河畔に咲く鮮花  

第二章 第二十輪の花 1:全てが散っていく夜

《第二章完結編》



 ――本玉寺・数時間前にて――



 広大な敷地の庭には毎日清掃されているであろう、白く細かい砂利が敷かれてあった。
 木立の間には石灯篭が規則的に並べられてある。
 だが、今は火は灯っておらず、木戸が開け放たれた本殿からはこちらに気がつくことはない。
 それほど薄暗い闇の中で、光明と義鷹はじっと佇み中の様子を窺っていた。
 朧月が本殿を照らし、雪と蘭を捉えることが出来ている。
――蘭……雪様……
 義鷹が雪に装着した発信機を追って、この寺へとやって来た。
 寺の僧侶達の影は一つもない。
 変わりに寺の中には、徳川家の者がはびこっていた。
 ともが、計画を立ててこの場所へ雪を誘い込んだのだろう。
――とも様も思い切った行動に出たものだ
 義鷹はそう思いながら、静かに見守る光明の横顔をちらりと盗み見た。
「これからどうなさるおつもりです? 徳川が覇王の記を奪い、そこからまた狙うって筋書きでしょうか」
 重く沈む沈黙に耐え切れず、つい口を出してしまう。
「そうだな、それもいい」
 ようやく口を開いたかと思いきや、光明からは釈然としない回答が返ってくる。
 まさか、なにも計画を立てていないのではと不安に駆られるが、終始余裕ぶった光明を見ているとそうではないと思いなおした。 
「まぁ、見ていろ」
 義鷹の納得行かない態度を見たのか、光明は淡々とそれだけを述べる。
――ここで待てというのか
 そこから時間が刻々と過ぎ去り、本殿では雪と蘭の結婚式じみた光景まで見ることになる。
 ちりっと胸が痛み、義鷹は苦渋の色を浮かべた。
 そうやって、蘭と愛を語らうのは義鷹自身のはずだったのに。
 だが、もう少しの辛抱だった。
 後、少しで覇王の記を手に入れられる。
 その後は光明から奪い取り、下慮の癖に革命を起こした犯罪人として処刑する。
 そして、雪に王位返還してもらうのだ。
 その筋書きを胸に抱いて、義鷹は焦る気持ちを押さえた。
 蘭を、早くこの手に抱きたい。
 雪がしているように、あのように、蘭を狂おしく抱ける時間が迫りつつある。
 蘭の全てを奪うようにかき抱く雪を、自分自身に投影して義鷹は胸を踊らす。
「ふふ、見ろ。徳川の坊ちゃんのお出ましだ」
 光明は前方を向いたまま義鷹におもしろそうに言う。
 本殿には徳川の家の者が雪達を取り囲み、ともがとうとう指輪を奪い取った。
 まるで、映画のワンシーンを見ているような気になり、義鷹はその結末に見入っていた。
――この後にとも様から指輪を奪い取る
 義鷹はそう思っていた。
 だが、隣に佇む男をみくびり過ぎていた。この男を信用してはいけないと分かっていたはずなのに。
 ドォンと――爆発音が轟いて、義鷹達がいる場所も地面が揺らいだ。
 何事かと目を見開き、寺の方に顔をねじる。
 そこで見た光景に義鷹は茫然としてしまった。
 炎がめらめらと舞い上がり、寺を燃やし始めている。
「なっ――!」
 言葉を失くした義鷹はすぐに光明の仕業だということを知る。
 バッと光明に顔をねじるが、義鷹の目には驚きが刻まれた。
 立ち昇る炎を見ながら、艶然と微笑む光明は、この世の者ではない。
 そこには、禍々しくも美しい地獄の使者――悪魔がいた。
 義鷹は今更、事の重大さに気が付き自分を呪った。
――なんてことだ、私は悪魔に魂を売ってしまっていたのだ
 この男の囁きに耳を傾け、今まで馬鹿みたいに心酔し、最後に大事な者を失う。
 覇王の記を手に入れる代償は自分の魂ではなく、最も愛した女の魂。
