河畔に咲く鮮花  



 * * *


 白い靄のかかった頭がようやくすっきりしたのは誰かに体を揺すられていたからだ。
「起きて……」
「う……んっ……」
 蘭は目をこすり、ゆっくりと顔を上げた。
 そこにはともがいて、シッと人差し指を唇の前に立てる。
「蘭おねーさん、雪とあの貴族の子を助けてあげる。静かに着いて来て。さぁ、服を着て」
 蘭の脳ははっきりと冴えて、散らばった服を掻き集める。
「夢じゃなかったんだ……」
 動揺し、ちらりと視線を流すと、春と唯が裸のまま落ちたように寝ていた。
「ごめんね、もっと助け出すのが早ければ。お香の煙で、我を失っていたんだ。仕方ないよ、蘭おねーさん……でも……」
 ともは鋭い眼差しを春と唯に向け、なにか小さくなじった。
『僕の蘭に手を出して――許さない』
 蘭にはそう聞こえたような気がした。
 だが、ともはそんな怒りの顔もおくびにも出さずに、身支度を終えた蘭の手を取った。
「これはね、僕の計画。謀反の罪のある伊達家に協力した振りして、逆に僕に騙されたのさ。女達に意識を飛ばす香を用意させて、焚かせてたのさ。おかげでみんなまだ夢の中」
 得意満面に言うともは床で女と散々乱れて寝入っている兵隊達を見やった。
「協力……した振り? 味方の振りして出し抜いたってこと?」
 蘭はまだ香の抜け切っていない頭でそれを紡ぎ出した。
「当たり、謀反人を捕えようと思ってさ。そうしたら、雪も秀樹も僕を徳川の跡取りとして認めてくれる」
 ともは静かに喋ると、そろりと部屋を抜け出した。まだ深夜なのか外は暗い。
「この洋館は徳川が持っている家屋で、中のことは僕が良く知っている。アジトを貸してあげたんだ」
 暗闇の中でもともはなにがあるか分かっているように器用に動いて見せた。
「蘭おねーさんはそっちの鍵を開けて。僕はこっちを開ける」
 ともはぽいっと鍵を一つ放り出して、扉を開けろと指示をしてくる。
 蘭は暗闇の中、手探り状態で鍵を開けた。
 室内を開けて、中に入ると薄闇の中で雪が縛られている。
 暴行を受けてぐったりしている雪に駆け寄り、蘭は縛られた縄を解いた。
「雪、しっかりして。とも君がここから逃がしてくれるって」
 殴られて目の上から血を流している雪を見て心を痛める。袖ですぐに雪の血を拭うが、まだ表情が虚ろだ。
「雪、雪、他に怪我はないの?」
 傷つけないかそろそろと雪の顔を両手で包みこみ、深い瞳を覗き込む。
「……少し体が言うこと聞かないだけだ……まだ、痺れが……蘭、肩を貸せ」
 苦しそうに顔を歪ませて、雪はぐっと立ち上がる。ぐらりとすぐに倒れそうになる体を蘭は支えた。
「蘭おねーさん、早く出よう。香の効果が切れる前に」
 ともが扉の前に立ち、公人を連れて顎をしゃくる。
「覇王! 蘭様、僕も肩を貸します」
 公人が雪の状態を見てすぐさま、体を支えて歩き始めた。
「とも、お前どうして……」
 雪が苦しそうに前方を歩くともに声を掛ける。
 ともは振り向きもせずに、床に転がる伊達の者を避けながら出口に向かう。
「僕が織田に不満持っているから協力してあげるって言ったら、警戒はされたけど、結局動かせる兵隊が欲しかったみたい。アジトも欲しがってたみたいだから上手くいったんだよね」
 最後は意味ありげに呟くと、ともは一瞬だけ蘭に顔をねじった。
 蘭はどきりと胸を跳ねさせる。二年前ビルのような場所に蘭は軟禁された。
 雪や義鷹の追ってからアシがつくのを恐れて、そのビルはもう捨てたのだろう。
 だから伊達は新しいアジトを欲しがっていた。
 ――とも君……知っているんだ……
ともは春が拉致した首謀者と知っている。
 だが、ここではそんなことを暴露することなく、すいすいと前を歩む。
「伊達を欺いて、味方の振りしていたのか……とも。随分とあざといやり方だな」  
 前方を歩いていたともの肩がぴくりと動く。雪の言いぐさがどうやら気に入らなかったようだ。
