河畔に咲く鮮花  

第三章 第二十四輪の花 2:志紀と和葉

 

 
体は大丈夫だというのに、志紀がもう少し休めというので蘭は部屋の中で暇をもて余していた。
 それでもじっと家にいてはつまらないというものだ。
 書斎には入るなと言われている為に、暇つぶしの読書を出来ることすら出来ない。
 アユリのことを思い出すと、ちくりと胸が痛むが今は何と言っていいかが分からなかった。
――それにしても、意外に志紀って心配性よね
 川に落ちてからもう数日が経っていたが、なかなかと仕事復帰させてくれない。
 体を動かしてないと、どんどんと衰えて行く気がする。
 蘭はみんなが出払っているのをいいことに、家を抜け出して外れの方を散歩することに決めた。
 少しぐらいいいだろうと蘭は辺りを見回しながら、どんどんと木々の多い場所へと向かう。
 集落地に行くと人に見つかり、志紀に告口をされるかもしれないからだ。
「う〜ん、陽射しが暖かい」
 ぽかぽかとする陽気が体を暖まらせ、気持ちも不思議に落ち着いてきた。
 アユリとはもう一度話し合えばいい、そう思いながらのんびりと歩いた。
「本当に今日はいい天気」
 両手をあげて伸びをしていると、ぽつんと外れにある家を見つける。
――確か、この場所って……
 蘭は記憶を手繰り寄せて、あの夜のことを思い出した。
 志紀と源太が深夜にこそこそと何かをしていた。
 あの日は満月で、美しい夜だったことを思い出す。
 そう、確か――女性がいて――
 そこまで思い出すと、測ったように家の窓から身を乗り出す女性が目に入った。
 「はぁい、嬢ちゃん。お久しぶりね」
 ひらひらと手を振ってくるのは、あの夜に見た女性――そう和葉が姿を現す。
「あ、和葉さん」
 瞬時に名前を思い出し、蘭はふらふらと和葉の元へ歩いて行った。 
「もう外を出歩いて大丈夫なの?」
 和葉が蘭を眺めて、艶やかな瞳を少し細める。
「知っているんですか……? 川に落ちたこと」
 驚いていると、和葉はにこりと微笑み軽く頷いた。
「狭い里のことだもん、すぐに耳に入るわ。それより浮かない顔。どう、お茶でもしていかない?」
 和葉から漂ってくる香に鼻をくすぐられ、蘭の脳はぼんやりとした。
「あ、はい……じゃあお言葉に甘えまして」
 気がついた時にはそう言い返してしまい、和葉がにっこりと微笑む。
「どうぞ」
「お邪魔します」
 家にあがらせてもらうが、どこかひんやりとした空気が肌を掠めていった。
 どことなく暗い雰囲気の室内は、明るい笑みの和葉には似合わない気がしたが本人は気にしていないようである。
「縁側で飲みましょうよ、一番日当たりが良くていいのよ」
 しなり、しなりと歩く様は色っぽくて、女の蘭でもどきりと胸が跳ねてしまう。
――こんな風に色っぽくなりたい
 そう思いながら真似てみたが、腰が傷んでしまいすぐさま止めた。
「ここ、暖かくていいでしょう」
 和葉に促されて和室の前にある縁側に腰掛けると、まだ高い太陽の陽を体に浴びた。
「ちょっとここで待っていてね」
「あ、はい」
 和葉は蘭が腰掛けたのを見届けると、またしなりしなりと歩いて元きた廊下を歩いて行った。 
 和葉を待っている間、和室からがたんっと大きな音が聞こえてくる。
「な、何?」
 耳を澄ましてみるが、さきほどのように大きな音は聞こえない。
 開いてはいけないと思いながら、そっと襖に手をかけた。
「嬢ちゃん、お茶が入ったわよ」
 すっと足音もなく和葉が横に立ち、蘭は体を跳ねさせた。
――この人……やっぱり足音がしない……
「か、和葉さん……はは……」
 誤魔化すように笑い、すごすごと縁側に腰を下ろした。
「はい、ローズティ」
 和葉が出してきたお茶は、ピンク色に染まり甘酸っぱい香りが鼻をくすぐる。
「肌にいいのよ、ほら飲んで」
 飲めば和葉のような色っぽくて綺麗な女性になれるのかと思い、蘭は素直にローズティを口に含む。
