河畔に咲く鮮花  





 「どうして――」
 台所にいっても、和葉が出してくれた湯呑やお茶は一切見当たらない。それどころか埃が窓のさっしには積もっていた。
「蘭……急にどうしたんだ。空き家になど入って」
 追いかけてきた志紀が後ろに立ち、困った風な顔をする。
「空き家? 嘘――だってここは和葉さんが住んでた」
 志紀を振り返るが、嘘を言っていないように見えた。
「ここは何年も使っていないし、誰も住んでいない。それより仕事があるんだぞ。行くぞ」
 志紀がくいっと顎をしゃくり、促してくる。
――誰も住んでいない?
 志紀は変なことを言うと思ったが、強い視線にたじろいでしまう。
「蘭……早くこっちに来い」
 奇妙な感覚のまま蘭はふらりと志紀に歩み寄った。
「さ、行こう」
 志紀の強い口調が有無も言わせない感じで、蘭は黙ってそれに従うしかなかった。



***

    

 仕事を再開し、体を動かしていると昨日のことが夢だと思えてきた。
 和葉自身も何だか初めからいなかったような――そんな気がして、蘭は仕事に精を出す。  
 そこに真紀子がひょっこり顔を出してきて、蘭を呼びに来た。
――あ、真紀子
 顔を見れば一瞬で、アユリとのことを思い出す。
 月の綺麗な日の――血と性の饗宴
 アユリは血を飲み、真紀子にそのいきり勃ったモノを咥えこませて。
 あれからアユリとも距離が出来てしまい、いまだに話をしていなかった。 
 何となく気兼ねしていると、真紀子は軽く手を振ってくる。
「蘭さん、ちょっといい?」    
 真紀子に明るく言われて、蘭は戸惑いながらも頷くしかなかった。
 真紀子に見晴らしのいい野原に連れて行かれて、一緒に腰を下ろした。
 夏の間は緑だったのに、いつの間にかびっしりと彼岸花が咲いている様は圧巻である。
 そう、季節はいつの間にか夏から秋へと移り変わろうとしていた。
 もう、そういう季節かとおぼろに考えて、どこか悲しげな憂いを含む真樹子の横顔を見つめた。
「あの……アユリ君とのことなんだけど……見られちゃったね。ははは、格好悪いな」
 真樹子は苦笑いをしながらも、視線は野に生える彼岸花に向けられている。
 アユリと真樹子が愛し合って、そういう営みをしているのなら問題はないだろう。
 それは蘭にでも口を出す権利はない。
 だけど、あれが普通の営みではないことは蘭にでも分かる。 
 そういう趣味と言われればそれまでであるが。
「久しぶりに呼ばれたんだ、アユリ君に。なにをさせられるかは分かっていて、行ったのは私の責任」
 蘭の胸がざわりと湧き、真樹子の言葉に耳を向ける。
 真樹子はアユリとの関係を前から持っていたということだ。
「あ、でもシテはいないよ。アユリ君って、挿入行為だけはしないんだ。私はいつも手と口で興奮を収めているだけで」
「はぁ……」
 真樹子の説明に蘭はますます不可解になるばかりだ。
 思わず漏れ出た間抜けな声に真樹子はくすりと笑う。
「アユリ君を見捨てないであげてね。彼は心の病気なんだよ」
「血を飲む行為が……?」
 真樹子の言い様につい、蘭は疑うような聞き方をしてしまう。
「そう、幼い頃に負った傷がトラウマになっているみたい。語ろうとしてくれないけど、なにかあったみたいなんだ。それで、まだ傷は癒えていないみたいだね。私はアユリ君のことを好きだったから、言われるままに行為を受け入れたの。でも、アユリ君は空虚だって。いくら精を放出しても満たされないんだって」
 どことなく寂しげなアユリが思い浮かび、蘭は言葉を詰まらせた。
「でも頻繁じゃなかったんだよ。一ヶ月に一回呼び出されて、処理するかしないかって割り合い。そこから里を出て、アイドルになったアユリ君は傷害事件なんて起こして、里に帰って来たんだ。その後は急に心を閉ざして、私も呼び出されなくなったの」
 最近のアユリもすっかり心を閉ざしてしまっていた。それを思い出すと胸がちくりと痛む。
「でも、蘭さんが来て驚くように明るくなったの。いつも蘭さんにくっついていたずらしたり、困らせたり。あんなアユリ君を初めて見て、驚いたんだ。だから、アユリ君を救ってあげれるのは蘭さんだけだと思って、あんなことを言っちゃった。ごめんね」
 真樹子はしょんぼりとして、顔を俯かせる。
「う、ううん。なにも知らなくて半端に踏み込んで、アユリには嫌われちゃったんだ。それこそ、全く心を閉ざしちゃって、全く私なんか役に立たないかも」
 蘭は、はははと渇いた笑みを浮かべて、真樹子は悪くないとなぐさめた。
 多分、蘭より真樹子の方を頼っているのだろう。
 それで、昨日も蘭に頼らずに、真樹子を呼んだ。
 だが、次の言葉に蘭は衝撃を覚える。
「嫌いなわけないよ……あの行為の時に、アユリ君はうわごとのように言ってた。蘭姉ちゃんって、何度も」
 真樹子とアユリの昨日の行為が目に浮かぶ。
 アユリは肉径を真樹子の口に穿ち、激しく腰を振っては興奮を昂ぶらせていた。
 それが今の言葉で、昨日の真樹子の姿が蘭に変わる。
 蘭が肉径を咥えこみ、アユリはそれを見ながら、蘭姉ちゃんと熱に浮かされて名前を呼び続ける姿。
 綺麗な顔に飛び散った血をなまめかしく舌でなぞり、巧みに腰を振る淫靡なアユリ。
