河畔に咲く鮮花  




それだけを放つと、雪の手をほどこうとする。だが、雪は力を緩めてくれない。
「駄目だ、俺の傍にいると約束したろ。お前は俺の小姓だ」
 上から言い放つ物言いに蘭はまたムッと顔をしかめる。だが、雪に逆らえば家族を焼き討ちにするとまた脅されるかも知れない。大人しくなった蘭に満足すると、雪は新しい提案をしてきた。
「お前はこれから男として、この学園へ通え」
 へっと目を丸くしたのは蘭だ。
「ああ、それいい考えじゃない。男なら今日みたいに襲われる心配もないもんね」
 それに同意するとも。やはり上級階級の者の思考にはついていけなかった。
「僕の身長伸びる前の制服があるよ」
 ともが嬉しそうに言い、雪はそれを着させろと賛同した。勝手に話が進み、蘭は髪はどうするんだと聞くと、雪は一言だけ放った。
「ポニーテールにしろ」
 横暴もいいところで、蘭は男に仕立てられ、三年生へ編入するのであった。

+++

 森下蘭という一見、男ですと言われればそうに聞こえる蘭の名前を聞いても誰も女とは疑いもしない。
 というより、蘭の存在自体に誰も興味がなかったようだ。
 男と思ったのか、立花銀(たちばな ぎん)という隣の席の男子が軽快に笑いながら話しかけてくる。一緒に連れションをしようぜ、と肩を組まれてトイレに行った時は胸がどきどきとした。
 男なのに個室に飛び込んだらどう思われるか。だがそれは杞憂に終わる。さすが、貴族や覇者が通う上流な学園。
 トイレは全て男子だろうが、個室しかなかった。便座も暖かく、シャワーまでついていて、驚くしかない。 
 教室へ帰ると、女子達がざわざわとざわめき、大きな声で話をしていた。
「家朝君の元服宣言聞きまして?」
「とも様がお相手を決めたようですわ」
「どこの姫が射とめたのかしら」
 ざわざわと色めきたって大声で話すから蘭は首を傾げた。ちらほら聞こえる声は、さっき庭で会ったばかりの男の子、とものことを言っているように聞こえる。
「……何の話しをしているの?」
 雲の上の人の話しについて行けず、銀に振り向き、事の流れを尋ねる。
「ほれ、徳川の末裔の元服が決まったんだよ。それと一緒に、脱童貞宣言したんだってよ」
「はぁ……脱童貞宣言……」
「だろ、呆れるだろ? わざわざそんなこと言って、何年も前から相手を募っていたんだ。そりゃあ、徳川の跡取りだ。星の数ほど殺到したそうだぜ」
 銀は苦笑いしながら、クラスメイトの女子達を見つめていたが、それを聞いて蘭は、んっ? と顔をしかめる。
「……徳川……の跡取り……とも君が?」
 蘭の鼓動は激しく乱れる。
 ――ともは貴族ではなかった。その上の階級、覇者の者。
 身分階級でいうと、ピラミッドのトップに君臨する。
そのともは、覇者の中でもトップ三に入る――御三家と呼ばれるうちの一つであり、蘭にとっては天の上の人。 
 そう、ともは徳川家の子孫――徳川家朝(とくがわ いえとも)。
「まさか……とも君が……」
 蘭は口を手で塞いで、わなわなと震えた。覇者の世界でもなかなか会えることがないという、御三家にまさか会ってしまうとは信じられない限りである。
「ほんと、御三家だってだけで言い身分だぜ。俺だって由緒ある、覇者の子孫。立花銀様だってのによ」
 その言葉にぎょっと蘭は目を剥いた。肩を組み気軽にトイレに一緒に行った男、銀も覇者の者。
 ピラミッド階級の一番上に坐する者。蘭があんぐりと口を開けていると、銀は不思議そうに見てきた。
「別に俺はお前が貴族でも差別はしないぜ。覇者の中には、貴族でさえ下の階級だから無下にする奴も多いが」
 それを聞いてごくりと蘭は喉を鳴らす。自分がどれだけ場違いなところに身を置いているのか、今更ながら後悔した。
 貴族と覇者が通う学園だから覇者がいるのも分かりきっていた。だけど、こんなに身近に会えるとは思ってもいなかったから、戸惑いは隠せない。
 自分が下慮だという身分が分かればどうなってしまうのか。
 考えただけでも蘭は恐ろしくて体が震えた。
「蘭、飯だ、一緒に来い!」
 その時、教室の扉がバシーンと横に開かれ、雪が現れた。一瞬、水を打ったように教室内は静まり返り、その後はどっとどよめきが起こる。
「きゃああああっ! 雪様!」
「織田信雪だ、初めて近くで見たぞ!!」
「覇王だ、覇王が来たっ!!」
 蘭は悲鳴にも似た喧騒の中、茫然と雪を見つめる。その名を聞いて、背筋に冷たいものがつーっと走っていった。
 織田信雪(おだ のぶゆき)……? 
 覇者のトップ、織田家の末裔。全国を支配する、実質的な権力者。
 その者は、覇者の頂点で、覇王(はおう)という称号を手に入れる。
 《――覇王・織田信雪》
 蘭は雪の正体を知って、体の震えが止まらなかった。だから、義鷹でも頭があがらなかったのだ。
 今頃、その事実に気がついて蘭は恐ろしくなった。雪が家族を焼き討ちするという言葉は嘘でもなんでもない。
 やろうと思えば、蝋燭の火を消すよりたやすくやってのけるだろう。
「お前なぁ、普通は小姓が俺を迎えに来るもんだ。世話が焼けるぜ」
 雪はどかどかと教室に入って来る。生徒達が避けて、自然に道が割れる。真っ直ぐ蘭に向かって来て、雪は腕を取ると教室をあっと言う間に出て行った。

