河畔に咲く鮮花  

第三章 二十五輪の花* 1:志紀の決意


 志紀は蘭を家に見送った後で視察をするべく、いつものように里を回っていた。
「たくさん、貢物があるのだな」
それは、木陰で休んでいる公人に向けられたものだ。
 公人は志紀に振り返っては、自分の周りに散乱した荷物を見て、ああ、これですか――とのんびり答える。
「これは、姉さんの見舞い品です。里の男からここぞとばかりに押し付けられました。これで株をあげようって魂胆が分かります」
 そう言われて、里の男の顔が志紀の頭の中に浮かぶ。
 影では、蘭様とか人魚様などと好き勝手に呼んでいるが、実際に近づく者はいない。
 蘭に遠慮しているのか、ただのおくてなだけなのか、そこまでは志紀には分からなかった。
「いつも志紀殿が姉さんの傍にいるから。あなたに遠慮して、僕にこのようなお見舞い品を預けたのでしょう」
 公人は志紀の心を読み取ったのか、あっさりと言い放つ。
 志紀は自分が蘭の傍を離れないから、男どもが近づけないと焚きつけられた気がして、急に恥ずかしくなった。 
「あ、あいつら。俺に遠慮するとは、阿呆ばかりだな。蘭は別に俺の物でもないのに」
 志紀がごにょごにょと言い訳がましく言っては頬を赤く染める。
「本当にそうお思いですか? 姉さんを自分の物にしたいのでは?」
 公人の切れ長の瞳が鋭く光る。
 志紀はその挑発的な物言いにわざと乗ってやった。
「そう思っていたとしても、公人には関係のないことだ。それとも姉さんと付き合うには、弟の承諾がいるのか」
 そこまで言って、志紀は公人の人形のような顔を見つめる。
 ――こいつは時にこのような顔をする。
 いつもはにこやかに微笑み、愛想を振りまいている、物腰の柔らかい青年だというのに。
 だが、本当はこちらの方が素の姿ではないかと思うと、ぞっと背筋に寒気が走った。
 ――感情を押し殺して、笑っているとしたら?
 その全てが演技で、みんなは可憐な笑顔に騙されているとしたら。
 この公人という人形のように美しい青年の正体を知らずにいたとしたら。
 志紀はごくりと喉を鳴らして、感情のない瞳をぶつけてくる公人を見た。
 ガラス玉のような、冷たい瞳。
 底の見えない闇を孕んでいる、深い瞳。
「……僕はかまわないですよ。姉さんがあなたと付き合ったとしても。別れても、僕のところに戻って来てくれるから」
 公人は無表情にそれだけを抑揚もなく紡ぐ。
  志紀は最後の意味が理解出来ずに眉をしかめた。
「……つけ加えると、本当は僕の元に戻って来なくてもいいのです。姉さんが幸せでさえあれば、僕も幸せなんです。だから、姉さんの立場が悪くなるようなことはここではしていない」
 公人の言い方が引っ掛かり、志紀は頭を絞る。
 立場が悪くなることをしないとはどういうことだろうか。
 だが、今目の前に会話する公人を見て、志紀は恐る恐る自分の考えを口に出した。
「……それは、里の者達に好かれるよう、物腰の柔らかい、社交的な人間を装っているということか」 
 志紀の考えを聞いて、公人の瞳に初めて光が戻る。
 そして、その形の良い唇を半円にうっすらと描いた。
 そのぞっとするほどの凄絶な笑みは、公人の美しさに凄みがかかる。
 志紀はその恐ろしいほどの笑みに取り憑かれたように動けなくなった。
「その通りです。志紀殿のおっしゃる通り。本来の僕は感情が乏しく、心根も冷たい。だけど姉さんだけは僕の光なんです。その為には演技などたやすいことです。彼女を守るためであれば」
公人はふっと人形のような顔に生気を灯らせて、蘭のことを語る。
「前から思っていたが、お前はその、蘭のことを……」
 志紀は公人に聞いてはいけないことを聞いている気がして、言葉を詰まらせた。
「ええ、愛していますよ。実際に言葉に出して伝えたことはありませんが。この命も惜しくなどありません」