 それを想像すると、ぞわりと背中が粟立った。 
「分かっているんだ。初めから私なんかじゃ駄目だって。あ、だからと言って、蘭さんにああいう行為を強要しているんじゃないよ。その、心の部分で救って欲しいんだ。ま、別に体の方で癒してあげてもいいけどねっ」
 真樹子は笑顔を取り戻して、ぺろっといたずらっ子のように舌を出した。
「そ、そうなんだ……」
 思ったより真紀子はさらりとしていた。
 明るい雰囲気に好感を持ち、蘭はもう一つの疑問を聞いて見ることにした。
「あの……昨日のことなんだけど……」
「昨日?」
 真紀子の目がきょとんと丸くなり、蘭に振り向く。
「うん……和葉さんって人がどうなったのか知ってる?」
 その名前を聞いた瞬間、真紀子は逡巡したあとでにこりと笑った。
「それって誰?」
――え?
 志紀と同じようなことを言い、蘭の胸はざわめいた。
「あの……外れに住んでいる人で……昨日、変な男に襲われた時に怪我したのよ」
 たどたどしく説明すると、真紀子は顎に手を持っていきうーんと唸りをあげる。
「あそこにに人は住んでいないはずだけど? 疲れて夢を見たんじゃない? だって、蘭さん、倒れて三日寝ていたのよ」
「――えっ?」
 真紀子に言われて蘭はそろりと手を額に持っていく。
――私が三日も寝ていた?
 倒れたということになっているらしく、その間三日も経っていたのだ。
 三日もあれば和葉の家のものを片付けることも出来るはず。
 里の者が口裏を合わせて、元からいなかったことにすれば証拠は何も残らない。志紀を崇めている里の者はそのぐらいするかもしれなかった。
――調停者……
 和葉の呟いた言葉だけが胸の中に刻まれ、うすら寒さだけが残っていく。
「どうしたの、蘭さん?」
 首を傾げる真紀子が演技しているように見えてきた。
 本当は詮索しない方がいいと思いながら、もう一つだけだからと自分を説得し、蘭は口を開く。
「じゃ、じゃあ……倒れた男の人は?」
 和葉が倒した男は生きているのだろうか、それともすでに死んでいるのだろうか。
 怖々と聞いてみるが、やはり真紀子は知らない風な顔をした。
「さぁ……そんな人はいなかったけど……蘭さんを襲ったって男の人?」
「ええ……そうだけど」
 蘭は様子を窺いながら聞くと、真紀子はうっすらと笑みを浮かべる。
「もし……そんなに悪い人なら人魚様に罰を下されているわ。だから蘭さんは気にしなくて大丈夫」
 真紀子の口から聞かされる、人魚様の罰。
 花園市場に行った時も客がそんな伝奇めいたことを囁いていたのが思い出された。
『手を血に染めた人魚様が――罰を下す』
 その時は微笑ましい噂話だと蘭は笑っていたが。
 それが一瞬、血に染まった和葉と重なり――それを裏で指示している志紀の姿が思い浮かぶ。
「に、人魚様って……」
「そう、悪い者には罰が下る。人魚様はそれが出来るのよ」
「で、でも伝説よ、そんなのは」
 蘭がそう言うと真紀子は嫌だ、とけらけら大きな笑いを立てる。
「当たり前じゃない……蘭さん。人魚なんているわけないでしょ。ただの例えよ、例え」
 真紀子がおかしそうに笑う姿はどこか嘘くさく感じた。
 ――でもやっぱり……人魚って……
 脳の中に大輪の花を咲かせた笑みの志紀が思い浮かぶ。
 人魚とはここを統治している志紀自身ではないかとさえ思ってしまった。
――神様だから
 里の者が口々にする言葉は段々と信ぴょう性が増してくる。
 人魚は人智を超えた存在であるし、神と呼ばれても不思議ではない。
 その溢れる美貌も人ではないと思えば納得するものであった。
「ね、だから蘭さんは安心して。ここは守られているから」
 真紀子が念を押すように言ってくる裏にはもう聞いてくるなとの意味が含まれているような気がした。 
――この里にしか知られていない謎 
 志紀を中心とするこの里の閉ざされた秘密に触れることはどうしてか怖くて。
――ここはそのぐらい大きな秘密と結束で結ばれている
 そう感じ取って、蘭は口を閉ざすことしか出来なかった。
 もう、これ以上真紀子に聞いても知らぬ存ぜぬで終わるだろう。
「蘭さん、とにかくアユリ君のこと頼むわね」    
 真紀子は仕事の時間だと呟き、一つ伸びをした。
「あ、うん」
 何気なく返事をしてしまうが、真紀子は気にしていないのか邪気のない笑みを浮かべた。
「大丈夫、心配しないで。アユリ君にこれからもし、呼ばれることがあっても行かないから。私も蘭さんの変わりにされるの嫌だしね」
 真樹子はそう明るく言って、よいしょと立ち上がる。
 作業着についた葉を払って、微笑みかけてくる。
「行こう、蘭さん。豊穣祭はもうすぐだよ。本当に楽しいんだから。まだまだ準備があるんだからね!」
 真樹子は屈託なく笑い、蘭の手を引っ張った。
「うん……豊穣祭……楽しみだね」
 その笑いを見てとても強い子だと蘭は感じる。
 いつの間にか和葉のことが、脳の片隅へと消えていき――蘭もよいしょっと立ち上がった。
「よし、仕事を頑張ろうね、蘭さん!」
 いつまでもその笑みは、この晴れ渡った青い空に浮かんで蘭の心にしっかりと刻み込まれた。







 





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