河畔に咲く鮮花  


第三章 二十二輪の花 アユリの過去


 
 「里全体の草むしりに、山で山菜採取、井戸で水汲み、花に水やりに、三時には志紀のお茶淹れ、志紀の家の掃除、洗濯、食事の支度、風呂入れ、就寝前のマッサージ……なんだこりゃ。最後の方はほとんど志紀専用の用事じゃん。俺もここにアユリのマッサージってつけ加えとこう」
「あのねぇ、聞こえているんですけどぉ」
 アユリが読み上げる紙面に目を通して、蘭は勝手にアユリのマッサージをつけ加えられたことに口をへの字にした。
――それにしてもいつのまにこんなスケジュールを
 どうやら志紀が昨日の内に、その紙面を作成したらしく、アユリに指示をしている。
――あの傲慢な青年が作ったにしては細かい
 案外マメな男だと蘭は感心しつつ、アユリに案内されて里を回った。
 季節は夏真っ盛りで朝から太陽が高い。
 気温もあがって、すでに蒸し蒸しとしていた。
 段々畑では里の住人が手作業で働き、あちこちでせわしなく動いている人の姿も見かける。
――凄いな、みんな活動的……
 朝から働く人に感心しながら、蘭は里の中を観察していた。
 アユリが蘭を連れて歩く度に、やはり里の住人は手を止めて視線をぶつけてくる。
話かけて来るのかと思いきや、どこか一線を置かれているようで、見て来るだけだった。
――やっぱり……視線が痛い……
 居心地の悪さをどこかでは感じるが、蘭達はよそ者。
仕方ないと溜息を吐きながら、アユリの背を追った。
「ねぇ、この里はなんて名前なの?」
 アユリの背中に声をかけると、のんびりと体をねじって来る。
「正式名称はないけど、人魚の里って言われている」
――人魚の里
 その突飛な名称に蘭は目を白黒とさせた。
「あんたらが落ちた川の先は海に繋がっていてね。その昔は人魚が迷い込んで来たらしいよ。だから、勝手に人魚の里になったってわけ」
――人魚なんているわけ?
 伝奇めいた話を聞いて、はぁと感心したり、呆れたり。
「馬鹿らしいけど、本当に人魚はいるって信じている里の人間もいるんだ。人魚の血や肉は不老不死、あるいは長寿になり、交じわると生命が延びる、そんなけったいな伝承も伝わっている」
 アユリは両手を頭の後ろで組んで、どすどすと歩く。
――なんだか……不思議な話ね
 蘭は半信半疑でアユリの話に耳を傾けた。
「ま、そういうの信じているのは、もう年老いた老人だけだけどね。だけど、この土地のどこかには人魚が埋まっているかもよ」
 アユリは意地悪くにやりと笑い、蘭の反応を楽しんだ。
「へぇ。なんだか夢のある話ね。人魚とかって、ロマンチック」
 蘭は目を輝かせて、伝説の人魚の姿を思い浮かべた。
「そういうあんたらが人魚だったりして」
 アユリがじとっと視線を送って来て、蘭は目を丸くする。
――え、私が?
 唐突にそんなことを言われて蘭は驚いてしまう。
 アユリはにやりと笑いを浮かべて大きな目を細めた。
「滅多によそ者なんて来ないからさ、この里は。俗世から隔絶されて、ほとんど外界へ出る住人は少ない。免疫のない奴らは、ちょっとでも綺麗な奴を見ると、すぐに人魚だと騒ぎたてるんだ」
――綺麗な外界の人?
 蘭の視線を感じたのか、アユリは慌てたように否定する。
「俺は全然、綺麗と思っていないから、そんな馬鹿なことは思わないけどさ。だけどあんたの弟はちっとは見れるだろ? 里の女が色めきたってさ。志紀はあんな美貌を持っていても、高飛車で傲慢で、娘達は怖れを抱いているけど。弟君は貴族様で、たおやかに微笑む。包帯を換えた女が興奮して、噂していたぜ」
 そこまで聞いて蘭はえっと言葉を詰まらせた。
 いつの間に公人の世話を他の女がしているのだろうか。