「雪みたいに猪突猛進じゃないし、秀樹みたいに昼行燈でもないんだ僕は。頭脳プレイと言って欲しいね。あざとくても何でも最後まで根気よく粘って、手に入れる。それこそ最高の美徳だと思うんだけど」
 ともは後ろに振り返ることなく、雪にそれだけをばしりと言ってのける。
「とも……そうか。お前をいつまでも子供扱いして悪かったな」
 雪に掛けられた言葉で、ともはようやく肩の力をホッと抜いた。
「さぁ、出口だ。とにかくここを出よう」
 ようやく出口に差し掛かったところで、香で我を失っていた男達が起き始めた。
「おい、あいつらが逃げるぞ」
「ま、待てっ!」
 目をこすり、逃げる蘭達を見て大袈裟に声を張り上げる。
 その声で次から次へと目覚めた男達はふらつく体を起こして、追いかけて来た。
 蘭と公人は雪を抱えるように走ると、外へ出る。
 数人の男に追いつかれて、手にした棒を振り上げられたところ、闇に一閃煌めく光が阻止してくれた。
 びゅんっと空を切る音だけで、そこには刀の残像だけが残される。
「覇王、お助けに参りました」
 典子が手に刀を持ち、うやうやしく頭を垂れた。
 襲って来た男達はポーチのぬかるんだ地に伏して動かない。
「すみません、帰れという約束を無視してしまいました」
 典子はたびたびそう申し訳なさそうに言って目を伏せる。
「……いい……お前が待機してくれたおかげで助かった」
 雪は労うと典子はようやく顔を上げて、嬉しそうに笑顔を作る。
「織田っ! 徳川っ!」
 その時、闇の中を切り裂くような怒声が、頭上から聞こえて来た。
 声のする方につられてみな振り返る。
 二階の窓を開け放ち、春がシャツに軽く手を通したままの姿でこちらを睨みつけていた。
 その後ろで、唯が頭を軽く振りながら、一緒に見下ろしている。
 風が吹きすさび、ボタンのかけられていない春の白いシャツがばさりとたなびいた。
 春と雪がお互いの姿を確認して、数秒だけ睨みあう。
 だが次の瞬間、一瞬だけカッと昼のような明るさを放つ。
 ドォンと大きな爆発音が起こり、気がついた時は爆風が蘭達の体を飛ばした。
「きゃあああっ!」
 あまりの衝撃にどうなったかが分からない。気がつけばぬかるんだ土に頬をつけていた。
「蘭様! 覇王!」
 公人にすぐに起き上らされて、蘭はみんなの安否を確信する。
 きぃんという耳鳴りが徐々に遠ざかり、ぱちぱちと火の爆ぜる音と多くの悲鳴が耳をつく。
 ふらりとその声のした方向に視線を巡らせると、洋館から炎が舞い上がり燃えていた。
――洋館が燃えている……
 さきほどまでいた洋館が紅い炎に包まれていて、信じられない思いで見上げてしまう。
「……とも……これもお前の仕業か?」
 雪は茫然としながら、同じ方向に視線をやるともに問いかける。
「……いや、これは僕の仕業じゃない」
 ともはどこか釈然としない表情で、燃える洋館を見やった。
 蘭も信じられない状況にただ茫然と立ち尽くす。
 燃え盛る炎の中から、男達が外に逃げて来ては服についた火を払う。
 悲鳴がそこら中であがり、場は騒然とした。
「織田と徳川のせいだっ!」
 炎の中から逃げ出した男達はその恨みを雪とともに向けた。
「徳川が裏切ったぞ、織田と一緒に掴まえろ」
 轟音の中に響く声に混じった春の怒りを孕んだ声。
 春はどうやら無事だったらしい。つい燃え盛る洋館に目がいってしまう。
「蘭様、覇王、とにかくここから離れましょう」
 公人の強い声音に一同はハッと我に返り、一斉に頷いた。
「このまま雪の屋敷へ行くのは遠い。こっちにも僕の家の傘下の寺があるから、そこへ逃げ込もう。僕の兵隊も動かしているから、すぐにその寺へ向かわせる」
 ともが指示をして、雪達はそれに賛同した。
 まだ怪我をして自由に動けない雪を連れ回すには危険が生じる。
 あっという間に掴まってしまうだろう。
 蘭もそれしか道はないと雪の体を支え直して、ともの後ろ姿について行った。





 





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