河畔に咲く鮮花  

第二章 *十七輪の花* 2:春と蘭



 蘭と公人は男達に拉致されて、連れて来られたのは廃屋のような一軒家だった。
――ここは……どこ?
 周りは鬱蒼とした森に囲まれ、雨のせいで視界も悪く、暗く不気味な情景を醸し出している。
 蔦のびっしりと生えた洋館の二階の端の部屋からは、ぼんやりとした明かりが漏れていた。
 公人は意識を取り戻したものの、後ろ手に縄を縛られて動きが制限されている。
 蘭の両隣りにも男が二人ついていて、がっしりと腕を取られていた。
――古風な洋館……
 洋館に無理やり連れてこられた蘭は、暗がりの中を歩かされて、二階へ引っ張られる。
 明かりのついていた部屋へ向かうようだ。
 ここにはなにがあるのか不安に駆られ、蘭は心配気に顔をしかめる。
 男達は一言も発さずにいるのが、余計不気味に見えてしまう。
 男達は目的の部屋について、ドアをゆっくりと開けた。
――誰かが住んでいるみたい
 広めの部屋には薄暗い明りが灯り、古びた丸テーブルと椅子が置かれてある。
 すでに使用していないような、ローボードが隅にあり、紗が垂れさがっていた。
 公人はすぐに床に膝をつかされ、状態を押さえられる。
「公人君っ!」
 蘭は驚いてそちらを振り返り、公人の様子を窺った。
「くくっ」
 紗の向こうから怪しき忍び笑いが漏れ、蘭は自然にその方向へ目を移した。
――奥に誰かがいる
 灯りが薄い紗の向こうを照らしだし、ぼんやりと黒い影が揺れる。
 蘭はその相手を探ろうと注意深くそちらに意識を集中させた。
――まさか……
 ふぁさと紗が開かれて、奥にいた人物が姿を現すと、蘭は驚愕に目を開いた。
 「よぉ、久しぶりだな、下慮」
 その不遜な物言いと、変わりはしない怪しげな美貌。
 片方の目には眼帯という出で立ち。
 そして、いつまで経っても色褪せない身に纏う圧倒的なオーラ。
 忘れもしない男――伊達政春が姿を見せた。
――う……そ……
 蘭の体は硬直し、驚きを刻んだまま春を見据える。
 春はふっと笑うと蘭からすぐに視線を外した。
「その男は椅子に縛りつけて、口を塞げ。後は部屋を出てろ」
 春はくいっと顎をしゃくり、男達に命令を下す。
 公人は椅子に縛られ、身動きが出来なくなる。
 その口には布を突っ込まれて、公人は全く喋れない状態にされた。
 命令を遂行した男達はばらばらと部屋を出ると、春は紗の奥のベッドに腰掛けた。
「逃げようとしても無駄だ。外は嵐だし、この洋館には俺の部下がいる。まぁ、突っ立ってないで、座れよ」
 春はうす笑いを浮かべると、蘭をざっと上から下まで眺める。
「また綺麗になったな。あの頃より色気が増した。なんていうか、女になったって雰囲気だ」
 暗に処女ではない色気を身につけたと安直に言われた気がして、蘭はカッと顔を赤らめた。  
「……なにをする気なの?」
 蘭は蛇に睨まれた蛙のように、その場で固まってしまう。
「時間はたっぷりとある。そう焦るな。とにかく座れ」
 春の冷たい眼差しは前に見た時より一層増して強くなっていた。
――またこの男に捕まってしまった 
 逆らえるはずがない蘭は、仕方なくその場にあった椅子に腰を下ろす。
「どうだ、織田との生活は? 楽しいか?」
 春の世間的な話に蘭は戸惑いを隠せない。
 こんな話をしたいわけではないと分かっていながら、今は調子を合わせた。
「ええ、おかげ様で、充実した生活をしているわ」
 皮肉っぽく返す蘭に春はふっと口の端を上げて笑う。
「相変わらずな態度だな。そういうところは変わってなくていい」
