河畔に咲く鮮花  

第一章 三輪の花 2:御三家との出会い



 次の日、雪は本当に蘭の学園編入をしたらしく、義鷹に連れられる。義鷹は学園前まで車で見送ってくれて、その後に別れた。学園内まで見送ると言われたが、義鷹にそんなことまでして欲しくなかった。
 職員室に行けば分かると思い、蘭は学園の敷地に足を踏み入れたのだが、あまりにも広くて、あっと言う間に迷子になる。
「なによ、ここ、どれだけ広いのよ。本当に学園よね?」
 蘭は無駄に広い敷地を歩き回り、いつの間にか綺麗に色づくイチョウの木が立ち並ぶ庭に来ていた。ここが中庭なのか、どこの庭なのかも把握が出来ない。地面に落ちた黄色い葉を踏みしめながら、うろうろとしていると、同じ学生服を着た男子生徒が三人ほど寄って来た。
「あれ、君三年生?」
「こんなところで何してんの? さぼり?」
「見たことない子だな。もしかして編入生?」
 三人は貴族の息子なのだろう。ふわりといい香りが漂い、品のいい顔に笑みを浮かべる。
「俺達は五年生、ここってネクタイの色で何年生か分かるんだよ」
 一人が丁寧に教えてくれる。なるほど、彼らのネクタイは緑だった。蘭のしている色は水色。
「さぼりだったら、一緒にさぼろうよ」
 一人が笑いかけ、蘭の肩に腕を回した。
「おい、抜け駆けするなよ」
 もう一人の男は下卑た笑いを浮かべると、今度は蘭のお尻を撫でて来る。
「ちょ、ちょっと止めて下さい」
 蘭は驚いて、その男に振り向いた。
「だって、君みたいな可愛い子がこんなところでうろうろして。そういう気なんでしょ?」
 蘭はそこで初めて勘違いされていることを知った。怖くなって、男達を振りほどき、早足でその場を立ち去ろうとする。
「逃がすかよ」
「そうとうな上物だぜ、こいつ」
 男達は狩りを楽しむように蘭を追いかけて来て、その場に押し倒した。地面一面に敷かれたイチョウの葉がばふっと蘭の体を包み込む。舞い上がった鮮やかな黄色の彩りに蘭の視界は遮られた。 
「俺が、一番」
 すかさず一人の男が乗りかかり、蘭の体を押さえつけた。
「や、止めてっ、触らないで!」
 義鷹とは違い、じっとりとした粘つく手が蘭の口を塞いだ。
「おい、手を縛れよ」
 のしかかった男が他の男に命令する。シュッとネクタイが解かれ、蘭は両手を上に伸ばしたまま縛られた。
「んんっ、んっ、んっ!」
 じたばたと暴れながら蘭は、必死で助けを呼んだ。気持ち悪い笑みを張りつかせて男は顔を寄せてくる。
 品のいい顔は今は醜く歪み、己の欲望だけをぶつけようとする男に嫌悪する。
「なーに、やってんの君達?」
 その時、棘を刺すような声音が飛んで来た。男達は体を固まらせて、その声の方向に視線を向ける。
 すぐ近くにあるベンチには男子生徒が座っている。柔らかい金髪の髪をなびかせて、じっとこっちを見ていた。
「え、な、何でもないです」
 男達は急にしおらしくなり、蘭から離れると一目散に逃げて行った。なにが起きたか分からなくて、蘭は目を白黒とさせた。
「君、大丈夫っ……て……あれ……見たことがないね……」
 男の子は蘭を覗き込んだまま、目を大きく見開きその場で固まった。蘭はその様子を不思議に思うが、早く手を縛るネクタイを解いて欲しくて、体をねじらせる。
「……ネクタイが違う……その色は僕よりお姉さんだね」
 男の子は我に戻ったのか、ぴょこりと可愛く首を傾げた。まだあどけない表情を残した少女のような男の子。大きな瞳は碧(あお)く澄んでいて、小さな顔に長く繊細なまつ毛。
