河畔に咲く鮮花  




 体を重ねる間は男として燃えるが、気がついた時には醒めた目で女が喘いでいるのを見ている時もある。
「好きだ――」
 などと偽りの言葉を吐き、女をその気にさせた。
 抱く前に、女と風呂に入り、丁寧に洗ってやる。
 それを尽くされていると勘違いしている女達。
 本音は洗ってもいない体を舐め回すなんて真っ平だからだ。
 香油を塗りたくっていても、臭いものは臭い。
 女達の話にもうんざりだ。
 この方から、アプローチを受けているの。どう思う、公人。
 本当のところどうでも良かった。
 さっさとそっちの男へ行って、自分の元を離れて欲しい。
――あなたなどには興味がない、だから遠くへ行ってくれないだろうか
 そう願ったが、女の引きとめて欲しいという感情を読み取り、わざと泣き出しそうな顔で、行かないでと囁く。
 そうすれば女は満足し、公人を愛していると何度も呟く。
 くだらない駆け引きをされて、正直そろそろ女達を相手にするのも疲れてきた。
――さすがに疲れてきた
 どれだけ女達からお金を引っ張り上げても、湯水のように母と父は消化していく。
 それも闇金まで手を出していて、多額の借金はどんどんと膨らんでいった。
――いつになれば、この借金まみれの地獄から這い出せるのだ
 両親の借金に息子の公人まで迷惑を被る。
 華やかそうに見える、貴族や覇者の世界。
 だが、裏ではどろどろとした感情が渦巻き、公人の心はどんどんと闇へ堕ちて行った。
――没落寸前の貴族など、貴族でいる意味もない……
 浮名を流している公人を気に入らない男達からは、裏ではいびられたり逆恨みされたり。
 公人を取り合い、三角関係、時には四角関係にもなり、殺傷事件まで起きた。
 覇者の娘からはストーカーされ、無理やり婚姻を結ばれそうになったり。
 公人が年を重ね、十八歳になった時は、その美貌に誰もが酔い知れ、人妻さえも虜にした。
 そのおかげで妻の夫から恨まれて、公人は危うく殺されそうにまでなる。
 そんな公人を見ても母は上出来よ、公人さん――と醜く笑う。
 傲岸で、横柄で、美人で、誰にも負けないと思い込んでいる、覇者と貴族の娘達。
 裏では平気で悪口を言ったり、他の者を陥れたり、欺いたり。
 没落しそうになった貴族を鼻で笑い、弱い者には目もくれない。
 いつの間にか、公人の目も濁り、眩しく美しいはずの太陽が、黒く見えた。
 太陽が黒い――いつから光を感じなくなってしまったのか。
 天を仰いでも、穴が開くほど見ても、太陽の色はと聞かれたら、公人は迷いなく、黒いと答えるであろう。
 心もいつの間にやら闇色に染まっているようであったが、公人はそれでもどうでもいいと思った。
 いつものように女を引っ掛け、満足させて、人形のように仕事をこなす。
 これが公人の日常であり、これからも変わらぬ毎日であろう。
 人と多く関わり、闇を見過ぎた。
 だからと言って、公人は何も変わらない。自分も闇側の人間になってしまっているから。
 それを嘆くこともなければ、悲しむこともない。
 感情は年を重ねる度に、心から消えていく。
 いっそ、なにも感じなくなれば本当の人形になれて、楽であろう。
 それを期待して、公人は社交用だけの笑顔を振りまき、女を虜にする。
――何をしようが、感じない。いつものように笑顔を振りまけばいいのだ
 どんなにプライドが高く、表面を取り繕っていても、可憐な笑顔を見せつければ、女達は一発で落ちる
そのくらい公人は美しき青年として成長していた。
 そんな折にあの斎藤家の蝶子――愛称、蝶姫から話が舞い込んで来た。
 蝶姫はこれまで見た女と比べようもなく、色気のある美貌を持ち合わせていた。
 だが、心の中の野心が見え過ぎていて、美しい顔は時に醜くくも見えた。
 姉小路家の借金をどこからか聞きつけたのであろう。
 あっさり、公人は蝶姫に買われることになる。
 息子が小姓として買われたというのに、両親は手を叩いて喜んだ。
 姉小路家の借金を全て引き受けるという条件に親はすぐに頭を縦に振った。
――今度はこの女を抱くのか
 煩わしいとも思ったが、これも仕事だ。
 仕方ないと公人は僅かなりの不満の感情を捨てた。
 蝶姫は公人を身受けする変わりに一つの条件を出してきた。
 それはあまりにも驚くような内容で困惑する。
 覇王の妻と関係を持ち、引き離せというものだ。
 そこらで浮名を流したお前なら簡単でしょう――と蝶姫は楽しそうに笑う。
 そう言えば、名だたる名家である斎藤家の蝶子を蹴ってまで、覇王は下慮の女を選んだと聞いた。
 戴冠式の中継は息子の信雪が覇王の記を受け取り、そこで終わっている。
 その後に婚儀がされたと噂では聞いていたが、全て中継が揉み消されて闇に葬られていた。
――まさか、本当に覇王が蝶姫を蹴ってまで、下慮を花嫁に迎えたというのか
 若干信じられなかったが、蝶姫が嘘を言う必要はない。
 これはトップシークレットだと念を押されて、公人は覇王の屋敷へ連れて行かれた。
 広大な屋敷は離れになっており、覇王とその花嫁だけが住んでいるという。
 覇王を虜にする下慮とはどんなものだろうと、公人は珍しく興味を抱いた。
 絶世の美女で、この蝶姫よりも色気のある妖艶な女。
 そんなイメージが勝手に思い浮かぶ。
 そしてこの広大な屋敷に二人っきりで、ずっこここに一緒に居座るよう覇王にしなだれかかってお願いをする。
