河畔に咲く鮮花  





 雪は傷ついた腕を伸ばして、ともに差し出した。
 この手を取れと言っているのだろう。
 ともの瞳に動揺が浮かび、手を取るか迷いが生じていた。
「取れっ、俺の手を!」
 覇王、雪としての力強い声音を聞き、ともは我を思い出したように、びくりと肩を震わせる。
「雪……僕は……僕は……」
 迷いながらもともの手は自然に前に伸びていく。
「そうだ、この手を取れっ!」
「――雪、僕は……」
 恐る恐る伸びたともの指先が雪の手に触れた瞬間――
 暗闇が昼間のように明るくなり、本殿がぐらりと大きく揺れた。
――ドォン
 腹をつく衝撃音が暗い夜に響き渡り、爆風に叩きつけられる。
「きゃあっ!」
 蘭は態勢を保つことが出来ずに、近くの柱まで体を吹っ飛ばされた。
「蘭様っ!」
 傍にいた公人がすぐに蘭の近くに寄り添い、安否を確認してくれた。
「覇王っ!」
 雪の傍には典子が駆け寄り、すぐに肩を貸して、立ち上がらせる。
「坊ちゃん!」
 ともも、自分の家の付き人に体を支えられて、雪と蘭から大きく引き離された。
 一度だけの衝撃かと思いきや、ドォンという爆音が轟き、本殿が崩壊し始める。
 天井の梁が軋み、ぱらぱらと木片の欠片が頭から降ってきた。
「どうなっているの」
 蘭は柱に体をくっつけたまま騒然となった辺りを見回す。
 鼻を吐く焦げ付いた臭いとぱちぱちと火の爆ぜる音が届いてきた。
 燃えている――この本殿が炎に巻かれている。
 まるで、さっきの洋館と同じように。
 外が明るくなり、蘭は強い視線を感じて、引き合うように自然に顔をねじった。
 その先で捉えたのは――
 炎が舞い、メラメラと踊り狂う地獄のような光景の先に――蘭は冷静に佇み、こちらを見ている人物の姿を見つけた。
 この寺を射るように見つめ、成り行きを静かに見守っている。
 それを見て、蘭は思わず目を限界まで見開いた。
「お兄さん……義鷹様……っ」
 蘭の視線に気がついたのか、公人もさっと顔をねじっては、驚愕を目に刻んだ。
 ――どうして、お兄さんと義鷹様が
 その場で何度考えても答えが見つかるはずがない。
 助けに来てくれたのだろうか。
 そう考えるが、それは大きな間違いだと悟る。
 燃え盛る炎の先で、光明はぞっとするほどの艶やかな笑みを浮かべていた。
 だが義鷹は何かを叫び、届きもしないのに、蘭に手を伸ばしている。
 ――義鷹様、どうして?
 絶望と失望がないまぜとなり、全ての想いが火に燃やされて舞い散っていく。
 ドォン――と、腹をつくような衝撃が再び襲ってきて、本殿が大きく揺れると天井から崩壊した梁が降って来た。
「蘭様っ! ここに居ては危ないです!」
 公人が後ろから蘭を抱き抱え、その場から引き離そうとする。
 本殿にも火が移り、熱気を孕んだ空気が、蘭の肺の中を切り裂いた。
「蘭っ! こっちに来い! 逃げるぞっ!」
 雪が叫び、蘭は柱から体を離して、よろりと走り始める。
 ぱちぱちと爆ぜる音が空を焦がし、本殿をも煉獄に堕とそうとした。
「雪っ!!」
 蘭が手を伸ばし雪に触れようとした刹那――
「危ない、蘭様っ!」
 蘭の体は強引に公人によって、後ろに引き寄せられた。
 ドドドォンと蘭がいた場所に燃え盛る梁が落ちて来て、一瞬で雪との間を引き裂いた。
「雪っ!」
 床にぼっと火が燃え移り、あっという間に雪への道が断たれる。
 めらめらと狂うように踊る炎の先で、雪も同じように精一杯に手を伸ばしていた。
「蘭っ! 蘭っ!」
「危ないです、覇王!」
 前へ出ようとする雪の体を必死で典子が押しとどめる。
「駄目です、蘭様っ!」
 蘭も同じく身を乗り出すが、公人によって阻まれた。
 伸ばした手の先の炎が笑うように踊っている。
 指先がちりっと熱気に触れて焦げつく。
――嫌よ、雪。もう少しで手を掴めるのに
 それでも蘭は諦めきれずに、雪へ手を差し伸べ続けた。
 二度と離れないと約束をしたのに――
 どんな困難な状況でも乗り越えて、愛すると誓ったのに。
 死が二人を分かつまで――一緒にいるとそう言ったのに。
 この身の全てを捧げると決意して、永遠のキスをしたのに。
 それなのに、また離れてしまうのか。
「雪っ!」
 それでも、必死に伸ばした手は雪に届くことが叶わず、宙でもがくだけ。
「蘭っ!」
 二人の間を切り裂く業火は、ただ笑って愛を散らし全てを焼いていく。
「覇王! 必ずここから脱出して、蘭様をお連れします!」
 公人の力強い声が雪の耳にも届いた。
 蘭は驚き、公人の顔を見るが、迷いの一つもなかった。
「……分かった、公人! 全身全霊で蘭を守れっ! ここを脱出して外で落ち合おう」
 蘭は雪の言葉を受け取り、炎の前で佇んだ。
 雪も引きあうようにその場に立ち、お互いは静かに視線を絡めた。
「蘭、少しの間だけだ。俺達を阻むのは。すぐに会える。言ったろ? ずっと隣りで桜を見ようって……」
 炎の向こうで雪は落ちつき払って、そう言った。
――桜を……
 冬桜の前でこれからも一生見ようと誓ったことを思い出し、ぐっと胸が詰まる。
「そうだ、覚えているだろ? 蘭」
 雪は口元に笑みを作り、心配するなと語ってくる。
 蘭はその気持ちをくみ取り、こくんと頷いた。
「分かった、雪。すぐに会いに行くから。そして、桜を一緒に見ましょうね」
――そうだよね、すぐに会える
 お互いはもう一度、視線だけで心を通わすと、静かに微笑みあった。
「蘭様、もう行きましょう」
 公人に腕を掴まれ、蘭は決心を決めてその場を立つ。
 蘭は一度だけ、振り向きまだその場を離れない雪の姿を見つめた。
 そして一言だけ、放った。
――雪、愛してる
 だが、それはごうごうと燃える炎の音に掻き消されて、空を焦がす煙と共に儚く消えていった。





 





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