河畔に咲く鮮花  





 すっかり夜の帳が落ちて、蘭はぽつんと和葉の家にいることに気がつく。
「あれ……夢……それにもう暗い……」
 ぼんやりとしていたが、ざわざわと里の中が騒がしくて脳が覚醒しはじめた。
 服を見ればきちんと着ていて、和葉が直してくれたのだと思った。
――何だろう、騒がしい
 縁側で立ち上がると庭の塀の外に明かりがちらほらと見える。
 風で動くたびに炎がゆらりと揺れた。
――松明……?
 里の人がざわざわとざわめき、何かをしているようだった。
 ざわめきはどんどんこっちの方に向かってきて、蘭はじっとしていられなくなる。
 その騒ぎの元を確かめようと、庭から出ようとした。
 庭の勝手口を開けて、外に出た瞬間――
「嬢ちゃん、出ちゃ駄目っ!」
 和葉の怒声にも似た声が聞こえてきたが、蘭はなんのことが分からずにその場で立ちすくんでしまう。
 だが、すぐにその正体を知ることになり――蘭は目の前に迫ってくる男の血走った目とかち合う。
――え?
 その男は蘭を見つけると片手を振り上げ、襲ってきた。
 その手にはぎらりと闇に光る、鋭利な刃物が逃げられていて、恐ろしくて体が動かなくなる。
「嬢ちゃん!」
 その瞬間、風がごっと吹き荒れ蘭の体を吹き抜けていく。
 それと同時に和葉が身を割り込ませて、蘭をしっかりと正面から抱き締めてくれた。
 どんっと鈍い衝撃が和葉を通じて蘭に届き、一歩後ずさる。
「……間に合ったわ……」
 和葉がにこりと笑うが、その美しい眉はしかめられていた。
「和葉――」
 声をかえようとした瞬間に、どんと蘭は力強く突き放された。
 よろりと後ろに後退し、バランスを取ろうと思ったらくるりと和葉が男に向き直る。
「嬢ちゃんはそこで動かないで」
 和葉の毅然とした声が響くが――蘭は目を大きく見開いた。
 和葉の背中には男が振り下ろした刃物が深々と突きたてられていて、細い血を滴り落としている。
「よくも嬢ちゃんを危険な目に逢わせてくれたわね」
 それでも和葉はまっすぐに立ち、興奮している様子の男にはっきりと告げた。
「和葉さん、血が――」
「嬢ちゃんはじっとしてて」
 近づこうとした蘭を牽制した和葉の声はあまりにも強くて、そこで立ち止まってしまう。
「アタシはこいつを始末する」
 タッ――と軽やかに走った和葉は躊躇いもなく男に向かい、目に見えない早さで攻撃をした。
 男もそれなりの腕を持っているのか、技を繰り出す。
 どんどんと松明の炎が近づいてきて、ざわめきは増していく。
――里の人達が来る
 蘭はそれだけを思い、はらはらしながら成り行きを見守っていた。
 和葉が一撃を繰り出した瞬間に、男はどっと地面に倒れこむ。
 そこで勝負はあったようだ。
 動かなくなった男を見て、和葉はがくりと膝を崩した。
「和葉さん!」
 近寄り一緒に座って、蘭は和葉の青白くなった顔を覗き込んだ。
「大丈夫……こんなの……」
 和葉は背中に手を回して、根元まで刺さった刃物を一気に引き抜いた。
 その瞬間、どっと血が溢れてだらだらとこぼれ落ちていく。
「和葉さん!」
 和葉の背中を手で押さえて、蘭は涙目になった。
「ふふ……心配してくれてるの? 失敗しちゃった……アタシとしたことが」
乱した髪を掻き上げて和葉は、苦しそうに喘ぎを漏らす。
「それは私を庇ったからで……」
 和葉の顔がみるみる青くなっていき、蘭は怖くて涙が溢れ出す。
「大丈夫よ、こんなことぐらいで死なないから……今までだって生き延びたんだし……」
 和葉はこんな時でも心配かけさせないように、にこりと無理やりに笑顔を作ってくれた。
 それが殊更悲しく思えて、徐々に視界が滲んでいった。
「和葉さん……どうして……? 何をしていたんですか……」
「ふふ……アタシの仕事はこれ……このネズミを……追っていたの……普段は外で仕事をしているんだけどね……」
 和葉は途切れ途切れに話してくれるが、要領を得るものではなかった。
――どういうこと?
 涙に濡れる頬を指の背で拭ってくれた和葉は、軽くキスをしてきた。
「和葉さん――」
 唇に触れた生温かい感触に驚いて、涙が引っ込んでいく。
「ふふ、泣き虫さん……もう泣かないで……アタシなんかの為に……」
「だって……和葉さんの血が……私を庇ってくれたのに」
「いいのよ……それが役割……調停者としての……」
――調停者?
 蘭は聞いたこともない言葉に目を何度か瞬かせた。
「綾門院は調停者の中でも暗部な家系……だから、いつも背中にはたくさんの傷を追っているの……ふふ……喋りすぎたわ。アタシは正体を知られてはならない……」
 にやりと微笑むと和葉はもう一度蘭にキスを落としてきた。
「和葉さ……」
 口を開くとぬめりを帯びた舌が忍び込んできて、するっと冷たい塊が喉の奥に流れこんでくる。
「和葉さん――何を飲ませたの……?」
 すぐに和葉の唇が離れて、ふっと寂しそうな笑みを浮かべた。
「ごめんね、嬢ちゃん……」
 和葉がどうして謝るのかが分からず、じっと見ているとぐらりと頭が揺れる。
――目が……回る……
「和葉さ――」
 寝たくはないのにそれとは反して体はゆっくりと傾いた。
――駄目……和葉さんの看病しなくちゃ 
「……今度会えれば……ゆっくりとお茶しましょ……嬢ちゃん……」
 切なげな声と共に、迫ってきた松明の炎が瞼の裏に焼き付く。
「おやすみ」
 最後に聞いた和葉の声が安らいでいるように聞こえて、蘭はゆっくりと眠りに落ちていった。



***



 目が覚めたらすでに朝日が窓から差し込んでいた。
 ぼんやりとしていたが、昨日のことを思い出すと一気に目覚める。
「和葉さん!」
 あれからどうなったのだろうと、蘭は慌てて起きると里の中を駆け巡った。
「蘭……目が覚めたのか」
 そこに志紀が声をかけてきて、ふらりと寄ってくる。
「志紀っ……和葉さんは?」
 駆け寄って和葉のことを問いただすが、志紀は表情を一つ変えない。
「……なんのことだ?」
 眉をしかめて不思議そうにする志紀に蘭はえっと目を丸くした。
「昨日……里の人達が松明を持って……和葉さんの家に……」
 急速に不安が広がり、ダッと走って和葉の家に向かう。
 だが、蘭は呆然と立ち尽くした。
 庭に繋がる勝手口の扉は鍵がかかっていて開かない。
 玄関に回り、家に入るが和葉の姿は見えなかった。
 いや、家の中には何も残されていない。






 





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