 なんだかおいてけぼりを食った気になり、胸が複雑に騒ぐ。
昨日は僕を捨てないでと不安そうに言っていたのに。
 さっさと女を作って、蘭を捨てるのは公人の方ではないかと思ってしまう。
――なによ、公人君
 蘭は少しむすりと頬を膨らませて、道に転がる小石を蹴飛ばした。
「なに? 誰かに弟君を取られるのは悔しい? 蘭姉ちゃん」
 わざとアユリはお姉ちゃんと煽る言い方をして、蘭の神経を逆なでしてくる。
「あんたねぇ、ほんっと生意気。子供はもっと、かわいく素直でいなさいよぉ」
「子供でも、ガキでもない。アユリって呼びなよ。蘭姉ちゃん」
 たたみかけるようにアユリが言うので、蘭はますますむすっとする。
「蘭姉ちゃんってなによ。さっきまで、『あんた』呼ばわりだったのに」
「だって、そっちの方がいいでしょ。おばちゃんって呼ばれたい? ねぇ、蘭おばちゃん」
 アユリがくすくすと笑うと、蘭をからかうようにおばちゃんと連呼してきた。
「蘭おばちゃん、蘭おばちゃん、蘭おばちゃん〜」
「アユリ! あんまり生意気言うと、その鼻をへし折るわよ」
 蘭は志紀がやっていたように、アユリのすっと伸びた鼻をぎゅっと力一杯に摘まんでやる。
「いたたたっ、止めろよ。なに、大人ぶってるんだよ」
 アユリが蘭の腕を掴んで、子供とは思えない力を込めてきた。
 蘭の腕はぎゅっと絞られて、思わずアユリの鼻から手を放す。
「これでも筋トレはしていてね。力はあるの。子供と思って馬鹿にしたあんたが悪い」
 あんた≠ノ戻り、アユリはへっと馬鹿にしたように笑う。
「蘭姉ちゃんの方がかわいい。あんた呼ばわりなんて、むかつく」
 そう言うとアユリはふと笑うのを止めて、ふらりと近寄って来た。
 そして綺麗な瞳を向けてきて、にっと口端を吊り上げる。
「いいよ、蘭姉ちゃん。これからそう――呼んであげるよ」
 アユリはぎゅっと蘭の胸を両手でわし掴みして、何度か感触を確かめるように揉みし抱く。
「ちょっ! なにするのよ!」
――この子、胸をわし掴みした!
 蘭が顔を真っ赤にして怒ると、アユリはすっと体を放して生意気に一言だけ放った。
「まぁまぁだね」
 べろっと舌を出して、アユリはおもしろそうに笑う。
――まぁまぁって……
 蘭は自分の胸の大きさを十四歳の少年に評価されえ絶句してしまう。
「そんな程度で、大人ぶったつもりなわけ? 子供呼ばわりする割には、自分も全然色気ないじゃん。ねぇ、蘭姉ちゃん」
「人の胸を触っておいて色気ないって!」
 蘭は怒りにまかせて手をぶんぶんと振るが、全てアユリに避けられて、スカッと空を切る。
――ああ、避けた!
「くっくっくっ、滑稽だね。子供だと思っている俺にからかわれて必死になって、笑える」
 アユリは蘭からの攻撃を全て華麗にこなして、ちょこまかと逃げ回った。
「ちょっ、ちょっと待ちなさいよ。少しは年上を敬いなさい!」
 蘭はぜぇぜぇと息を切らして、白い額に滲んだ汗を拭う。
 そこにすっとタオルが差しのべられて、違和感もなくそれを手に取った。
「あ、ありがとう」
――あれ、このタオルどこから……
 だけど、すぐに殺気を感じて、蘭は怖々と顔をねじる。
「貴様は馬鹿か、遊ぶ暇があるならここの草むしりを早くしろ」
 そこに立っていたのは、怒気丸出しの志紀であった。
――志紀っ!
 仁王の如くその場で腕組みして、睨みつけてくる。
――こ、こわっ……
「貴様……文句あるのか?」
 ひっと蘭は喉の奥をひきつらせて、あまりの恐ろしさに肩をすくめた。






 





128

ぽちっと押して応援して下されば、励みになりますm(__)m
↓ ↓ ↓



next /  back

inserted by FC2 system