河畔に咲く鮮花  

第二章 *十九輪の花* 1:毒牙の檻



 ――洋館にて――


 春が雪に連絡を入れて、二時間が過ぎようとした。
 洋館の部屋の中では縛られてぐったりとしている公人。
 後は苛立った様子の唯と、それをじっと見守る春の姿。
 蘭も逃げ出すことが出来ずに、静かに座ったまま。
 業を煮やしたのは唯だった。
「あいつ、来ないんじゃないか」
 長くなった髪を豪快に掻きあげて、苛立ちを露わにする。
 それを聞いても春は微動だにせず、腕時計に視線を落としていた。
「落ち着け、唯」
 蘭でさえ焦れているというのに、相変わらず春は憎たらしいほど冷静である。
 その視線を感じ取ったのか春は口を開いた。
「なぁ……あれから変わったか?」
 春の瞳はまっすぐに蘭に向けられている。
――何のこと?
 蘭はすぐに理解ができずに顔をしかめてしまった。
「お前、言っただろう二年前に」
 二年前の記憶を辿るが、どうしても監禁されて蹂躙されたことを思い出す。
「くくく、もしかしていやらしいことを思い出しているんじゃないだろうな」
 春に図星をさされて蘭はぐっと言葉を詰まらせた。
「啖呵を切っただろう、身分制度をなくせるのかって」 
 蘭は自分が大それたことを春に言ったことを思い出す。
 権力を持つ人にしか出来ないこともあるはずだと、監禁された時に春に啖呵を切った。
 春は笑いもせずにその後で、水族館に連れて行ってくれた。
 そして春は弱者が淘汰される世界を変えたいと――はっきりと言ったのだ。
「――あ、あの時のこと……」
 下虜が言ったぼやきをきちんと覚えているとは驚くべきことである。
 驚きの眼差しを向けるが、春は冗談を言っているようではなかった。
 その瞳は強く――何よりも真剣だった。
「変えてくれたのか、織田は?」
 蘭は生活に忙殺さる中で、そのことはすっかり忘れていた。
 あれだけのことを言っておいて情けなくもなるが、雪と過ごせる時間はあまりにも短かった。
 それゆれに雪の公務のことで話しあったことなどない。
「やっぱり……無理だっただろう?」
 言葉をなくす蘭を見て春は皮肉げに笑う。
 織田には無理だ――そんな気持ちを読み取って蘭は言い返そうとしたが、言葉が出てこない。
――私は雪がどんなことをしているかもしらない
 いまさらその事実を知り、愕然としてしまう。
 広大な屋敷の中で覇王の花嫁として礼儀作法を学ぶ日々。
 雪の公務には一切口出しすることは出来なかった。
「ふっ、別にいい。お前が権力に溺れていないだけで」
 春は水族館でも似たような話をしていた。
 青い水の中を泳ぐ回遊魚を自分に例えて、もう止まれない――と。 
「なんの話をしているんだよ、春?」
 唯は会話が分からないようで、目を白黒させた。
 蘭が春と出かけたのはちょうど唯が家に戻っていた時だから仕方はないだろう。
「というか、のんびり話していていいのか? 本当に織田は来るのかよ」
 唯が騒ぎ始めて、春との会話はそこで途切れた。
「唯、落ち着け――」
「……来るはずだよ」
 春の声を遮る無邪気で明るい響きが部屋に届いてくる。
――え?
 蘭はその声に聞き覚えがあり、自然と振り向いてしまった。
「だって、雪はそういう性格だもん」
 暗がりの中で目を凝らしてみても、蘭がよく知るともがそこに立っている。
――とも……君……?
 ともが優雅な足取りでこつこつと革靴を鳴らして歩んで来た。
――とも君がどうしてこんなところに
 呆然としている蘭は言葉を発せない。
ともは、そんな様子を見てもくすりと笑うことなく、春と唯の目の前で立ち止まった。
「そうだといいんだがな」
 春はともが来たことに驚きもせず、そう一言だけ静かに呟いた。
 ――どうしてみんな冷静に会話しているの……?
 唯も同じように騒ぐことはなく、腕を組んだままともを見つめる。
 春と唯は御三家とは敵対していたはずだ。
「蘭おねーさん、不思議がっているね?」
 くるりと振り向いたともが無邪気な声を出して笑いかけてくる。
――こんな時にどうして笑うの、とも君
 場にそぐわぬ笑顔はぞっとするほど美しくて。
「簡単だよ、僕は伊達と手を組んだのさ。この洋館もあげたもの」
「……え?」
 聞き返した声はか細く震えているのが分かった。
「ど、どうして? とも君は雪の……友達でしょう」
 何とかそれだけが紡ぎ出すことが出来て、ともを見つめる。
 これは全部嘘だと言って欲しかった。
 ともの顔から笑みが絶やされ、その感情のない様子にぞくりと背筋が震える。
 蘭とディナーをしていた時に見せた、淡々とした冷たい態度。
「だって嫌いなんだもん」
 笑うこともなく発せられた言葉は蘭の心臓を凍らせる。
――嫌いって……
 雪を兄のように慕っていたはずなのに、平気で言うことが信じられなかった。
「――くっ……くくくっ……あんまり混乱させるなよ」
 それを見ていた春が愉快げに肩を揺らして笑い出す。
「まぁ、そういうことだ。この世界は身内でも裏切れるんだよ」
 春はにやにやと笑いながら、ともと蘭を交互に見つめた。
 それでも蘭には何が何だか分からずにともを見上げる。
 そこには冷たい感情を張り付かせているともの姿。
――分からないよ……とも君
 ディナーの時に、雪を兄のようだと――蘭を姉のようだと、これからも仲良くしようと言ってくれたはずだったのに。
