 冷たいっ! あははっ!」
 蘭もビールをかけられては逃げ惑う。里の者にビールを手渡されては、勢い良く志紀にも放出させた。
「あっ、おいっ! 蘭、止めないか」
 志紀は口でそう言っているが、楽しそうに笑いながら、ビールを全身で被っている。
 視界も遮られるほどの、ビールシャワーの中で、蘭と志紀はお互いに笑い合った。
 屈託もない自然に零れる笑み。
 こんなに楽しいことは人生の中で経験しなかった気がする。
 そこに祭りをもっと盛り上げる為に、小規模だが打ち上げ花火が上がった。
 ドンと腹をつく衝撃と共に、空に鮮やかな大輪の花を咲かせる。
 蘭の目は奪われ、人生で初めての花火に目を輝かせた。
 今日は満月で空は明るいが、そんなことどうでもいいくらいに心は躍る。
 それを見ながら、志紀と感動を共有したくて、視線を巡らせた。
 志紀も同じ気持ちだったのか、蘭を見つめてくる。
 お互いはゆっくりと視線を絡ませると引き寄せられるように――それほど自然に唇を重ねた。
 空に鮮やかな花火が咲き、里の者達が歓声をあげている。
 賑わいは耳から遠ざかり、蘭は志紀とのキスに陶酔した。
 唇は暖かく、そこから優しい気持ちが流れ込んでくる。
 志紀の性格を現したような、相手を想いやり、労わるようなキス。
 激しくはないが、蘭の心をあっという間に志紀で一杯にさせてくれる。
 それほど、愛情のこもったキス。 
 そっと抱き締められては、蘭もそれに応えるべく志紀の背中に手を回した。
 志紀の亜麻色の髪からビールの雫が滴り、唇を重ねた蘭の頬を伝い落ちて行く。
 それすらも甘美で、蘭は志紀からのキスに酔いしれた。
 唇を重ねたのはたった数秒だが、蘭にとっては永遠のように感じた。
 そっと唇から離れて行く志紀は、艶を帯びた瞳で蘭を見下ろす。
 お互いに言葉はないが、心の中で通じた気がした。
 見上げる蘭の濡れた髪がそっと掻きあげられると、志紀の胸に強く引き寄せられる。
 はだけた胸元にもビールの雫が伝い、引き締まった体を零れ落ちていく。
 それがなまめかしく耽美で、顔を埋めているだけで脳が痺れた。
 ――このまま時間が永遠に止まればいいのに。
 そのぐらい心は満たされ、切ないほどの愛しい気持ちが湧く。
 はっきりとその時、志紀のことが好きだと確信をする。
 花火が夜空に咲いている間、蘭と志紀は抱き締め合ったまま、幸せを噛みしめた。 





 





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