――がたん
 その時また大きな音が聞こえ、蘭の肩はびくんと跳ね上がった。
「ああ、大きなネズミがいるようでね……ここは古い家だから」
 和葉がさっと湯呑を置いて、綺麗な瞳を襖の向こうに移す。
 その視線の強さに蘭はぞくりと身震いを起こした。
「ごめんね、嬢ちゃん。ちょっとだけネズミを退治してくるから」
 和葉は真横に唇を薄く引いて、音もなく立ち上がった。
「嬢ちゃんはこっちにきちゃ駄目よ」
 和葉の手がぽんと頭の上に乗り、ぐしゃぐしゃに掻き混ぜられる。
「か、和葉さん」
 乱れた髪を直そうと手を頭に持っていく様を見て、和葉はくすくすと小さく笑った。
「じゃ、しばらく待っていてね」
 和葉が襖を自分だけ入れるほどに開き、すっと入っていく。
 一瞬だけ室内に陽が差し込み、明るくなったが中には調度品というものが見当たらなかった。
――部屋には何も置いていない?
 普通は何かしらあるものだが、全く生活感がなくて不思議に思ってしまう。
 この家の違和感はそこからきているものだと、蘭はおぼろに考えた。
――がたっ
 和葉がネズミを追っているのだろうか、そんな音がが何度か続いた。
 それでも和葉が全く出て来ないので、段々と不安が募ってくる。
「か、和葉さん、大丈夫ですか」
 声をかけてみるが返事は何も返ってはこなかった。
 腰をあがて恐る恐る襖に手をかけようとしたところ、ザッと土を踏みしめる音が庭から届く。
「――蘭、外に出るなといったはずだが」
 低い声音にはっと顔を強ばらせて、蘭はゆっくりと縁側に振り返った。
 腕を組みこちらを睨み据えているのは、志紀。
「し、志紀っ」
 驚いてしまい声が裏返ってしまう。
「本当に……どうしてうろちょろと……」
 志紀が呆れ返り、はぁと長い溜息を吐き出した。
「志紀こそ……どうしてここが」
「一度、家に戻り部屋を見たがいなかったからな……人の多い場所は避けると思えば自然にここに来るのは必須だろう」
 蘭の行動は筒抜けだったようで、読まれてしまったことに赤面する。
「とにかく、家に帰るぞ」
 志紀が寄ってきて、蘭に迫ったところ――
「あら、志紀様」
 涼しいが艶やかな声が志紀の歩みを制した。
 和葉がいつの間にか後ろに立ち、さっと縁側から下りる。
 ふふ、と艶かしく笑いながら志紀の周りをぐるりと一周した。
「――どうだった?」 
「黒……でしたわ」
 その瞬間、小さく二人がそんな会話をしたのが耳に入ってくる。
「――そうか、ご苦労だった」
 志紀が労いとも取れる言葉をかけると、和葉は妖艶に笑った。
「志紀様の為ですもの、このくらい」
 和葉が肩にぽんと手を置くと、志紀が細めた瞳を向ける。
「――血の匂いがする……まさか?」
「いいえ、大丈夫ですわ……志紀様が嫌うようなことは致しません……だが、もう一人……ネズミがこの里にいます……ですけどすぐに突き止めますけど」
 和葉がそう言うと、志紀はほっとしたような安堵の息を吐き出した。
「ふふ、志紀様は優しい――私には甘く感じますが」
 和葉はにやりと笑い、さっと志紀の肩から手を離した。
「さぁ、帰るぞ蘭」
 二人しか分からないの謎めいた会話は終わったようで、志紀の意識は蘭に向く。
「嬢ちゃん、ごめんね。またゆっくりしましょう」
 和葉が縁側に戻ってきて、ばちりと片目を瞑ってきた。
「あ、はい。ごちそうさまでした」
 蘭はローズティを最後まで飲みたかったが、志紀が許してくれそうもない。
 仕方なく残したままで、むぅと怒っている志紀の元へ走り寄った。
「まったく、目を放すとすぐこれだ。しばらくは外に出さんからな」
 ぶつぶつ文句を言う志紀に引っ張られて、蘭は家に連れ戻される。
「分かったか、出るなよ。今日は源太に見張りを頼んだからな」
 門のところには大柄な男、源太がぬっと立っている。
「あ、え、に、人魚様、お入りください」
――人魚って……
