河畔に咲く鮮花  

第二章 *十八輪の花* 1:裏切りの夜



 「蘭ちゃんには悪いけど、もう諦めや」
 ともの家から帰宅する途中に、暴漢に襲われたと護衛達から話を聞いた秀樹はあっさりとそう言った。
「秀樹、何を言っている」 
 雪は信じられないとばかりに目を見開き、困った顔をしている秀樹を見やる。
「だって、覇王の記は雪が持ってんやろ? これはある意味ラッキーや。わざわざ偽物の指輪を取り返しに行く必要はない」
 秀樹の言うことは最もであった。
本物は雪の手にあり、命の危険をさらしてまで、伊達と真田が待ち構えているところへ飛び込むとは無謀なことである。
「それじゃあ、蘭が危ねぇ。俺は一人でも行く」
 馬鹿だと分かっていても雪の気持ちはおさまることがない。
 今でも飛んでいきたいほどの衝動である。
 それでも秀樹には必死で止められて、苛立ちが増していく。
――伊達は一時間で来いと言った
 蘭は来るなと言ったがそんなわけにはいかない。
 早くしないと時間だけが刻々と過ぎていってしまう。
「とにかく落ち着きや。俺が動かせる兵隊を西から呼ぶ。ゆっきーも態勢を整えて、伊達と真田を覇王に背く謀反人として掴まえて、家系もろとも全部叩き潰すんや。ある意味、潰す機会を与えてくれて、ラッキーや。な?」
 今にでも走り出しそうな雪に秀樹はなだめるように、説得をする。
「蘭ちゃんも覇王の妻になった覚悟はあるはずや。それを知って、覇王の記を受け取ったんやろ? このまま伊達に奪われるのも、殺されるのも承知の上や」
 秀樹の大きな手がガツッと雪の両肩を掴んだ。だがその言葉は逆に雪の神経を逆なでするだけである。
「蘭が死ぬ……? 蘭が伊達に奪われる……?」
 雪は目を大きく見開き、伊達正春を脳裏に思い浮かべた。
 いつも余裕ぶっている伊達の不敵な笑み。
 学園でもいつも敵意を向けてきて、いつかは足下をすくうと嫌味気に焚きつけてくる。
――あの男、何度も俺を襲い……蘭まで……
 蘭が二年前に拉致された時の首謀者も伊達であることには違いない。
 どういうことか、蘭から証拠を得ることがなく、伊達には上手く逃げられた。
 そこから大人しくしていると思いきや、再び姿を現したのは花見の日だ。
 蝶子にからかわれていた蘭を助けようと一歩動きだした時に、それを変わりにやってのけたのは伊達の方だった。
 伊達は優雅に微笑み、蘭を見る目は慈愛に満ちていて優しかった。
 美しい桜の枝を手折り、蘭の髪に愛おしげに挿した。
 ちりっと胸を焦がすような痛みが走り、短気だった雪はその後に花味をお開きにした。
 その伊達の手にまた蘭が掴まっている。
 二年前に拉致された時に伊達が蘭になにを感じたかは知らない。
 それでも伊達のあの目は雪と同じもの。
――蘭を求め、欲している。
「でも、伊達もお家騒動で動かせる兵隊はほとんどおらへんはずやのになぁ。真田家は元々中立の立場で、幼馴染の唯直だけが政春に加担しているって感じやし。ほんまのところは、兵隊を集められてないんちゃう」
 雪が大人しくなったのを見て取ってか、秀樹は伊達家の情勢を口走った。
「これなら人数集めて、伊達がおるところに攻めて行けば楽勝やろ。すぐに、西の兵隊達に連絡入れてくるから、ゆっきーも準備整えてや。ともにも連絡するわ」
 秀樹がどたどたと携帯電話を持って電話を掛けに走り出す。
 その後ろ姿を見て、雪はサッと立ち上がった。
「典子、俺は行く。秀樹が戻って来たら済まねぇと伝えてくれ」
 後ろに控えていた典子は顔をザッと青ざめさせて目を開いた。