 肉感的な唇はにこりと微笑みを浮かべ、上品ないい香りが降って来る。
 この子も貴族なのかと思い、蘭はぼうっと酔うように見つめた。
「お姉さん、この学園は初めて? 見たことないから、新しく貴族の位を買った成り金の商売人かな?」
 見惚れるほど可憐な顔をして、その男の子はやたらきつい言葉を発する。
「いや、違うけど……、あの、良ければ両手のネクタイ外してくれない?」
 男の子は首を傾げて、倒れたままの蘭の体の上に馬乗りしてきた。
「あ、あのっ、ねぇ。なにしているの?」
「分かった、じゃあ、覇者の家にお嫁にいった新しい姫かな?」
 男の子は蘭の言うことを無視して、なおも問いかけてくる。貴族という生き物はどうやら自分本位らしい。
「私がそんなに高貴に見える?」
揶揄を込めて、男の子に言い放つがきょとんと大きな目を丸くするだけだ。
「うーん、そう言われれば違う。お姉さんはもっと、なんていうんだろう」
 男の子は馬乗りのままで思考に耽った。貴族というものは人の上に跨ってしか物事が考えられないのか。腹に重みを感じて蘭は形のいい眉をしかめた。
「あの、そろそろお腹が重いんだけど」
 考え込む男の子に蘭は言い放つ。それでも男の子は気にしていないようで、あっと何かを思いついたように、くりっとした瞳を動かせた。
「分かった、家の中に楚々として活けられた花じゃないんだ。こう、荒々しくも神々しい、荒野に咲く鮮やかな花のような」
 男の子はそんなことを蘭に向かって言ってきた。
――さすがは貴族。詩的なことを述べて、自己満足に浸っている。でも遠からずでもあった。
 花というのは例えだろうが、蘭は下慮。
 貴族の娘とは違って、どこかすれているのだろう。それが、上流階級の者には珍しいらしい。言いなれば野蛮で、型にはまらないといった感じか。
「き〜めた。僕の初めての経験はお姉さんにする」
 男の子はにこりと無邪気に微笑むと、そのまま覆い被さってきた。一瞬、何が起こったかわからなかったが、危機を感じて蘭は身をよじった。
「こら、ちょっとなにしてんの! どきなさいよ」
 激しく抵抗すると、男の子はふと顔を上げる。分かってくれたのかと思いほっとしたのも束の間だった。
「そうだよね、こんなとこじゃムードないよね。僕んちでヤる?」
「はっ? 人の話を聞いているのかな」
 貴族ってのは人の話を聞かない奴ばかりなのか。蘭は呆れて、眉をしかめた。
「なんで? 僕とヤリたい女の子なんて星の数ほどいるよ? その初めてをお姉さんに捧げるのに、納得行かないな」
 本当に分からないと言う風に首を傾げる男の子。相当自分に自信があるのか、断る理由を不思議がっているようだ。
「いや、こっちの方にも選ぶ権利はあると思うけど」
 蘭がそう言うと、男の子は意地の悪い笑みを浮かべた。
「へ〜ぇ、僕を拒むなんて出来ないと思うけどな」
 絶対的な余裕を見せて男の子は笑う。本当は使用したくなかったが、蘭はこの場を切り抜ける為に、義鷹の名前を出そうと決意した。
 貴族でも最高権力の今川家。それを出したらこの世間知らずの貴族の坊ちゃんも逃げて行くだろう。
「これ以上したら、義鷹様に報告するわ」
 効果があったのか、男の子はぴくりと眉を引きつらせた。
「義鷹……? 今川の?」
 そして、その名を述べる。やはり義鷹は有名だ。その名を出すだけで男の子の空気は変わった。そう、思っていた。
「お姉さん、今川の縁者? でも、見たことないなぁ。ねぇ、義鷹とどういう関係? まさか、嫁を取ったとか?」
 引くと思ったのに、男の子は疑り深い目で蘭に質問を投げかけてくる。