「俺には色々とパイプがあってな。徳川の中の者を自分の計画に引き入れ、爆薬を仕掛けて貰ったんだ。ここだけじゃないぞ。今頃、大きなテロがそこらで起こっている。蘭が拉致された伊達がいる場所も、伊達家本家、織田家本家、そして、この寺。一斉に覇者争いの頭角達を殺せる。ちゃんと、豊臣家にも爆薬をお見舞いしてやったから、心配するな」
 その真実を聞いて義鷹は慄然とする。
「この爆薬はあなたが……用意したのですか?」
「ふふふ、最上って男にたくさん用意してもらった。色仕掛けで迫ればいちころだったぞ。全くつまらない男だった」
 光明はそれだけを言って、口元にまた残酷な笑みを浮かべる。
「あなたという人は……」
 義鷹は言葉に詰まり、光明を凝視した。
――この男はずっとパイプを繋げていた…… 
 初めて会った時も、計画を進めていた時も、確かに光明はいつも権力者の娘といた。
 義鷹が今川家の当主として、力をつける時も、光明から権力者の女を腐るほど紹介された。
 義鷹は今川家トップに踊り出て、それまでバックアップしてくれた娘達をこっぴどく振り、手を切った。
 愛情の欠片もない女共に恋人面されても迷惑だけだったからだ。
 政も一部担うことになり、当時は織田家、豊臣家から庇護を得て、娘達ももう義鷹に逆らうことは出来なくなっていた。
 いくら、逆恨みされようが義鷹にはそれを跳ね返す力があったからだ。
 だが、光明は義鷹が手を切った後も、ちゃんと繋いでいたのだ。
 そして、駒にしていざという時に使う。
 きっと、徳川家の裏切り者も光明に仕掛けられた権力者の娘によって誘われ、こちらに寝返らせたのであろう。
 新しい駒を次々に手に入れ、光明は自身の手を汚さずに傍観しているだけ。
 ぞっと凍るような冷たさが背筋に走る。
 ――恐ろしい男だ。その艶やかな笑みに含まれる毒のことも分かっていたはずなのに
「……覇王の記はどうするんです。この騒動の中で奪うのですか」
 義鷹の心に闇がはびこり、吸う空気さえも重たく感じる。
「全て燃え尽きた後でゆっくり探せばいいだろう」
 義鷹は目を剥き、耳を疑った。
「あなたは何を……っ」
 光明は全てを燃やす気でいる。
 すぐに顔を戻して、本殿に目を向ける。逃げ惑う怒声と、悲鳴。
 まるで地獄絵を見ているようだった。
 めらめらと燃える炎の先で――自然に蘭と視線が合った。
 絶望と失望を瞳に刻み、こちらを見ている。
「蘭っ! 蘭っ!」
 義鷹が叫ぼうにもその声は目の前に燃え移った炎に掻き消されて届くはずもない。
「最期に目に焼き付けておけ。愛しい蘭を。俺もそうするから」
 その言葉に目を丸くして、思わず光明に振り返る。
「俺は産まれた時から蘭を見ていた。あいつは俺を兄として扱わなかったが――だが、それでいい」
「なにを……あなたは……言っているのです」
 光明の言い様は義鷹より前から蘭を女として愛していると聞こえた。
 その光明が蘭を殺そうとしている。
 その矛盾さを理解出来ずに義鷹は目を白黒とさせるだけだ。
「単純な答えだ。蘭を誰かにやるなら、殺した方がましだ」
 光明は静かに紡いで、寒気がするほどの笑みを浮かべる。
 この男は気が狂っている。今更、その事実に気がついても遅かった。
 ――蘭が殺されるっ! 
 義鷹は本殿に目をやり、すでに姿が見えなくなった蘭の元へ駆け寄った。
 だが、炎の壁が通ることを許してくれない。
「蘭っ! 蘭っ!」
 必死で呼び掛ける声も虚しく空に溶けるだけ。
 義鷹は絶望に胸を焦がし、めらめらと燃える狂った炎だけをいつまでも見つめていた。