「覇王……この私めもご一緒致します。元から命は捨てる覚悟」
「駄目だ、お前はここに残っていろ」
 雪が鋭い一声を放ち、典子を黙らさせた。
 典子はぐっと拳を握り締め、雪の決意した顔を見上げる。
 お互いは言葉を発せず、目だけで語り合う。
 その数秒は永遠のように感じられた。
 それでも典子は引く気は一切ない強い瞳で雪を見上げる。 
――典子、一緒に来る気か
 重い沈黙の中、静寂を打ち破り携帯音が鳴り響く。
 ふっと緊張が解けて、雪は自分専用の携帯を取った。
「――義鷹か、そうだ。蘭が伊達にさらわれた」
 義鷹も蘭が襲われたことを聞き及んだのだろう。
 数秒話しこみ、雪は義鷹の屋敷へ行くことを決意する。
「典子、支度しろ。義鷹にバックアップしてもらう。今すぐ屋敷へ向かう」
「はいっ! すぐに車をご用意いたします」
――すまねぇな、秀樹
 秀樹には黙って雪は、護衛として典子だけを連れ義鷹の屋敷へ向かった。
――こんなのは無謀だと分かっている
 雪はそう感じたが、どうしても蘭をこの手で取り返したかった。
 義鷹の家に到着したのはすでに夜も遅い頃だった。
 義鷹の家の前で典子を待たせ、雪は一人で屋敷へ足を踏み入れる。
 義鷹はすでに待ち構えて雪を迎えた。
「雪様、お早いご到着で。まずはお茶でも飲んで落ち着いて下さい」
 義鷹は雪に冷たいお茶を用意して、息を整えさせる。
「ありがとな、義鷹」
 雪は義鷹からコップを受け取り、ぐいっと一気にお茶を飲み干した。   
「誰も護衛をつけないのであれば、この発信機をつけて行って下さい。
 それを見て私が場所を特定し、腕の立つ者を送ります」
 義鷹はそう言って、雪のシャツの襟下に小型発信器を装着させた。
「済まねぇな、義鷹。秀樹達が準備しているのを待っていたら、早くても一日はかかっちまう。お前がいてくれて助かった」
「いいえ、私にはこの程度しかできません」
 義鷹は首を横に振ってから、雪に視線を戻す。
「……それで、本物の覇王の記は雪様が持っているのですか?」
 義鷹はちらりと雪の体を眺め回し、覇王の記がどこにあるのか探った。
「ああ、まあな」
 雪は、静かに頷くがどこに隠してあるか教えはしない。
「――それは良かった、今すぐにでも雪様と交渉が出来る」
 義鷹があまりにもさらりと言うので、雪は眉をしかめた。
 ――なに言ってるんだ?
「義鷹……お前……」
 雪が問おうとした瞬間に体はぐらりと傾く。
――なんだ?
 力が入らなくなり膝ががくりと折れ、立っていられなくなった。
 その場に座り込むと手足に痺れが走り、義鷹の顔さえ霞む。
「お……前……お茶になにを入れた……」
 すでに唇も痺れ、上手く言葉が絞り出せない。
 雪はつっ立ったままの義鷹の足首を掴み、ゆっくりと顔を上げる。
 その顔は冷たく感情を浮かべていない。
――こいつ
 動揺して固まっていると、義鷹が喉の奥で笑った。
「お前……どういうことだ」
 雪は途切れ途切れに声を絞り出し、精一杯睨みつける。
「私もこういう手は使いたくなかったのですが」
 義鷹はふぅと軽く溜息を吐いて、その場に膝をついた。
 痺れで体の自由を奪った雪の顔を見つめて、ある書面を見せつける。
「雪様、これをよく見てください」
 霞む視界の中で、雪はその書面を穴があくほど睨みつけた。
「これは……」
 雪は書面を目で追って、蒼白な顔になる。
「なにかお分かりですか?」







 





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