河畔に咲く鮮花  

第一章 一輪の花 1:河畔にて


 森下蘭(もりしたらん)は水浴びをするべく、バラック小屋の立ち並ぶ河畔に来ていた。下慮(かりょ)の身分では、家に風呂など豪華なものはない。冬はやかんに水を溜め、沸かしてたらいに湯を張り、そこに入る。
 ここには川が広がり、茂みによって覆い隠されているため、水浴びするにはちょうどいい。
 蘭はまだ十歳だし、子供がまっ裸になっても問題はないだろうと、さっさと服を脱ぎ捨てて、川へ入った。
 黒いすすを落とし、丁寧に体を洗う。水の中が気持ちよくて、つい泳いでしまった。少し泳いでいると、川の流れに乗って、茂みの向こうまで体が運ばれる。するとすすり泣くような声が蘭の耳に届いた。
 茂みから顔を出して、川原を見やる。そこには髪が長い女の人が座りこんで泣いていた。
 服装を見ると、商売人や一般人とは違う。もしかして、貴族か覇者の者かも知れない。蘭は初めて出会った上級階級の者に胸をときめかせた。だけど、安易に近寄っては行けないと家族からは言われている。
 蘭達は下慮。ほとんど奴隷のような扱い。
 上流階級の者は下慮を見たことない人もいるらしい。それに、見つかったら、殺されると噂もされていた。
 だが一人で泣いている女の人を見ると、放っておけない。蘭はすっ裸のまま川から上がると、その人に声をかけた。
「おねーさん、なんで泣いているの? どこか痛いの?」
 その声にハッとお姉さんは顔を上げた。そして、驚いたように目を瞬かせた。
「あ、ごめんね。私、川で水浴びしていて」
 蘭は自分の格好に気がついたが、悪びれもなく笑った。
「なんで、川で水浴びするの?」
 花のように綺麗で可憐なお姉さんは、中性的でしっとりとした声音で聞いて来る。さすが上流階級の人は違うなと感じながら、蘭は説明した。
「私は下慮なの。知ってる、お姉さん? 戦国時代で破れた名もない武将の子孫。今は覇者が権力を持っているでしょ。ほら、織田家や徳川家とか」
 上流階級のお姉さんには知らないような事情だと思い親切に説明した。
「ああ、知っている。私は貴族だから。そういう人達がいるってことも勉強をしたよ。私達、貴族は覇者に庇護されて暮らしているんだ」
 お姉さんはやはり貴族だった。だからこんなにいい臭いがするんだ。そう思うと、急に自分の体から川の底の泥の臭いがしてくるようで恥ずかしくなった。
「どうしたの?」
 もじもじとしている蘭を不思議がって、お姉さんは首を傾げる。
「ごめんね、下慮が話しかけて。本当はお話出来る立場じゃないって知ってる。貴族様や覇者様は雲の上の人だから。それに、私って臭いよね。恥ずかしい」
 顔を俯かせると蘭はお姉さんから一歩さがった。
「臭くなんかないよ。こっちにおいで」
 お姉さんは染み一つない手を伸ばして蘭の手を取り、自分に引き寄せた。
「あっ!」
 思ったより強く引かれて、蘭はお腹をお姉さんの綺麗な顔にぶつけてしまう。
「ご、ごめんね。お姉さん。臭いでしょ。顔が汚れちゃう」
 お姉さんを汚してしまい、貴族の仲間に殺されるかも知れない。蘭は涙目になってお腹に顔をくっつけているお姉さんを見下ろした。
「……そんなことない。いい臭いがするよ」
 鼻をこすりつけ、お姉さんはお腹をくんくんと嗅ぐ。それがくすぐったくて蘭はきゃははと笑い声をあげた。
「ごめんね、くすぐったいよね? でも、とても柔らかくていい臭いで、気持ちいい。名前はなんて言うの?」
