河畔に咲く鮮花  

第二章 十八輪の花* 2:義鷹に咲く鮮やかな花《義鷹視点》



 今川家は由緒ある貴族の一つではあったが、その頃はまだ一番目の位ではなかった。
 まだ幼かった義鷹は順列を知る由もなく、ただ毎日、詩を謡ったり、花を活けたり、お茶を煎じては優雅に暮らしていた。
 今川家が持つ商家の家(俗に言う商売人の位の者達)から税金を取り、またそれを覇者へ献上する。
 覇者の中でも権力の強い家からの庇護を得ることが貴族の間ではステータスとなっていた。
 今川家は貴族の中の一番の権力者でもないのに、不思議と織田家からの庇護を受けている。
――私の家は織田家から庇護を受けている。それは素晴らしいことだ
 それは自慢できるものであり、嬉しくもあったが、なぜか母はいい顔をしなかった。
 義鷹はすくすくと育ち、誰もが見惚れるほどの花のような美少年へと成長した。
 まだ幼さが残る瑞々しさは少女に間違えられることもしばしばである。
 なんでも上手に器用にこなし、称賛を手に入れ、色んな美辞麗句も聞かされた。
――なんて、幸せなのだ
 義鷹はそれまで苦労することもなく、純真に育っていた。     
 そんなある日、義鷹が十六歳になったばかりの話だ。
――どうして、食卓に側室の人が?
 側室とその息子は本家には入れない決まりがあった。
 なのに、本家にいる義鷹達と食事を共にするようになった。
 そこで初めて義鷹は側室とその息子を目の当たりにする。
――この男が私の腹違いの兄……
 側室の息子は義鷹より、一歳上であったが、子供らしからぬ性根の持ち主だった。
 どこか冷めていて口を開けば嫌味を言ってのける。
 頭が回るのであろう、大人相手にいいくるめているのも何度も見たことがあった。
――一歳しか違わないのに口が達者だな
 義鷹は純真で、真っ直ぐな為に、その言葉の言い回しように側室の息子ながら感心することも多々ある。
 そんな義鷹を見た腹違いの兄が陰で馬鹿にしていたことも知らない。
 なにも知らない呑気なおぼっちゃま。
 メイドが口々に噂しているのを初めて聞いてショックを受けたこともあった。
――私は世間を何も知らない……そんな馬鹿な……
 誰よりも勤勉で世間の情勢も知っていると自負していた義鷹にとってそれは衝撃的な言葉だった。
 きっと腹違いの兄が嫉妬をしていると――そう思っていた。
 だが、それを思い知る日が来る。
 ある日、いつものように側室と腹違いの兄が同席し、夕食を摂っていた時だ。
 義鷹の口にするはずだった食べ物を変わりに母が食べた。
 その時だけ、たまたま義鷹と母との配膳を間違えたのだ。
 詳しいものには分かるが、義鷹用の箸というのが存在した。
 十五歳になった時に、父からプレゼントされた漆塗りの箸。
 良く見ると小さく鷹のマークが刻印されている。
 その箸が乗っていた膳をまだ来たばかりのメイドが間違えて、義鷹の母の前に運んだ。
 知らずに母はそれを食べて、口から吐血した。
「母上っ!」
 医者に見せた時にはもう遅かった。
 母親はあっという間にこの世を去ってしまったのだ。
 初めは分からなかったが、毒を盛られていたことが後から判明する。
 義鷹に小さな疑惑がそこで生じた。
――毒……まさか……
 義鷹を暗殺しようとしたのは側室ではないかと。
――母は私の身代わりに殺された
その上、義鷹の父まで病気に伏せり、側室はここぞとばかりに権力を奮い出した。
 義鷹は屋敷での立場が苦しくなり、側室の手の者がはびこるようになった。
――やはり、この側室の仕業か
 義鷹を追いやり、自分の息子を当主にする。
 目に見えるほどの野心を放ち、義鷹を蹴落とそうとした。
――あの女が巣食う家などいたくはない
 義鷹は逃げるように屋敷を抜け出しては、一人になりたい場所を当てもなく彷徨った。
 貴族街にいても今川というステータスだけで、擦り寄ってくる家の者達に弱みを握られたくはない。
――私は誰も頼るものがいなかった
 いまさら世間を何も知らない坊ちゃんという腹違いの兄の言葉が痛々しいほどに胸に突き刺さる。
――本当にそうだった……私は保護された籠の鳥だったのだ
 一人だということに気がつき、義鷹の心は悲しみに濡れた。
――私などいないほうがいいかもしれない
 誰にも必要とされていないことを知り、義鷹の気持ちはずたずたに傷ついていた。
――あのまま自分が死んでいたなら……
 そのような自虐的なことを考え、ふらふらと彷徨う。
 どこをどう歩いてきたのか分からなかったが、吹き抜ける風が義鷹の頬を撫でていった。
――風が吹いてきている……
 風が吹いてきた方向に視線を向けると、眩しい光が盲目を焼く。
 紅く沈む夕日に導かれて、義鷹はいつの間にか河畔に足を運んでいた。
――ここはどこだ……
 草のないところにはバラック小屋が立ち並び、信じられないことにそこで人が生活しているようだった。
――それでも泣けるならどんなとこでもいい
 人の目を逃れるように義鷹はぼうぼうに生えた草の中に隠れて、ただぼうっと夕日を見ていた。
 それを見ていると自然に色んな思いが溢れてきて、涙がとめどなくこぼれ落ちた。
――私は無力だ……暗殺されそうになっても泣くことしか出来ない
 悔しくて苦しくて、義鷹は今までのことに思いを馳せる。
 周りがちやほやしてくれていたのも正室の息子だからだ。
 側室が力を奮いはじめたら誰も義鷹を庇うものはいなくなった。
 味方してくれた叔父は、義鷹に邪な想いを抱いていたようで抱かせてくれたら側室を追い出してやると言ってきた。
――男に抱かれるなど……気持ち悪い……
 そう考えると義鷹のことを本当に考えてくれるものなどこの世にはいない。
――ああ、今まで見てきた貴族の世界は全て空っぽだ
 きらびやかな世界は歪んで見えて、錆びた灰色に変わっていく。 
――心と一緒に色も失うのか
 絶望と失望の狭間で泣き濡れる視界に、初めて彩りが心に戻ってきた。
 色を与えてくれたのは唐突に現れたまだ幼い少女。
 素っ裸で佇む少女はどうやら川で水浴びをしていたらしいのだ。
 驚きはしたが、少女自身が淡く発光しているように見えて。
――なんて、綺麗なのだ
 真っ裸で、邪気もなく笑う少女は白い肌を夕日に照らし、義鷹の目を一瞬で奪った。
 華やかで美しい貴族の世界はただの表面的なもので、その裏は汚れて醜い。
 側室に毎日のようにいびられ、本家を乗っ取られた義鷹は世界から色を失っていた。
 それなのに、下虜と名乗った少女は鮮やかなほど美しくて。
――下虜……初めて見た……ではこの河畔は下虜街……
 下慮という存在を初めて目の当たりにしたが、義鷹にはこの少女が気高く美しい者に映った。 
 少女は義鷹を女性と思い込んだのか、お姉さんと甘えた声でじゃれてくる。
――私を女性と間違っているのか
 泣きあとの頬を舐められて義鷹の胸は疼いた。






 





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