 姉弟ではなく、女として愛していると読み取って志紀は視線を彷徨わす。
「だけど、姉さんが誰を愛するかは自由です。それが志紀殿であってもいい」
 しみじみと述べる公人の顔はどこか寂しそうだ。それでも、優しく笑んでいるのは、蘭のことを考えてであろう。
「僕はあなたを認めているのですよ。口は悪いが、根は優しく思慮深い。里の者は仲良く喧嘩の一つもなく暮らしている。人数が少ないとはいえ、争いが一つも勃発しないのは凄いことだ。これも志紀殿の統率力だと思っています」
 志紀は公人に褒められて、ぱちくりと目を瞬かせた。
 まさかそんな風に思われていたとは。
「かなりの人格者で、素晴らしい気質の持ち主です。若いのに、みんなを率いるカリスマ性も持ち合わせている。そして、これが最も重要です。志紀殿からは闇の臭いがしない」
 公人が真っ直ぐに志紀を見つめて、柔和に笑った。
「姉さんを大切に、幸せに出来る方は闇を内側に持っていない人だと僕は思っています。あなたこそ、ふさわしい」
 公人はどこか晴ればれとした顔をして、いつもの柔らかい雰囲気に戻る。
「それでお前はいいのか? お前も愛しているのだろう?」
 志紀の疑問を含む問いかけに公人はふっと笑った。
「だから言ったでしょう。姉さんが幸せであればいいと。僕は姉さんという光にくっつく影だ。傍にいられればそれだけでいいのです。でも志紀殿が幸せに出来ないというのであれば、僕が幸せにします。そのぐらいの気概はありますよ」
「じゃあ全て蘭の意思を尊重するというのか? 蘭が誰と付き合っても傍に居れればいい。それで別れても自分が受け止める。そして、また違う男と付き合っても幸せであればいいと?」
 それではただの都合のいい男というのではないだろうか。
 公人の考えには理解が出来ないことばかり。
「ええ、言ったでしょう。姉さんが幸せであれば僕はどれだけ利用されても、踏み台にされても、道具扱いされてもいいのです。ただ傍に居ることができればいい」
 呆れるほど清々しく言うので、志紀はなにを言っていいのかも分からなくなった。
「呆れておいででしょうが、これが僕流の愛の形なんです」
 志紀の表情がおかしかったのか、公人はくすりと笑い、それだけを紡いだ。
 そこには別に分かってもらわなくてもいい、そう言った気持ちが含まれていた。
「いや、ある意味感動した。そこまでの愛の深さに驚きもしたが、そういう形もあるのだな」
 志紀が感心してそう言うと、公人はますます肩を揺らして笑う。
「やはりあなたは素直で真っ直ぐだ。どんなことでも、否定せずに受け止める心の豊かさがある。その大らかな器と許容の広さに僕は尊敬すら覚えます」
 年下にからかわれたような口調で言われ、志紀は頬を赤く染めた。
「嘘じゃないですよ。あなたが女なら惚れていたところです」
 公人が艶やかな目つきで志紀を見つめてくるので、思わず一歩退く。
「まぁ、姉さんほど愛することは出来ませんけどね」
 にこりと綺麗に微笑む公人にからかわれたと知り、志紀はますます顔を赤らめた。
 こほんと一つ咳払いして、志紀は気持ちを切り替える。
「もし、その、俺が蘭と交際することになれば、この里に残るか?」
 志紀の申し出に公人は喜ぶかと思ったが、その綺麗な顔は瞬時に曇った。
 なにかを考えあぐねているようで、迷いが見える。
「……この里は本当にいいところです。のどかで、穏やかで。姉さんは僕の見たことがない笑顔を浮かべて、川や野を走り回る。そんなに楽しそうで、はしゃいでいる姿を初めて見ました。姉さんにはこういう暮らしがあっているかも知れません。ここに来てから新たな魅力ばかりを発見するんです」
公人は遠くを見やり、その先に蘭が笑って走り回っている様を思い描いているようだ。
「もしこのまま……本当にこのままでいられるなら、僕はこの里に残っていたい」
 公人の苦しそうな吐息に志紀は、蘭の記憶に関することで迷わせているのではと感じる。