 きっと、一癖も二癖もある女であろう。
 このやり手で、曲者の蝶姫を退けるぐらいなのだから。
 公人は気合いを入れてかからないと行けないと意思を固めた。
 だが、初めて覇王の花嫁と出会い、イメージががらがらと崩れ落ちる。
 確かに綺麗な娘ではあった。
 艶やかな雰囲気の中にも清らかな香りを滲ませている。
 それでも、蝶姫に適うほどの色気のある美女ではなかった。
 公人は根底を覆され、少々のカルチャーショックを受けた。
 性格に癖があり、とても計算高いのかも知れない。
 容姿の次に性格に重点を置く。
 だけど、闇の臭いがしない娘は、無邪気で明るく、蝶姫にいびられても逞しく歩く、芯の強い者であった。
 なにがなんだか分からず、公人は困惑する。
――これが、覇王の花嫁。ただのそこら辺の娘ではないか
 尊厳も、威厳も、尊大さも、不遜さも、傲岸さも見えない。
 公人が可憐に微笑むと、少しだけ頬を染めて恥ずかしそうにする。
 貴族様には手の届かない、商人の娘や一般市民の娘が見せるような顔。  
――これは、簡単かも知れないな
 公人はすぐに終わるゲームにつまらなくも感じた。
 もっと傲岸で、横柄な態度を取ってくれた方が、落としがいがあると言うものだ。
 公人が相手してきた女は全てそのような者であったし、落とした後はしつこいほど束縛してきた。
 すぐには近寄れずに、公人は娘を観察する。
 すれ違う時に、にこりと極上の笑みを湛えると、娘は気さくに挨拶を返してくれる。
――覇王の妻なのに、もっと威張ればいいものを
 蝶姫を囲むメイドや、同じ貴族の小姓達は、娘を下慮ということだけで馬鹿にし、なじる。
 確かに教養は身についていない。
 それでも娘は一生懸命に、覇王の妻として恥をかかない為に、毎日、毎日、飽きるほど稽古事に身を宿していた。
 夜遅くまで起きて、娘が花を活けている姿も見たことがある。
 頑張っている姿を見ていると、不思議に視線が娘に行くようになった。
 挨拶を明るくされる度に、優しく笑いかけてくれる度に、なぜかそれを待つ自分の姿もある。
――いつの間にか視線が向いてしまう
 あれだけ蝶姫に苛められても、娘は弱音の一つも吐かない。
 普通は、一般市民の女でさえ、貴族の家に娶られた瞬間、変貌する。
 それまで、普通の純粋な娘は豹変し、傲岸でわがままで気位だけが高い嫌な女となる。
 そういうのを公人は腐るほどこれまで見て来た。
 それが、覇王の妻にまで登りつめた娘が、下慮の時となにも変わらずに、その自然な状態のままで居られることが不思議であった。
 娘に意識がいき始め、にこりと微笑まれた瞬間、そこに色が咲いた。
 花のように初々しく、瑞々しい娘を見て、公人はどきりと胸が跳ねる。
――なぜだ……胸がどきどきとする……
 その日は娘の笑顔が忘れられなかった。
 その夜、初めて蝶姫は公人に背中を流せと命令を下した。
 今までは何人もの引き連れた貴族の息子達にさせていたようだが、とうとう公人の番が回ってきたのだ。
 パターンは読めている。
 背中を流させるというのは、表向きの行事。
 蝶姫の体に興奮させて、その後は抱かせて下さいと、懇願する男達を焦らすだけ焦らす。
 そうやって男をかしずかせて、蝶姫は弄び、男達に激しいまでの伽の相手をさせる。
 一緒にいる小姓からは、覇王が蝶姫に一度も触れていないうさ晴らしをしていると聞いたことがあった。
 それはそれで信じられなかった。
 あの蝶姫を見ても、男として機能を果たさないとは。
 公人は仕事をこなすべく、蝶姫の待ち構えている風呂場へと足を運んだ。
 服の上からも想像した通り蝶姫の体は魅力的で、素晴らしいものである。
 男を惑わすような張り出した大きな胸に、くびれた腰つき。
 引き締まったお尻から、すらりと伸びる長い足も、全てが完璧に近い造形美。
 そして、色気のある艶やかなる美貌を湛えた顔。
 大きくてふっくらとした唇を見て、男達はそこに咥えこまれる自分の肉径を想像して、勃たせるだろう。
 だが公人は初めて自分の違和感に気がついた。
――どうしてだ?
 この裸を見ても、公人のモノは全くもって反応を示さない。
 それに怒りを刻んだのは蝶姫だった。
 プライドの高い蝶姫は自分の裸を見ても、反応をしない公人をとことんなじった。
 男が好きなのかまで、暴言を吐かれて公人はすぐに風呂場から追い出される。
 今までは心がなくとも、体は反応はしていた。
 なのに、今日は全くもって駄目だった。
 蝶姫の裸をもう一度想像してみても、公人のモノは勃つことすらなかった。
 もしかして、心が闇に囚われすぎて、不能になってしまったのかも知れないとまで思う。
――そうだな……太陽さえも黒く見えるのだ……心はさらに真っ黒だ……
 そこからプライドの高い蝶姫に風呂に呼ばれることはなくなった。
 それはそれで、煩わしい伽の相手をしなくていいので、安堵する。
 その間も相変わらず、公人の視線は娘を追っていた。
 見ているとなぜだか、気持ちが落ちつき心が温まった。
 そして、公人の心を大きく変える日がやって来る。
 それは予想だもしない出来事だった。
 覇王の警護役の典子と剣を交えていた時だ。
 蝶姫達はわざと典子に石をぶつけ、公人に勝利をさせた。






 





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