「お、おいっ、なんか騒がしいぞ」
 唯が目を見開き、外から聞こえてくる声に耳を傾ける。
「……ほら、来たみたいだよ」
 ともが、スッと窓の外に視線を投げて、短くそれだけを放った。
 春と唯がすっくと立ち上がり窓際に身を寄せて、階下を見やる。
「蘭おねーさん、静かにしてね。後で助けるから」
 その隙にともが蘭の耳に小さく囁いた。
――え?
 蘭は驚いて顔をねじるが、もうともの視線は振り返った春と唯に向かれていた。
――もしかして……とも君……演技なの?
 伊達の味方をする素振りをしているだけかもしれない。
 本心を聞きたかったが、今は意識が外に向いた。
――雪が……本当に来たの……
 ざわめきが増して、蘭の心も落ち着かなくなる。
 椅子から立ち上がり、存在を確かめようと窓際に走った。
「時間遅れだが、どうやら本当に一人で来たみたいだな。盛大に迎えてやるか」
 春は楽しげに笑うと、蘭の腕を引っ張り寄せる。
「あっ!」
 軽々後ろから抱き抱えられて、春は王の如くベッドに腰掛ける。
「放してよっ!」
 じたばた暴れても春の腕の力は緩むことがない。
「静かにしろよ。暴れると覇王になにするか分からない」
 春の声がぞっとするほど冷たく発せられて、蘭の背中に寒気が走った。
――やっぱり……こいつ怖い……
本当に雪がここに来てしまったのだろうか。
 間違いであって欲しいと願い、蘭は唇を噛みしめた。
 ほどなくして、この静寂な洋館が息を吹き返したかのように、騒がしさを増す。
 どかどかと何人ものの靴の音が響き、春の待つこの部屋の前に向かって来た。
――雪……
雪がここまで来てしまった。
 そう思うと自然に蘭の息も乱れてきた。
 どんな顔をしたらいいのかが分からない。
 馬鹿みたいにまんまと掴まり、雪を追い詰めるようなことをしてしまった。
 雪は怒っているだろうか、それとも呆れているだろうか。
 怖いながらも早く雪の顔が見たい。
 そんな相反する思いで蘭は開かれようとする扉に目を向けた。
 大きく開かれて多くの男に囲まれて部屋へ入って来たのは雪。
――ああ、やっぱり雪が来てくれた 
 雪は誰よりも先に蘭を見つけ、春に後ろから抱き抱えられている様に驚いているようだ。
「あれ? なんだか雪の様子が変だよ」
 声に気がついたのか雪はゆっくりと顔をねじり、ともの姿を捉える。
「ねぇ、雪。ここに来るのが遅かったね。もしかして、裏切り者の義鷹になにかされたのかな?」
 ともは何もかもを見透かしたように無邪気に笑う。雪は呆気に取られて言葉も発せないでいた。
「裏切り……者って……義鷹様……が?」
 その名前に敏感に反応したのは蘭であった。
――義鷹様が裏切るって……とも君……何の冗談……
 信じられないせいか体が小刻みに震える。
 あの義鷹が雪を裏切るはずがない。
 そう思ってもなぜか胸がどきどきと騒いだ。  
「僕ね、色々これでも調べていたんだ。ずっと、雪や秀樹の背中の後ろで守られてたわけじゃないんだよ?」
 ともの言葉も霞んで蘭の頭の中はぐるぐると回る。
――なにも理解が出来ない
 雪と義鷹の間になにがあったのかここにいては知ることも出来なかった。
「そういうお前はなんでここに居るんだ、とも」
 雪の怒りを孕んだ瞳をぶつけられても、ともは動じず口を開いた。
「ああ、これね。んーと、どこから話せばいいのかな。えっと、そうそう、事の始まりは……」
ともが人差し指を立てて話し始めた頃、春が苛立たしげに会話を遮ってくる。
「お前らの世間話に付き合っている暇はない。おい」
 春が顎でしゃくると、雪は後ろから膝を折られてその場に体を倒された。
「――つっ」
 雪の顔が苦痛に歪められ、蘭は思わず駆け寄ろうとする。
 だが後ろから抱える春によって、すぐに動きは制された。
「お前はとことん阿呆だな、本当に一人で来るとは」
 春が毒づいて、蘭の左手から指輪をするりと抜き取る。
「そういうお前は惚れた女が捕まったら、諦めるのか?」
 雪の放つ言葉に春は指輪を見る手を止めて、顔をねじる。
二人はばちりと視線を交わし、お互い睨みつけたまま言葉を発することはない。
「……春、覇王の記を手に入れて、こいつはどうするんだ?」
 静かに火花を散らしている途中で、唯は雪の行く末を聞く。
「唯、これまで手助けを感謝している。お前の家は関わりあいのないことだ。ここからは抜けろ」
 春の思わぬ言葉に驚いたのか唯はぽかんと呆ける。
「な、なに言ってんだ。ここまで来て、抜けろって」
「俺は、こいつを殺す。覇王殺しの謀反だ。だが、その後は天下を執り、俺が世を制す。だが、豊臣が黙っていないだろう」
 春の強い意志は唯を黙らせた。もし、覇王を殺して、天下を執れなければ春も唯も危ないだろう。
 天下を執ったとしても、あの豊臣が黙っているはずがない。
 必死で覇王の記を奪い返し、加担した全てを消す。
 普段、ふざけている秀樹は、一度牙を剥いたら手に負えない獣のような男だ。
 そこまでの未来を描き、幼馴染の唯をこの計画から抜けさせる。
 春はそこまで唯という男のことを考えていた。
「……嫌だ、俺は最後までお前について行く」 
 春の気持ちもくみ取った上で唯はついて行くと語る。






 





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