+++

「蘭ちゃんいうんや。かわいいなぁ、女の子みたいや。あ、俺は豊臣秀樹。ゆっきーより、上で九年生。いい頃あいの二十四歳」
 カフェテリアに連れて来られて、丸テーブルを囲む蘭と雪の仲間。
 豊臣と聞いて蘭はぎくりとする。
 目の前には金髪で髪を後ろに一つに結んで、ピアスをじゃらじゃら開けている人懐こい男が、御三家の一つ、西の勢力者、豊臣秀樹(とよとみ ひでき)。
 もちろん豊臣家は織田家が大好きで、東と西は良好な関係だ。雪を崇めているようで、この二家が仲が良いことはいいことである。
蘭の隣でともがべたりと寄り添い、にこにことしている。
「僕は徳川家朝。一年生、十五歳だよ。紹介が遅れたね、蘭おねーさん」
 おねーさんという言葉にぎょっと雪と蘭が目を丸くするが、ともは構わないと言った風だ。
「蘭おねーさんか、いいな。それ。可愛らしい男子、蘭ちゃんにぴったりや」
 秀樹は疑わない性格なのか、正直にいい呼び名やと仕切りに関心する。蘭が男装しているのに気がついていないのか、秀樹はにっこりと笑った。
「秀樹が馬鹿で良かったな」
 そんな秀樹の様子を見て、雪がくすりとおもしろそうに笑った。
「雪様、お席をご一緒してよろしいでしょうか」
 そこに降って湧いて来る声に蘭は視線を向けた。雪や秀樹と同じ、五年生ののネクタイをつけている女生徒。
 ぴんと背筋を張り、凛々しい立ち姿。スッと目尻に向かって伸びた瞳は艶やかで、情感めいた唇は少し上にあがって微笑んでいる。妖艶なのに、高貴な臭いが漂う、女の蘭でも目を奪われるほどの美しい女生徒。
 見たこともない高貴で美しい女生徒に蘭は呆気に取られていた。
 ――格が違う。正直に蘭はそう思い、息を呑む。
「やあ、蝶姫(ちょうひめ)ちゃん」
 秀樹はスイっと手をあげて、その女生徒を気軽に蝶姫と呼んだ。だが、雪はけだるそうにパンを黙々と食べる。
「雪様、否定なさらないってことは席についてもいいってことですね」
 有無も言わさず、その女生徒は雪の隣に座る。
「……また、毛唐の違う野良猫を拾ったんですの?」
 その険のんとした言葉は蘭に投げかけられたものだった。
「……蝶子、小言が言いたいなら他へ行け」
 パンにかぶりつく手を止め、スイっと雪は蝶子に目の端だけを向けた。蘭ならびくりと肩を震わせる怖い視線なのに、蝶子は一切怯まない。
「身分ぐらい、もちろん調べていらっしゃるんでしょうね。雪様は織田家の当主。覇王でいらっしゃる。あなたの懐に入り、寝首をかこうと思う者がどれだけ……」
「うるせぇ、それ以上言ってみろ。てめぇとの婚約を解消する」
 その言葉に蘭はずきんと胸が痛んだ。この圧倒的な美貌を放つ蝶子は雪の婚約者。織田家の婚約者と言うことはそうとうな位の覇者の娘なのだろう。
 だから物おじもせずに意見を述べられる――それが対等な証。
 このように綺麗で芯も強い婚約者がいるのに、なぜ雪は蘭にあんなことをしたのだろう。
 あれだけ激しく蘭を求めていたはずなのに、今もこうして傍に置いているというのに。少しだけ好意を持たれていると思ったが、全て蘭の勘違いということに気がつく。
 覇王と呼ばれる雪が、蘭を気にしているのは、下虜という立場が珍しいからだ。なにをしても文句は言われず、後腐れもない蘭はただの遊び。小姓と言名ばかりの遊び女なのだ。
 ――当り前か、自分は身分も低い最下層の下慮なんだから。急に悲しくなって、蘭は席を立った。だが、すぐに雪に腕を掴まれる。
「ここにいろ、退場するのは蝶子の方だ」
 蘭の腕がぎしりと鳴る。雪の力が込められて、腕に痛みが走った。







 





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