 源太は勝手に蘭を人魚様と呼び、顔を赤らめてかちこちになっていた。
 相変わらず源太は蘭と公人に対して言葉数が少ない。
 いい加減、慣れて欲しいと視線を向けると余計に顔を赤らめてそっぽを向かれてしまった。
「蘭……早く入れ」
 志紀が見守る中、蘭は仕方なく家に入り部屋へと向かう。
 出入り口は一箇所しかないので、玄関に源太がいると外には出られない。
 今日はもう外に出られないと諦めて、家で過ごすことにした。
「トイレにでも行こう」
 大人しくしておこうと蘭は決めて、トイレへ向かう。
 その途中にある部屋が少しだけ開いていることに気がついた。
「あれ、ここって……」
 志紀の家の掃除をしている蘭は、一箇所だけ足を踏み入れていない場所があった。
『鍵が内側から壊れていて、開かずの間なんだ』
 志紀はこの部屋は掃除が出来ないと言っていたことを思い出す。
「開かずの間が……開いている」
 ごくんと唾を飲み込み、好奇心がせりあがってきた。
 確か、鍵がかかっていて入れないって言っていたはずだが、直ったのかもしれない。
「誰もいないし……ちょっとだけいいよね」
 ドアノブに手をかけ、そっと引くと思ったより簡単に扉は開いた。
 使用していないのであればもたついてもいいはずだが、普段から使われているような――それぐらいたやすく開いたのだ。
「失礼します……」
 びくびくしながらそっと室内を覗いて見るが、ここだけ洋室になっているようだった。
 壁も天井も白一色で覆われ、どこか病院のような雰囲気を醸し出している。
 中央には天涯つきベッドが置かれて、四隅からは絹のカーテンが垂れ下がっていた。
「わぁ……お姫様ベッド」
 少しだけ感動してしまい、蘭はその部屋に疑いもなく入ってしまう。
 だが一歩入ったところで、鼻をつくきつい匂いに眉をしかめた。
 カビ臭いような――鉄が錆びたような、どことなく気分を害する臭気が不安を広げる。
 一つしかない窓には鉄格子がぴったりと嵌められ、まるでこの部屋から逃げ出さないようにしているみたいだった。
 白いのにどこか暗く感じる部屋は妙に寒々しく肌を冷やしていく。
――なんだか、不気味な気がする……
 視線を巡らせると白い壁にところどころだったが染みがついていた。
「何だろ……」
 じっと目を凝らして見ると、それは赤黒い跡を残していた。
「……まさか……血……とか……」
 冗談のつもりで言ったが、血だと思えばぞくりと背筋が冷たくなる。
『開かずの間』
 そう言いながらこの部屋にこさせたくない理由があったのではないだろうか。
 実際に扉は開いたし、使用されている感じがある。
 知られたくない何かがこの部屋で行われていたとしたら――
 蘭はそこまで考えて、ぞっと背筋が凍った。
――まさか志紀がここで何かを?
 疑問が浮かび、さきほどの和葉とのやり取りが思い浮かぶ。
『血の匂いがする――』   
 志紀の言葉を鮮明に思い出すと、ふらりと体が傾いた。
――私の知らない志紀が……いる……それでも里の人は知っているような……秘密が……ここにはあるっていうの……
 段々と怖くなって蘭はゆっくりとその部屋から出た。
 震える手で扉をきっちりと締めて、一目散で部屋に帰っていく。
 急に怖くなり、ベッドに潜り込んで布団を頭から被った。
「考えない――考えない」
 蘭は自分に暗示をかけるように何度もそれだけを繰り返し呟いて、きつく目を閉じる。
 「そう……志紀は助けてくれた……公人君の怪我も治してくれているし……何か理由があるはず……」
 志紀に対する疑問を振り払い、蘭は嫌な気持ちを意識から除外した。
 そして無理やり眠りへとついていった。  






 





142

ぽちっと押して応援して下されば、励みになりますm(__)m
↓ ↓ ↓



next /  back

inserted by FC2 system