 だが、そこに触れると公人は恐ろしいほど豹変する。
 逆鱗に触れるとは正しくあのような態度のことだ。
 のんびりたおやかに喋る青年は急に翳りを見せて、必死で蘭を庇う。
 それは、まるで記憶の一つも思い出して欲しくないように。
 借金取りに追われていると言ったが、それだけであのような反応を示すものか。 
 大体、姉弟というのも怪しい。
 確かに目を奪われるほどの、美しい二人だ。
 上流階級の香りを纏わせて、醸し出す雰囲気は似ている、そういうのはあるだろう。
 だが、良く見ると二人は全く別の個々であり、性格も似てなければ、容姿も似ていない。
 そして蘭を公人は姉というより、まるで姫かなにかのように慕っている雰囲気を滲ます時があった。
 それは公人自身は気がついていないようだが。
 ちらりと公人を見るが、先程より顔を沈ませて、まだ遠くを眺めていた。
 きっと、時間がかかるだろう。
 公人が心を開き、真実を語ってくれるまでは。
 それまで、そっとしておこう。
 今は、記憶が戻らない不安定な蘭に注意を向けるべきだ。
 自分の愛した女が、苦しんでいるならこの志紀が助けよう。
 そこまで考えて志紀はふと笑いを漏らす。
 いつの間に蘭を愛してしまっていたのか。
 いや、それはきっと初めてこの目に触れてから。
 傷つき記憶をなくした人魚が、絶望に打ちひしがれて、水にたゆたう姿を見た瞬間に志紀は心を奪われてしまった。 
 長く繊細な艶やかな髪が気泡を含み、周りに淡い泡を散らしていた。
 その様があまりに儚くて、脆くて、掴めば消えそうであった。
 悲壮感を背負った顔は青白かったが、それが一層冴えてぞっとするほど美しかった。
――本当に人魚っているんだね
 アユリが見惚れてそんな言葉を漏らす。
――ああ、本当だな
 そう、アユリの言葉に返した自分がいた。
 自然に、本当に素直に口からこぼれた。いつもならくだらないと一笑に付すのに。
 それほど水の中で揺らめく人魚は、艶やかでしとやかで、宝石の如く内から輝きを放っていた。
 傷つきやすく脆いかと思えば、人魚は元気で逞しかった。
 そのギャップに驚き、その強き心に胸を打たれた。
 ぱっと太陽が咲く笑顔を放ち、里も明るくなる。
 仕事も文句を言わずにこなし、一生懸命に打ち込む。
 根性もあり、音をあげない人魚はいつも志紀の目を楽しませてくれた。
 あの気難しいアユリも懐いているようで、そんな不思議な魅力のある人魚をいつの間にか考えるようになる。
 だが、人魚は失った記憶に苦しんで、倒れるようになった。
 元気を失くした人魚を見るのは辛い。
 出会って、初めてこの目で触れた時のように、儚く消えてしまうのではないかと怖くなった。
 それからいつの間にか、毎日のように人魚のことを考え、意識する。
 頭も、目も、心も、全てが持っていかれる。
 志紀は恋をしていると――その時初めて気がついた。
 そして、人魚が川に落ちた時、海へ戻ってしまうのではないかと思ってしまった。
 後先考えずに川へ飛び込み、助けてはこちら側へ戻そうと必死だった。
 このまま目を覚ましてくれなければ、狂ってしまうかもしれない。
 それほど心臓がちぎれそうな喪失感に見舞われた。
 だが、人魚は志紀の吹きこむ息吹によってこの手の中に戻り、淡く微笑んでくれる。
 この笑顔を向けてくれるなら、人魚がどんな苦悩を背負っていても受け止めようと決心した。
 そこまで考えて、もう一度志紀は公人を見やる。
 まだ、遠くを眺めて物思いに耽っているようだ。
 謎めいた不思議な二人が、どれほどのものを抱えていても、志紀はもう迷わない。
 全身全霊で守って行く――そう、決めたのであった。






 





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