 お姉さんがふと顔を上げて蘭の顔を覗いた。
「蘭……森下蘭」
 お姉さんはにこりと笑うと、いい名前だと呟く。
「あ、お姉さんの鼻の頭が汚れちゃった」
 蘭は慌ててお姉さんの鼻を擦った。それがくすぐったいのか初めてお姉さんは笑う。それがとても綺麗で、可憐で蘭は思わず見惚れた。
「お姉さんは笑った方がいいよ。とっても綺麗」
 蘭が褒めると、お姉さんの顔は見る見る曇っていく。
「どうしたの? 蘭、変なこと言った?」
 今度は蘭がお姉さんに問いかける側になる。
「みんなこの容姿に騙され、権力に群がり、その上、覇者に媚び、くだらない。私は次の権力者候補に立たされ、暗殺されそうになった」
 蘭はえっと目を丸くする。お姉さんが悲しく見えて、蘭は思わず頭を抱き締めた。
「ら、蘭っ?」
 お姉さんが驚きの声を上げるが、蘭は手を離さなかった。
「ごめんね、蘭が余計なことを聞いたばかりに、お姉さんを悲しませちゃった」
 小さな腕の中で震えていたお姉さんは、顔を上げてまた優しく微笑む。
「蘭は優しくていい子だ。一糸まとわない姿でも美しい」
 蘭はお姉さんに見つめられ、どぎまぎと胸を高鳴らせる。お姉さんの色気ある艶やかな目が蘭の体を舐め回した。
「は、恥ずかしいよ。お姉さん。下慮の体なんて汚いでしょ。貴族様は裸でも白粉を塗っているんでしょ?」
「貴族の娘も覇者の娘も、香水や白粉の香りで臭いだけだよ。蘭の体の方がよっぽど綺麗で美しいよ」
 お姉さんは指先で、つーっと蘭の体を撫でた。
「あっ……んっ」
 くすぐったいのとは違って、違う感触が蘭の体を駆け走る。
「ご、ごめん。蘭、悪気はなかったんだ」
 お姉さんが驚いて、ぱっと手を引っ込めた。
「ううん、お姉さんだったら別にいい。どうせ、蘭は大きくなれば身売りされるかも知れないもの」 
 それにはお姉さんが驚いたのか、流麗に流れる目を大きく開いた。
「それって……どういうこと?」
 恐る恐る聞いて来るお姉さんに蘭は肩を落とす。
「下慮は貧乏だからさ。商人や一般人から仕事を下請けしてるの。でも、仕事がなくなれば、女はメイドや遊び女みたいに身売りをしなきゃいけないって」
 お姉さんの形のいい眉がしかめられる。そんな悲しそうな顔をされたら、蘭自身も悲しくなってきた。
「知らない一般人や商人に売られるくらいなら、お姉さんみたいな綺麗な人に体を売った方がまし。でも下慮なんて、気持ち悪いよね」
 いつの間にか蘭の頬に涙が流れる。そんな人生は嫌なのに、下慮というだけで虐げられる。
「蘭、ごめんよ。私はそんなことも知らなかった」
 蘭はお姉さんに腕を引かれ、体の中にすっぽりと収まる。鼻を吐く芳しい花の香り。
それだけで蘭は酔いそうになり、とろんと目を蕩けさせて、可憐なお姉さんを見上げた。
「私の方こそ蘭を迎えたい。約束して、私が蘭を貰いにいく」
 蘭はその言葉に胸が詰まった。由緒ある貴族様は下慮を置くことなどない。せいぜい一般市民までを傍に置いて、身の周りの世話をさせる。
 下慮こそ良くても商売人に買われるだけだ。それを知っていても、お姉さんの気持ちはありがたかった。
「いいの、お姉さん。無知な私でも貴族様が、下慮を置くことなんてないのは知っているから」
 ぽろぽろと流れる涙をお姉さんは指で掬い、それを舌で舐めとってくれた。






 







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