* * *


 本玉寺を覆う炎が、ぱちぱちと爆ぜる音だけが蘭に聞こえてきていた。
 床は爆撃で傾き、立っているのもやっとである。
 それでも蘭は雪に会えることを信じて、望みを捨てていなかった。
――この炎の中、雪は無事に脱出できたかしら……
 傍に典子がいるのを思い出し、不安な気持ちを打ち消す。
――典子がいたら絶対に助け出してくれる
 典子の忠実さは蘭も見ていてよく知っていた。
 それならば蘭も無事に本玉寺を出て、雪に元気な姿を見せなければならない。
――義鷹様……
 義鷹の悲しそうな顔が思い浮かびずきりと胸が痛んだ。
――どうして、裏切ったのですか……義鷹様……
 兄と慕う光明といつから知り合いだったのだろうか。もしかして河畔で蘭といた時に出会っでいたのかもしれない。
 それではそんな昔からこのような計画を立てていたのだろうか。
――駄目……分からない……
 煙が充満し、蘭の思考は閉ざされてしまった。
「蘭様、口を押さえて下さい。こちらに……出口が」
 公人が必死で蘭に指示をし、肩を抱きしめてくれる。
「もう少しです、ご辛抱を」
 燃え盛る本玉寺から出口を見つけた時は、煙に巻かれてほとんど目も開けられない状態だった。
公人に抱き抱えられながら、蘭は口を袖で覆っていた。
「ごほっ、ごほっ!」
 目と喉は焼けるように痛く、肌も突き刺さるような熱さを受けていた。
「蘭様っ、外へ出られるようです!」
 公人に励まされて、蘭はようやく外へと脱出する。外も一面が煙で視界が遮られていた。
 蘭は公人に腕を引っ張られて、体力の限界まで走らされた。
 寺の裏は山道になっていたらしい。
 鬱蒼と生える木々の間にも煙が充満している。  
「もっと煙がないところまで行きます」
 前を走る公人が頼もしく声を上げて、蘭を導いていく。道のない道を登り、木々の間を縫い、方向まで失われる。
「蘭様っ、あちらは大丈夫なようです」
 公人が前方を見据え、嬉々とした表情を浮かべた。
 煙が尽き、清浄な空気が漂っている。
 その場所へ行こうと公人が蘭を引いた時に、道がなくなった。
 いや、正しくは煙のせいで、道のない場所に踏み出してしまったのだ。
 ぐらりと公人の体は揺れて、同じく手を繋がれた蘭の体も落下していく。
「蘭様っ!」
 公人が蘭の体を抱え込み、衝撃を和らげてくれる。
 二人は急な斜面を転がり落ちて、その先の川にまで落下する。
 体が水に叩きつけられたのは一瞬のことだった。
 冷たく深い水に落ちても公人は蘭の手を離すことはない。
「蘭様、僕に捕まっていてください!」
 そのまま蘭を抱き寄せて守るように川の流れの中を泳ぐ。
 だが、公人の顔色が変わった。
 蘭も音でそれに気がつく。
――まさか、この音
 水の流れは早くなり、蘭達をその先で待ちうけているのは、ごうごうと唸りをあげる、滝。
「蘭様、しっかり体に掴まっていて下さい」
 公人の言われた通りに、蘭はぎゅっと背中に手を回して力強く掴んだ。
 眼前に迫る滝に蘭は恐怖を覚える。
 ドドドドドッと躍動する滝の流れは、無情にも蘭と公人を飲み込んだ。
「きゃああああああっ!」
 蘭は滝に落ちた瞬間に、長い悲鳴を上げ、公人にしがみつく。
 そして、蘭の意識はぷつりと途切れていった。 






 





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