もしかして義鷹と知り合いというのを嘘だと思っているのか。そう言われると、証拠は何もない。蘭はぐっと詰まって、視線を彷徨わせる。
「それは、そのぉ、義鷹様にお世話になっているというか」
 しどろもどろに答える蘭に男の子は顔を近づけて来た。
「僕はね、人の嘘を見破るのが凄く得意なんだ。だから、瞳を見せて」
 男の子の瑠璃色がかった綺麗な瞳が蘭に近づく。
 まるで、空みたいだと蘭は一瞬、我も忘れてぼうっと見つめてしまった。
「……嘘はついていないみたいだね。そんなに無防備な人、初めてみたよ」
 男の子は自分に見惚れている蘭をおかしく思ったのかくすくすと笑う。
「だ、だって、あなたの瞳が、空みたいで綺麗だなって」
 思わず正直に言ってしまい、顔を赤らめる。空みたいって子供的な発想。蘭は恥ずかしくて視線を逸らせた。
「お姉さんも凄く綺麗だよ。その濃緑色の瞳に吸いこまれそう」
 男の子はぐいっと蘭の顎を持ち、自分の方に顔を向かせた。間近に迫る男の子の芳しい息が頬にかかる。
「ねぇ、もう僕、我慢できなくなっちゃった。宣言しなくてここでヤッちゃっていいよね?」
 宣言とは何のことやら分からないが、貞操の危機が訪れていることは分かった。
「それはちょっとまっ……」
 蘭が戸惑い、じたばたと体をばたつかせるが、男の子の力は強い。あどけない少年だと思っていたが、男だと改めて確信してしまった。唇が触れそうになった瞬間、助けとも言える声がその場に鳴り響いた。
「おい、とも、家朝(いえとも)っ!!」
 その声にびくんと反応して、男の子は体を瞬時にねじると、後方に振り向いた。
「あ、雪」
 ともと呼ばれた男の子は大して驚きもせずにそう一言、あっさりと呟いた。
「なにやってんだ、お前?」
 雪はどすどすと歩いてきて、ともの前まで来ると蘭を見下ろした。
「そして、お前は教室も来ずになにをやってんだ」
 組み敷かれている蘭を見て、雪はなぜか不機嫌そうに眉をしかめた。
「あれ、なんで? 雪も知っているの? あ、義鷹の家にまた世話になっているんだね。そこでお姉さんと会ったの?」
「お姉さん?」
 雪がぴくりと眉をひきつらせ、ガッとともの肩を掴んだ。
「そいつから降りろ、とも」
「僕は助けてあげたんだよ、雪。このお姉さんが襲われそうになってたから、ね?」
 ともがにこにこと無邪気に微笑んで、蘭に問いかける。スッと雪の鋭い目が飛んで来て、蘭はその視線が怖くなるとこくこくと頷いた。
「お前が、そんな格好しているから襲われるんだろ」
 それには蘭はえっと丸くする。自分がこの学園に編入させ、この制服も用意したくせに。
「そうだね、目立つね。お姉さんは。独特な香りを放っているもの」
 ともはようやく蘭の上から降りて、手のネクタイを外してくれた。そして起こしてくれて、葉っぱを払ってくれる。
「あ、そんなことしなくていいよ、とも君」
 貴族の手を汚してしまうなんて、蘭には考えられない。
「そんなことするな、こいつは下慮だぞ」
 雪が腕組みしたままで、残酷な言葉をぐさりと放つ。
「下……慮?」
 ともの手が止まり、なにかを思案しているようだ。その様子を目の端で見て、蘭は自分で葉を払い、雪の横を通り過ぎようとした。
「待てっ、どこに行く」
 雪に力強く腕を取られて、蘭は不機嫌そうに振り返る。
「帰るの、義鷹様のところへ」







 





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