のんびりと話す春は視線を逸らすことなくじっと蘭を見つめる。
 その冷たい美貌は以前と変わらず、なにを企んでいるのかが窺い知れない。
 だが蘭にとっては不吉ことが起きる――それだけは分かった。
――最悪な事態になった……
 公人は身動き出来ず、洋館は男達が取り囲み、そのただならぬ物々しさにじわりと汗が浮かんできた。
――これから何が起こるの……?
 蘭は絶望的な気分に陥り、ベッドに腰掛ける春を見つめる。
「俺の家はますます幼い弟に家督を取らそうとしている動きでな。今回も伊達家の者をほとんど動かせなくて困っていたんだ」
 口で言う割に困った風に見えない春。
 蘭は顔をしかめて、目的がなんであるか様子を探った。
「今日の車のタイヤをパンクさせたのもあなた? こんなところまで連れて来て、のんびり話をしたいわけじゃないでしょう」
 蘭の毅然とした言いざまが気に入ったのか、春はくっくっと肩を揺らして笑う。 
「いいじゃねぇか、覇王の妻になって威厳も出て来た」 
 春はすっくと立ち上がり、革靴でかつかつと床を鳴らして、けだるげに歩いて来る。
 その歩き方だけは以前と変わってはいない。
――……怖い……
 蘭は一瞬、体を強張らせて身を引いた。
 目の前で立ち、蘭を見下ろした春はガッと左腕を掴み上げた。
「これが、覇王の記か」
 薬指に光る指輪に視線を落とし、目を細めて眺める。
 蘭はハッと目を瞠っては、ごくりと喉を鳴らした。
――この男の狙いは……
 春の目的は昔から覇王の記だった。二年前に監禁された時もこれを探していた。
 その頃の蘭は知らなかったが、これ一つで覇王という権力を持てるほどの代物らしい。
 雪から譲り受け、正式な妻になったこの機を狙っていたということも考えられた。
――でも、この覇王の記は……
 だが、幸か不幸かこの指輪はダミー。本物の指輪は雪の手の中にある。
「これを手中に収めれば俺が天下を執れる」
 春の切れ長の瞳が鋭く光り、余裕の笑みを唇に刻む。
「触らないでっ!」
 蘭はすぐさま、これが本物であるかのような演技を打った。すぐに渡してしまえば、おかしいと感づかれる。
 これはある意味駆け引きであった。ぎりぎりまで本物と思わせて、指輪を奪わせる。
 そして、天下を執ったと浮かれている隙を見て、公人とここを逃げ出す。
 ――お願いだから、この指輪が本物だと信じて 
 春相手に勘づかれずにそこまで出来るかが不安であったが、それしか手段は残されていない。
「そんなことをして無駄だ。お前と指輪がある限り、織田は手を出せない」
 春はまだ気がついていないようだ。蘭は内心ほっと胸を撫で下ろして、きつく春を睨みつける。
「そんな目をするな。お前を悪いようにはしない」
「指輪を奪ったら、私を解放してくれるの?」
 蘭は恐る恐る、その道もあるか春に問うてみる。
 下手に逃げ出すより、交渉をして無傷でこの洋館を出た方がいい。
「どう思う?」
 質問で質問返しされ、春は意地悪く微笑した。
「悪いようにしないなら、お互い傷つけ合うことなく終わらせるのが一番の方法だわ」
「だからって、お前を帰すとは一言も言っていない」
 春から解放する気は一切ない考えを突きつけられ、焦燥感が広がる。
――やっぱりこの男が引き下がるわけがない
 もはや交渉する余地がないと分かり、拳をぎゅっと握り締めた。
「指輪だけで満足すると思うか? 織田を呼び寄せて討つ」
 春の声は囁くように低く紡がれるが、その言葉に揺らぎはない。 






 





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